第21話 雨の日のおまじない
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「わたしもぎょしゃだい、いきたいな」
「あら駄目よミュシカ。ダニールとマルーシャだけでいっぱいだもの」
馬車は休憩したタタ村を出て、今夜宿泊する町パルバへ向かっていた。
馭者を務めるのはダニール。そしてマルーシャがその隣に座っている。ラリサとイグナートは馬車の中でミュシカに入れ知恵を試みていた。
「なあミュシカ。ダニールとマルーシャちゃんが本当に結婚したら嬉しいか?」
「うん!」
「そうよね、お似合いだと思うの」
「うんうん!」
「だろ? だからあいつらのこと、俺らでいい雰囲気にしてやろうぜ」
「ふんいき?」
「この人って素敵だな、てお互いに思うようにするのよ。あと、なるべく二人きりにしちゃう」
「わあ! おもしろそう!」
クレヴァ夫妻の悪のりは幼女を巻き込む。三人は、とても楽しげにヒソヒソ話をしていた。
その外の馭者台では、マルーシャが速まる鼓動と戦っていた。
折々こちらに向けられるダニールのまなざしが誇らしげに輝いていて、なんだかいたたまれない。花を咲かせるおまじないを二日で習得した生徒マルーシャが自慢なのかもしれなかった。
だけどマルーシャにはその成果が本当に「とんでもない」のか実感がなくて困る。一般的な妖精の使うおまじないのことがわからないから。
それよりも気になってしまうのは、先ほどおまじないを使った時のダニールの立ち位置だ。男性に免疫のないマルーシャにとってあれは異常事態だった。
あらためて見るとダニールは格好いい。落ち着いた知的な男性というのが周囲にいなかったマルーシャにはまぶしい存在だ。まあぜんぜん違う一面もあるのは知っているけど。
なんだか意識してしまうのは昨夜ラリサに「オススメ」されたせいだろうか。
「空が暗いですね……」
困った時は天候の話題。マルーシャは空を見上げてつぶやいた。
タタ村にいる頃から曇っていたが、ますます雲が厚くなっている。もう夕暮れ近いが夜は雨になりそうだ。
「たしかに。宿に着く前に降られるかもしれません」
「ここ、濡れませんか?」
馭者台にも屋根はあるが、足はどうしても雨にあたるだろう。
「雨よけのおまじないを付与した膝掛けがありますよ」
「へえ。面白いですね」
「水をはじいて布が濡れないようにしています」
普通の膝掛けやマントがだんだん湿ってきてしまうのと違い、薄地でも快適らしい。
「文言は、オシュ アン ボルシス」
「……あれ、痛いの飛んでけと似てる」
マルーシャは母に習ったおまじないを思い出した。
あれはオシュ アン イディ イディ。
「水よ去れ、なんです。痛みを去らせるのと共通部分はあります」
「あ……」
飛んでいけじゃなくて、去れだったのか。母は子ども向けに調子をととのえて翻訳してくれたらしい。
「子どもに使うことが多いので、普通はそういう言い回しで教えますね」
「私も子どものうちに習いました……でもそれで本当に痛みが消えちゃうなんて思わなくて。おまじないってすごかったんですね」
「そんなに効いたんですか?」
ダニールが険しい顔をした。
「……おかしいですか」
「普通は少し楽になる程度です。痛みがないと治療もしなくなるし、むしろ良くない」
「あ、ラリサが手当てするように注意してたのってそういうこと……」
「練習すれば力加減もできるようになりますから。頑張りましょう」
とても楽しげなダニール。曖昧にうなずきながらマルーシャは口の中でつぶやいた。
オシュ アン ボルシス。水よ去れ。
ひとつ、覚えた。機会があったらやってみよう。
ポツリ。ポツポツ。
パルバの町に入る直前、予想通り雨が降りはじめた。
「あと少しだったのに」
マルーシャは膝掛けを二人分出した。
見る間に強まる雨足が、布に当たるとサラサラと表面を流れ落ちていく。これは便利だ。
すぐに石畳の通りにたどり着いたが、町はどんより暗かった。外仕事の人々がいまいましげに片付けに追われている。
「おいダニール、やばい雨になったな。行きに泊まった宿にするか?」
「ああ」
小窓越しに車内のイグナートと話したダニールは手綱をあやつる。町の中で速度を上げるわけにもいかずゴトゴトと進んだ。
カッ!
空に光が走った。
「やあんッ!」
ミュシカの泣き声が外まで響いた。雷鳴がとどろく。それとかぶるように、近くで太い悲鳴が聞こえた気がした。
ダンッ、バキバキッ!
ダニールは手綱を引き馬車を停めた。
「屋根から人が落ちたか?」
「ですよね……でも誰も出てこない」
派手に落ちたはずだが、物音が雷鳴にかき消されたのだろうか。マルーシャは馭者台から飛び降りた。
「マルーシャさん!」
「助けなきゃ」
止める間もない。ダニールも慌てて追った。
人が転落したのは目の前のパン屋の屋根からのようだ。横の薪小屋の屋根がひしゃげている。
店の入り口へと走るマルーシャがどんどん濡れていき、ダニールは急いで唱えた。
「オシュ アン ボルシス!」
「すみません! 屋根で仕事している人がいませんでしたか!」
おまじないをかけられたことには気づいただろうか。振り向きもせずマルーシャはパン屋の戸を開け声をかけた。
泡をくって出てきた店の人々により、薪小屋から屋根修理の男が助け出される。怪我はしているが生きていた。マルーシャとダニールは安堵して馬車に戻りかけたのだが、そこで店主が叫んだ。
「薪が濡れちまった! 明日のパンが焼けないぞ!」
従業員たちが凍りつくのがマルーシャにもわかった。




