第19話 村はずれの少年
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翌朝、ラーツの町を発った馬車の中には、またマルーシャとミュシカ、そしてダニールがそろっていた。
昨夜のパジャマパーティーではしゃぎ過ぎ疲れたのか、ミュシカはまだ眠そうだ。マルーシャにもたれて幸せな顔をし、揺れに合わせてうとうとしている。
「眠ってもいいのよ。寝る子は育つだわ」
「うん……わたしおおきくなって、おまじない、うたう」
とろとろしながらミュシカは言う。冬を告げる歌のことだろう。大人になってもきちんと役目をまっとうする気なのだ。
背中をポンポンとして寝かしつけているマルーシャの微笑みを、ダニールは尊敬のまなざしで見た。
子どもの世話とはこうやってするものなのか。いや、ラリサがやっているのはわかっていたが、すでに三人の子持ちのラリサとマルーシャでは違う。どうしてこんな優しい仕草が身についているのだろう。
だがこれが大人として普通なのかもしれない。ダニールは研究以外何も知らない、とイグナートに言われるわけだ。
「マルーシャさんは、すごいですね……」
「はい?」
思わずつぶやいたダニールに、マルーシャは疑問の視線を返した。声は、小さめで。
「……僕は、好きな学問をやるだけで他のことはからっきしですから。家業も弟に押しつけてしまいましたし、人としての能力が低い」
「そんな」
否定しきれなくてマルーシャは困る。この会話すら、ただの自己分析であって世間話とは言いがたかった。
この際さっさと教師としての能力を発揮してもらえばいいのか。マルーシャは、一番知りたいことを尋ねてみた。
「私が母から教わった歌は、〈春〉のものなんでしょうか」
「……だと思います。歌の第三節の部分が季節ごとに異なっているのですが。もしよければ、軽く歌ってみて下さい」
「おまじないとして効いたりしませんか?」
「危なければ僕が阻止します」
さらりと言うダニールを信じることにする。すうすう寝息を立てるミュシカに目を落とし、マルーシャは小さく口ずさんだ。
今日の日に幸あれ
風が我らを守り
光が我らを導く
大地はとこしえなり
春は 生み育てる
命を言祝ぎて
季節の恵みに
心よりの感謝を
「正しく伝えています。〈春〉の歌ですね」
ダニールはうなずいた。小声でも伝わるマルーシャのかすかな力に研究者としての興味をそそられた。
だが、まるい響きの歌声が心地よくて仕事中なのに笑んでしまう。ダニールにしては珍しいことだった。
「やっぱりそうなんだ……お母さんの歌ですものね」
ファロニアを出たアレーシャは、何を思ってこれを娘に歌い聞かせたのだろう。
娘が春に愛された妖精となることを知っていたのか。それともただ、妖精の国と春という季節を愛していたのかもしれない。
「でもどうして歌うんですか? おまじないは唱えるだけなのに」
「これもおまじないの一種には違いありませんが、旋律の効果を加えることで大きな波動を生み出すんです。言葉は物事の本質を把握するものですね? それを声と音階で表し、音律と成す。歌はとても効果があります。儀礼に用いるものとして特別に発達したのでしょう」
軽い気持ちで訊いたことにスラスラと解説が返ってきてマルーシャは目が点になった。
「……ちょっと、難しいです」
「そう……ですか。申し訳ない」
「いえ、私には耳慣れない言葉づかいなだけですよ、きっと」
サラリと気づかわれ、やはりマルーシャはすごいなとダニールはへこんだ。
そしてマルーシャが歌詞の意味を教えてもらっていると、馭者台のイグナートから休憩の声がかかった。起こされたミュシカはすっかり元気になっていて、「おひるごはん!」と馬車から飛び降りる。
そこはタタという村の端だった。
薄曇りの空の下、広がるのは刈り取られた小麦の畑。秋の種まきのために耕されているところもある。手前は野原で、ここに家畜を放しておくのだろう。ぐるりと柵が見えた。
「――気持ちいい!」
道端から野原に入ったところに布を敷く。風にはためきそうなのを慌てて座って押さえ、マルーシャはそんなことも楽しかった。
軽食の詰まったバスケットは宿で作ってもらってきた。みんなが一斉に手を出す。サンドイッチを頬張りご機嫌のミュシカに〈春〉の歌を勉強していたと伝えたら、座ったままピョンピョンされた。
「お母さまうたってたの? わたしもききたかった」
「いい子守唄だったでしょ? ぐっすり眠ってたもん」
「じゃあ、わたしもうたう!」
宣言したミュシカはすっくと立ち上がった。それはマルーシャも聴いてみたい。でもミュシカは、歌うと嬉しくなって力をいっぱいに解放しかねないのだそう。ダニールは苦笑いで禁じた。
「やめなさい。この村に冬が来る」
それは一大事だ。
吹き出したマルーシャだったが、ふと野原から出てくる少年に気づいた。
向こうもピクニック中のこちらに目をとめた。村に戻るためにすぐ脇を通るのだが、表情は強ばっている。よそ者を警戒しているのだろうか。
「お兄ちゃん、こんにちは!」
ニコニコと挨拶するミュシカを、少年は無視した。なんだか悲しそうに見えた。
「あの、ごめんなさいね、突然」
ぶしつけを詫びるマルーシャたちの団らんをチラリとして、少年はぶっきらぼうに言い捨てた。
「邪魔だからどっか行けよ。もうすぐ葬列が通る」




