第11話 今の暮らしも幸せだけど
季節を言祝ぐ。
つまりこれは〈春告げの姫〉としてアレーシャが儀式で歌うはずだったものなのだ。
「出だしは春夏秋冬どれも同じなんです。今ミュシカが歌った部分の意味はこうなります」
今日の日に幸あれ
風が我らを守り
「そして、光が我らを導く。大地はとこしえなり、と続きます」
「そう……そう教わりました!」
ダニールにより紐とかれる古い歌。幼い頃から母が聞かせてくれていたものだ。
古い古い言葉だから意味はそのうちね。そう笑った母は、教えてくれる前に病気で死んでしまったけど。
それが故郷ファロニアに伝わる、しかも春告げという特別な役目で歌うものなのだと知ってマルーシャは泣きそうになりながら微笑んだ。
「……大丈夫ですか」
マルーシャの顔がゆがむのを見てダニールが気づかった。
「はい……なんだか、嬉しくて」
マルーシャはエヘヘ、とごまかし笑いをした。母を思い出して涙ぐむなど、十八歳にもなって恥ずかしい。
「――母と、ファロニアがつながった気がしました。私は本当に妖精の端くれなんだなってびっくりしちゃって」
「端くれだなんて。あなたは侯爵家の末で、〈春〉かもしれない方ですよ」
「そんなたいそうなものではありませんけど、私やっぱりファロニアに行ってみたい」
「それは嬉しいです」
ダニールは了解を求めてクリフトに視線をやった。いつもちゃらんぽらんで自由に見える父親は、やや感慨にひたっているようだ。
「――しょうがないなあ。行っておいでマルーシャ」
「なあに。お父さんも一緒でしょ」
「僕はいい」
クリフトは優しい笑い方をした。娘が小さかった頃、遊んでやる妻をながめていた時と同じまなざしだ。
「僕はまだ……アレーシャのいないファロニアを見たくないからね」
思い出の中のファロニアは、いつもアレーシャの声と笑顔に彩られている。今あそこに戻ったら、鮮やかだった妖精の国が空っぽに思えてしまいそうでクリフトは怖かった。
「お父さん……」
「僕は留守番だ。なに、仕事が舞い込むかもしれないし、マルーシャがいなくてもちゃんと暮らすさ。本当におまえが嫁に行けば一人暮らしになるんだしな。予行演習だよ」
記憶の中の人はずっと年をとらない。その母を置き去りにして大人になっていく娘マルーシャは、いずれアレーシャの年齢を越えるのだろう。
それもまた、とてつもなく幸せなことだとクリフトは思った。
いつ出発するか相談しておいてくれよ、と言い置いてクリフトは二階に引っ込んでしまった。なんだかガタゴトと音がしているので悲しみに沈んでいるわけでもなさそうだが、マルーシャはオロオロする。
「……クリフトさん、とてもアレーシャさんのこと愛してるのね」
現在進行形でラリサが言ってくれて、マルーシャはうなずいた。
「それもちゃんと報告だな、ダニール。侯爵閣下も安心する」
「そうしよう。ええと、では同行するのはマルーシャさんだけ、ということで。出立のための打ち合わせをさせて下さい」
ダニールに切り出されて話し始め、マルーシャはすぐに頭を抱えた。旅に必要な物を何ひとつ持っていないのだった。ラリサが指折り数える。
「持ち歩ける洗面道具、服関係が上から下まで。そして何より旅行鞄がないってことね。大丈夫よ、ベルドニッツで買い物ができるなんて私は嬉しいわ」
「ラリサずるい! わたしもいく!」
「まあミュシカったら、女の子ねえ」
「んじゃ買い物は女手に任せようぜ。足りなくても途中の町があるし、さっくりで」
「そうね適当に切り上げる」
クレヴァ夫妻がテキパキと話を進める。でもマルーシャは、自分のことよりも独りになるクリフトの暮らしが不安だった。
「お父さん、平気かなあ……」
「ご近所の方々へお願いすることはできますか?」
「もちろん様子を見てもらいます。でなきゃ私が帰るまでに死んじゃいそう」
クリフトは娘からまったく信用されていないらしい。さすがにダニールも微笑んでしまい、その笑顔にマルーシャは顔を赤らめた。
娘として生意気な態度だったろうか。ダニールから見れば年端もいかない娘が突っ張っているように思えるかも。
「――おーい、あったあった! アレーシャの鞄だよ!」
そこにドタドタと入ってきたのはクリフトだ。埃まみれで腕に抱いているのは、四角い革の旅行鞄。
「お母さんの、鞄?」
「ファロニアを出た時に持ってきたやつだ。だから質はいいはずだぞ、あいついちおう姫君だったからね」
嬉しげに細める目は、たぶんアレーシャとの思い出を見ている。そんな物を使ってもいいのだろうか。
「……きれいに取ってあるのね」
「そりゃあな」
開けてみても内貼りの布まで鮮やかさを保っていた。そこに描かれる鷲の意匠は侯爵家の紋だそうだ。
「私にはこんな立派なのじゃなくていい。お父さんのだってあるんじゃない?」
「僕の鞄はボロボロだし、中でネジとかバネが錆びついてたな」
「なんで!?」
出し忘れてただけさ、とクリフトは悪びれなかった。そして娘に笑顔を向ける。
「せっかくだ、この鞄ぐらい里帰りさせてやってくれ」
そう言われては、マルーシャもうなずくしかなかった。




