第12話 妖精の世界へ
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ぐにぃぃ――。
珍妙な音が時計工房に響き渡り、ミュシカが笑い転げた。
「ねこちゃん、かわいい!」
「そうか、ミュシカは気に入ったか!」
きちんと巻いて動かしてみた柱時計は、先日依頼主に引き取り拒否されたもの。その腹部分からビヨーンと猫があらわれ、そして引っ込んだ。
クリフトが職人としての自分の腕前をミュシカ相手に披露しているのだった。伯父さまとして見栄を張りたいらしい。
あきれ顔のマルーシャ。
困った笑顔のイグナート、そしてラリサ。
ダニールが無表情なのは反応に迷っているからではないかとマルーシャは推測した。旅立ちの支度で数日間こまごまと行動を共にした感想だ。学問以外はいろいろと不器用な人なのだと思った。
旅行鞄こそ母アレーシャのものを譲り受けたが、旅に出るなら買い物は必要だ。
なので町にラリサと出かけようとすると、ミュシカがついて来る。すると保護者としての責任を感じるのかダニールも同道するし、一人だけ残っていてもつまらないのでイグナートも出てきて、結局ぞろぞろ歩くことになるのだった。
というか、買い出し兼ベルドニッツ観光だったかもしれない。広場の時計塔もあらためて見物したし、一番人気のワッフル屋にも立ち寄った。住民のマルーシャよりラリサとイグナートが有名店に詳しいのには笑うしかない。
そして幼いミュシカの奔放さにオタオタするダニールにも笑いをかみ殺した。やはりそういう人なのか。でも子どもにも真面目に向き合う人だとわかって好印象ではある。
みんなで仲良く歩いていると、町の人からますますダニールがマルーシャの夫として誤解されていった。ミュシカが「お父さま、お母さま」と手をつなぎたがるからだ。
クジモとの一件もジワジワと噂になっていて、マルーシャはもうベルドニッツで結婚相手など見つからないんじゃないかと心配になってきた。
ご近所さんの生あたたかい視線は、マルーシャとダニールの未来を見すえている。本人たちは事務的な関係だと考えているのに、外堀はがっつり埋まってしまった。
もう明日には出発する予定なのだが、そうなると嫁に行ったと噂になるのではないか。マルーシャはひそかに戦々恐々としていた。
「猫時計、好きなら持ってってもいいぞ」
「ちょっとお父さん!」
好評に気を良くしたクリフトがミュシカをそそのかし、マルーシャは慌てて止めた。イグナートがポリポリと頭をかいて視線を泳がせる。
「……さすがに馬車に載せらんないですよ、人数多いんで。屋根にくくるしかなくなりますけど」
「妙な物を輸出しないの! お祖父さんだって嫌がるわよ」
娘の抗議にクリフトはつまらなそうに肩をすくめた。
「いやあ、あの人はそんなに堅苦しくないから。心は頑固者だけど頭は柔らかいしね」
にらみつける娘に対し、クリフトはヘラヘラと笑う。
「侯爵っていってもお高くとまってないんだよ。帝政だった昔々に周りと足並み揃えて異民族と戦ったおかげでもらった爵位だとか。都合がいいから名乗り続けてるだけだって」
「……その歴史解釈はアレーシャさんが?」
ダニールが憮然として確かめた。
「ああ。間違ってたかな?」
「……おおむね合っています」
妖精学の専門家ダニールとしては、そのざっくりした認識にため息しか出ない。妖精の国を樹立した侯爵家の直系子孫、アレーシャなのに。
冴えない顔をされてマルーシャはおそるおそる尋ねた。
「……お母さん、まずいこと教えてます?」
「いえ、意外と大まかな方だったのかと感じただけです」
それは……否定できない上に、マルーシャも受け継いだ性格かもしれなかった。
「じゃあ行くね」
「おう、気をつけて」
「お父さんこそ、ちゃんと生き延びてよ」
軽口を応酬しながらマルーシャは育った家の戸口に立った。初めての、旅立ちだ。
クリフトはさすがに寂しそうに肩を落とし、ダニールに小さく笑った。
「閣下によろしく伝えておくれ。アレーシャはたぶん幸せだった、て」
「それはもちろんです」
「あと――」
クリフトはマルーシャのことをチラリと見た。最近は叱られてばかりの、しっかり者に育った娘。
「マルーシャに、妖精のなんたるかを仕込んでやってくれ。僕にはわからんし、アレーシャには教える時間がなかった。きみは専門家だからな」
「――承りました」
ダニールの返事にクリフトは莞爾として笑った。肩の荷がおりたように感じた。
妻アレーシャは最期まで娘を案じていた。妖精の血を明らかに継いでいると思うのに、自分は娘にその生き方を伝えられないから。
「ファロニアから接触があって、実はホッとしたのさ。妖精の世界は僕にはわからないことが多すぎる。頼むよ」
いつもは何かと逃げたがるクリフトから真っ直ぐに言われ、ダニールはうなずいた。妖精の先輩としてミュシカも張り切る。
「お母さま、ようせいのおまじないやってみようね!」
「ふふ、ミュシカに教えてもらおうかな?」
旅路のうちに、マルーシャはきっと未知の自分に出会うだろう。
だってこれは妖精の国へ、見知らぬ世界への道行きだった。何があるかはわからない。
「――行ってきます!」
マルーシャは家から足を踏み出した。
この旅は、きっと楽しい。
ダニールとミュシカと、イグナートにラリサ。みんなが一緒だから大丈夫。
そして――母アレーシャが愛した国と祖父が、道の先に待っているのだ。




