第24話 足どめの宿にて
夕食後、なんだか疲れたマルーシャは早々に部屋に引き取ることにした。
食堂では酒も出してくれるらしく、居残りを宣言したイグナートがダニールを引き留めている。ラリサは付き合わないのかと思ったが、笑ってミュシカと手をつないでくれた。
「男どもに割り込む気はないわよ。他の客と仲良くなってワアワアするんだから、ほっとけばいいの」
「ダニールさんも?」
「あっちは黙々と飲んでるんじゃない? 初対面の人たちと和気あいあいできれば、生活力を見習いたいとか言い出さないってば」
「ははは……」
女三人のんびりすることにしたが、外ではまだ大雨が降っていた。たまに雷鳴も聞こえてくるのがミュシカは怖いようで、小さなランプだけの部屋でビクビクしているのがわかった。
「ミュシカ、もうねんねする?」
「あんまりねむくない。でもお母さまとおふとんにいる!」
こんな夜は誰かとくっついているのが心安らぐ。マルーシャも五歳のころは父母のベッドにもぐりこんで雷をやりすごしたものだ。
なのに今、ミュシカの両親は行方がわからない。元気にしてみせているミュシカだけど、本当はどれほど不安なことか。
「じゃあ洗面とお着替え、しよっか」
「はあい!」
ミュシカはとてもいい返事だった。
こんな幼い子から両親を奪った誘拐事件。いったい誰がなんのために引き起こしたのだろう。
一緒にふとんにくるまって暖まるうちにウトウトし、マルーシャは眠りに引きずり込まれていた。
そして雨のやんだ翌朝、マルーシャは熱を出していた。
目覚めた時にフワフワした気分だなと思ったら、立ち上がってよろけた。寝台に座ってしまい、慌てたラリサに額を確かめられる。
「……熱だわ。今日は動かない方がいいわね、イグナートに伝えてくる」
「え、でも」
「道中で悪化したらどうするの」
軽い風邪だと思う。それならなおさら、さっさと治せばいいのだ。
きっと疲れたのね、とラリサは微笑み、マルーシャをふとんに押し込んだ。
言われてみれば無理もない。ダニールが時計工房を訪れてからというもの、人生に怒涛の変化があった。心身ともに翻弄され、さらに雨に濡れたことでドッときたのだろう。つまりとどめを刺したのは自分ということになるのが情けない。
「じゃあ、頑張って治すから」
「頑張らなくていいの」
めっ、と腰に手をあてるラリサは頼れる母の顔だった。
休養することになったマルーシャは、ミュシカに風邪をうつしていないか心配した。
でもミュシカはケロッと元気いっぱい。うるさくされても困るので、ラリサとイグナートが預かって雨上がりのパルバの町にお出かけしている。
「……マルーシャさん、具合はどうですか」
うつらうつらしていたら扉が遠慮がちにノックされた。宿に残っていたダニールだ。廊下から扉越しに声をかけてくる。
「少し食べられますか。宿のおかみさんがパン粥を作ってくれたので」
「あ……ありがとうございます」
寝ぼけたマルーシャの応答が心もとなかったのだろうか、慌てた声がした。
「無理に起きなくていいんですよ」
「いえ……」
寝台から足を下ろしてみたら、しっかり歩けた。回復してきたかもしれない。
「動けそうです……あ、でも私、寝間着だった」
「え。失敬、そうですよね」
ダニールがうろたえたのだろう、廊下でカチャンと食器が音を立てる。でもマルーシャが鍵を開けないと、盆を渡すこともできなかった。
「あの、扉ちょっとだけ開けるので」
「なるほど。食事だけ渡します、けして見ませんから!」
ギクシャクと言うダニールの反応に笑いをかみ殺しなから、マルーシャは扉の陰から手だけを出した。そこにそっと盆が差し出される。受け取ったパン粥はホカホカと湯気を立てていた。
「はしたない格好ですみません」
「いえ。しっかり休んで下さい。無理をさせて申し訳ありませんでした」
「私こそ足留めしてしまって。今日ダニールさん、つまらないですよね」
眠っているマルーシャとは違い、一人で暇を持て余しているのでは。そう心配したのだが、部屋の机で書き物ができるからちょうど良いと言われた。そういえば学者なのだった。
「マルーシャさんの記録を作成しています」
「私?」
「妖精の力が発現した瞬間から立ち会うなんて、大人ではなかなかないことなので。この短時間で初歩も応用もこなしてみせて、あなたの成長には興味が尽きませんよ」
「あ……そう、ですか」
とても微妙な気分になった。私はやはり研究対象なのか。そういうことを平然と言ってしまうから駄目なんだとイグナートやラリサなら叱るかもしれない。
「まあ、どこにも出せない研究ですが」
「どうしてですか?」
「だってあなたは〈春〉です。秘密の存在だ」
「……まだ違います」
「たぶんそうなりますよ」
扉の向こうで姿は見えないが、ダニールは嬉しげに目を輝かせているのだと思った。発表できない調査なのに、取り組むだけで楽しい。そういう人なのだ。
でも〈春告げの姫〉だなんて。母と同じ祝福を受けているのは嬉しいし誇らしいけど、父が案じるのもわかる気はした。
「……私が〈春告げ〉になったら、毎年どうすればいいんでしょう」
「それは――すみません、できるだけあなたの負担にならない方法を考えます」
ダニールは真剣な声色になって断言した。この人が言うならきっと大丈夫。マルーシャはそう思った。
だってダニールは不器用だけど、頼りがいがある人だとわかっているから。




