第13話 妖精としての第一歩
ファロニア侯国。
それは、マルーシャの母の国。祖父であるファロン侯爵が治める国。
ベルドニッツからは途中バルテリス王国を経て馬車で六日ほどだ。
国と同じ名のファロニアが唯一の大きな街だそうだ。他は村ばかりの小さな、だが美しい土地。
山脈を背にして水は豊か。丘と山地に囲まれているおかげで他の国々とは一線を置き、森と湖の息吹に包まれて妖精族の安住の地となっていた。
妖精族が国民の多数をしめるが、それは対外的には秘密だった。国内に暮らす人族でも妖精族との婚姻を結んだ者以外はその事を知らないのだとか。
マルーシャの人生で初めての旅は、その妖精の故地を訪ねるものになる。
それは母の足跡をたどり、春から受け取った祝福を確かめるための旅だった。
「お母さま、ばしゃもはじめて?」
「そうよ」
ミュシカは新しい「お母さま」にべったりだ。でもマルーシャのほうも、仮の娘の頬をなでたり、むにむにしたり、さわり放題にしていた。なごむ。
「ミュシカ……」
「なあに、お父さま」
「……いや、なんでもない」
じゃれ合う二人の向かいに座るダニールの心には、何を見せられているのかという疑問が湧き上がった。ミュシカが甘えん坊なのはわかるが、マルーシャも楽しそうなのが解せない。
基本的に学問や研究しかしてこなかったダニールの人生。馬車に揺られるこんな時間も有効に使いたくてウズウズした。
「――」
だがまずは、マルーシャに妖精として自然とつながってもらってからか。
思い直し、ダニールは窓の外に目をやった。ベルドニッツを出てそんなに経ってはいないが、町近郊の畑や農家もなくなってきた。野原が広がり、森も近づく。
そろそろかな、と思った。
折よく馬が歩調をゆるめる。静かに停まった馬車の馭者台から、イグナートが声をかけてきた。
「この辺でどうだ」
「ああ、ちょうどいい」
いい所があったら停めてくれと頼んでおいたのだ。ダニールは頭を低くしながら立ち上がり、扉を開ける。
「降りて下さい」
「もう休憩ですか?」
マルーシャが外を見ると、そこは風が吹く草原だった。
「わ……!」
馭者台にいたラリサが降りてきて、マルーシャに手を差し出してくれた。そっと支えてもらい馬車から出たマルーシャは息をのむ。知らない景色だ。
広がる野原。揺れる草の実。
向こうの森の木々は、黄金色とまではいかないが秋の気配。
そして空が広い。
「――きれい」
「ふふ、マルーシャは町っ子だものね」
脇のラリサが微笑んだ。旅支度をするうちにすっかり仲良くなって互いに「ラリサ」「マルーシャ」と呼び合っている。頼れる姉ができたようで、ひとりっ子のマルーシャはこっそり喜んでいた。イグナートなどグッと距離を詰め「マルーシャちゃん」と呼び、ダニールに微妙な顔をされている。
ダニールの方は変わらずに丁重だが、マルーシャにとても期待しているのは態度の端々で見て取れた。馬車を背にして野原や森を手で示す。
「ここで、マルーシャさんにおまじないをしてもらいたいのです」
「私が、おまじないですか」
「はい。自然を強く感じられるようになるためのものです。それが妖精としての第一歩なので。町でやるよりも成功すると思います」
「はあ……」
「子どもの頃に誰もが唱える、初歩ですから」
「……わかりました。教えて下さい」
マルーシャが腹をくくると、ダニールは嬉しげな顔をした。本当に研究が好きなのだなとあきれてしまう。
シェイディ。コン。ケルブ。
ダニールは一語ずつ発音した。おまじないがうっかり妙な働きをしないように、だそう。
その意味するところは「我とつながれ」。
「ここにある土や草や風なんかに、そのおまじないを伝えてみて下さい」
「……やってみます」
伝えろ、とは簡単に言ってくれる。
でもすでにマルーシャは、草原の息吹に包まれる心地よさに身をゆだねていた。そしてつぶやく。
「シェイディ コン ケルブ」
ざん――――。
風が身の内を吹き抜ける感覚につらぬかれ、胸がざわめいた。
大地。風。水。光。なにもかも。
自らをとりまくすべてが、くっきりと押しよせる。そしてマルーシャは知覚した。
――これが、世界。
自然とつながる。それが妖精族の力だと言われた、そのわけがわかる。今まさにマルーシャはつながったのだった。
「――お母さま、できた!」
ミュシカが喜びの声をあげる。後ろで見ていただけなのに何を感じたのか、マルーシャに駆け寄ってきた。
「できた……のかな」
「うん、ぜったいできた! ね、お父さま?」
「あ、ああ――」
何故か感極まったように言葉を詰まらせるダニールにマルーシャは不安になった。
「……私、変なことしましたか?」
「いや……すごいな、と。あなたから花の息吹を感じて」
「はい?」
「確信しました、あなたは春の祝福を受けている。マルーシャさんは春の愛し子、次代の〈春告げの姫〉ですよ。本当に安心しました侯爵閣下も喜ばれるでしょう道中では是非おまじないに関しても手ほどきをさせて下さい春を言祝ぐ歌についても正しく伝わっているのかどうか確かめないと」
「研究者の早口やめろ!」
次第に熱を帯びるダニールの言葉をイグナートがさえぎった。
ギリギリ聞き取れなくて気圧されていたマルーシャは、ポカンと口を開けて立ち尽くしている。その表情に気づいて、ダニールは青ざめた。




