095
あの日のことは鮮明に思い出せる。
そこには絶望が立っていた。
凍りつく大地、シベリアをやっとのことで抜けられる。
アメリカ支部…いや、世界連合の軍人たちは、覚者の戦神と氷帝の戦いから逃れられることに安堵し、そして1番過酷だとされたシベリア地帯を抜けたことで、心が浮ついていたのだと思う。
総帥邸はモスクワ。
少し距離はあるが、戦神が覚者の相手をしてくれている。
こちらにだって大規模な損害は出ているが、これ以上先に覚者は現れない。
表向きのロシア支部の覚者は、当時はディセンバーただ1人。
そのディセンバーが戦神と戦っているのだから、あとは総帥邸にいるオクトーバーの首を落とせば、この戦いが終わるのだと誰もが思っていた。
そう。黒き死神を見るまでは。
きっとこの時代、この第5次世界大戦に参戦し、現場を目撃したものは、死神という名に相応しい人間は、道化の死神ではなく、漆黒のルクスだと答えるはずだ。
氷の大地に終わりが見え、白色でない地面に切り替わった時。
そこにいたのは文字通り、黒き死神。絶望だった。
先発隊の連合国軍人の、夥しい数の死。
積み上げられる…いや、まるで散らかされたように転がる死体を前にして、彼らはまだ、この戦いが終わっていないのだと嫌でも理解させられた。
「んだよ…氷帝は戦神が押さえてるって話だろ…?」
「雪原は途切れてる…ここに氷帝はいないはずだ!」
「ならなんなんだよこれは!?隊長クラスが先発隊を全滅させたとでも言うのか!?」
戸惑う連合国軍。
覚者がいない以上、ここから先は隊長クラスの人数でゴリ押しできると思っていただけに、先発隊が全滅しているなんて想定していなかった。
無線が繋がらないのはシベリアが永久凍土だから。
その程度の軽い認識だった彼らは、自分達が圧倒的優勢だと思っていただけに、些細な見落としを続けていた。
人間、勝ちを確信している時ほど油断してしまうものだ。
普段は異常だと気づく行動、仕草があったとしても、勝ちを確信していれば、それすら見落とす時がある。
だから彼らは、無線が繋がらないという致命的な問題をスルーしてしまった。
部隊から混乱の声が上がる。
聖女が着るようなドレスを纏い、ただそのドレスが漆黒で顔すら見えない女が死体の上に立っている。
「悪いけど、ここから先へは通すなと言う依頼なんだよね。引き返してもらえるかな?」
黒衣の女は、そう言って引き返すように促してきた。
その言葉は甘い誘惑のようにも聞こえたが、軍人たちは彼女の言葉に聞く耳を持たない。
「引き返すわけがないだろ」
「お前1人で俺たちを防げると?」
「全員、構えろ」
声からして女。
衣服も明らかに戦闘向きではないし、相手が女1人と確定すれば、怖いものはない。
きっと軍の誰もが、先ほどの絶望の光景を忘れ、そう思ったはずだ。
何かの間違い。
女1人を相手に軍が壊滅するわけがない。
そう思っていた瞬間、戦闘に立っていた軍人の頭が飛んだ。
「は…?」
「全員!今すぐ攻撃を開し…」
開始せよ!
連合国軍、アメリカ支部の隊長が攻撃開始を宣言する前に、黒衣の女は急接近し、隊長の口から上を両断した。
「だからこの線は越えたらダメだって…」
「た、隊長の仇ッ!」
隊長が殺された部隊は、戦時中は死刑宣告も同然だ。
その部隊のトップ、つまり頭が失われたのだから、代わりの指揮系統があったって、部隊としての力は格段に落ちる。
隊長が死ぬと言うことは、部隊のモチベーションにも関わるのだ。
隊長が殺されたことで動転した手前の軍人がデバイスで斬りかかるが、黒衣の女はそのデバイスを容易く受け止め、胴体を一刀両断する。
「がぁぁあっ!」
「痛い痛い!」
「助けてくれ!まだ死にたくないっ…!」
「ぎゃぁぁあっ!」
雪原を抜けた先で、悲鳴が響き渡る。
ようやく辿り着いた温かな世界。
凍りつく大地から抜け出した先に待っている死。
一斉に攻撃を仕掛ける軍人たちを前にして、躊躇いなく攻撃を加えてくる黒衣の女によって、先発第二隊はわずか数分で壊滅することとなった。
「あ…あ…」
バトルスーツに身を包んでいた私は、あの日のことを今でも夢に見る。
血に染まった大地。
漆黒という覚者が初めて確認された、シベリアの先の大地。絶望の果て。
私にもあのような力があれば、この世界の王に…神になれていたのだろうか?
***
「くっ…」
陛下と名乗った男は、機械的な施設の中で壁に手をつき、苦しそうな表情を浮かべている。
歩くのもやっとなのか、足を引きずるようにして施設の壁を頼りに歩く男の前に、白衣を着た老人が現れる。
「まだ因子が定着もしていないのに、張り切りすぎじゃろう。暁悠馬が現れた時は流石に肝を冷やしたわい」
「ドクター…更なる力がいる。今の私では暁悠馬どころか、戦神や漆黒にすら勝てない」
「レッドをのしたというのに随分と弱気じゃな。中継は見ておったが、デザイン定着直後にしては十分な戦果と言えよう!」
興奮気味に両手を広げて話をする、ドクターと呼ばれた男。
彼はデザインの使用を明言しつつ、目の前で疲弊する陛下へと視線を落とす。
「ドクター…暁悠馬を殺すためには、更なる力が必要だ」
「ふぅむ…擬似結界…擬似セラフ化…強化方法は様々あるが、それなりのリスクが伴うぞ?」
「…どれも貴方が第一人者の研究だろう。リスクは最も低いはずだ」
「そう!ワシが擬似結界も擬似セラフ化も第一人者!国から追われている間に結界の略奪実験やデザインの研究は先を越されたが、異能や結界の分野において、ワシの右に出る研究者は居ないと断言できる!そうじゃろ!?」
そう言って自信を覗かせるドクター。
悠馬が高校1年時に解決した結界事件や、サハーラのデザインの研究データに詳しいドクターは、ゲヒヒ!と下卑た笑い声をあげ、白髭を撫でる。
「どうせなら〝アダム〟でデザインの研究を仕切り直し、擬似結界の擬似覚者を作りたかったが…素体はローヴェル君、君でも問題ない。幸い君の身体は、ワシの研究に耐えられる数少ない素体だ」
「またその男の話か…」
「戦後PTSDに悩まされていたお主には、耳にタコができるほど話しただろう!?アリス総帥の邪魔さえなければ、ワシは今頃世界の重鎮になっているはずだったのに…!それほど偉大な研究だったのじゃ!」
もう聞き飽きたと言いたげな陛下、ローヴェルを無視してブツブツと呟くドクター。
彼はアルカンジュが話していた、研究施設のドクターだ。
アリスを上手く出し抜き、非人道的な実験を繰り返したことにより粛清されたはずの研究者。
アダムが名残惜しいのか、擬似結界のせいでレベル1になってしまったアダムに、後天的なデザインで覚者の力も授けたかったと話す彼は、目が虚になっていて今にも達してしまいそうだ。
「イかれたマッドサイエンティストが…」
ローヴェルはドクターの耳に入らない小さな声で呟く。
「ローヴェル君。暁悠馬に勝つには何が必要だと思うかね?」
1人ブツブツと呟いていたドクターは、トリップが終わったのか、落ち着いた様子で問う。
暁悠馬に勝つには何が必要なのか。
これから戦うのは、レッドや戦神、漆黒といった生易しい覚者ではなく、超越者と呼ばれる暁悠馬だ。
「ワシはワシの研究で暁悠馬を殺し、ワシの技術が世界一なのだと証明したい。その為には何が必要だと思う?」
「セラフ化は必須だ。後は複数のデザイン因子を私の身体に投入してくれ」
「それはいい…!暁悠馬は先天的なマジョリティ!マイノリティだった君がマジョリティとなり、暁悠馬を殺したとなるといい宣伝になる!」
悠馬は先天的に、炎・氷・雷・聖・ゲートが使えたわけだが、ローヴェルはその類ではない。
ひとつの異能しか所有せず生まれ落ちた彼は、暁悠馬を殺すべくひとつ目の異能、炎の覚者となる力を得て、これから複数の異能の覚者になるべく生まれ変わる。
そして最後に、セラフ化を。
人類が到達できる最高地点、暁悠馬ですらその領域を超越できない人類の限界に、人為的に到達できる技術力をドクターは保有している。
「しかし大いなる力に代償はつきものだよ。先ほどのリスクの話だが、ローヴェル君。君の寿命は大幅に削られるが…いいかね?」
「構わないさ。私が生きている間、この世界の王として君臨できるなら」
「グヒヒ!よろしい!取引成立じゃ!すぐに作業に取り掛かろうじゃないか!」
ドクターの脅しに屈することのないローヴェルは、寿命が削られると聞いても、不安な素振りを見せない。
「しかし不思議なものじゃな。君とはそれなりに長い付き合いではあるが、まさか君が、そこまで力を求めるとは…」
「ずっと機会は窺っていたさ。だが私には力も機会もなかった。だから諦めていた」
そう、この世界は生まれ落ちた時点で、人生の難易度の殆どが決まる。
学力なんかは努力でなんとかなると言う人もいるが、大半は遺伝、血統によって努力の限界値も決まると言っていい。
だから世の中、天才なんてものが存在するし、いくら努力しても成長できない人もいる。
誰もが期待し絶望し、渇望するのがこの世界だ。
ローヴェルは軍に入る程度のレベルと実力はあったが、オリヴィアやルクスには遠く及ばなかった。
「そうか。いいじゃろう。君にワシの生涯の研究の全てをぶつけよう」
ドクターは覚悟の瞳を向けるローヴェルに、自身の全てをぶつけたくなった。
20年前は研究施設のドクターと、アメリカ支部の軍人だった2人。
今では犯罪者として追われる身と、ただの社会不適合者になってしまった。
自分たちの存在価値を証明するためには、もう手札が残っていない。
残りの僅かな人生を賭けて、科学者として、研究者として自身が世界で最も優れたサイエンティストなのだと、世に知らしめる最後のチャンスだ。
人工的な異能によって、歴代最強とも謳われる異能王の暁悠馬を殺すことができれば、この欲望は満たされる事だろう。
世界の科学者たちは、自分のことを認め、偉人として名を残すことができる。
アメリカ支部で問題視され、極秘事項として表舞台から消されたすべての研究を、公表できるかもしれない。
そう考えるドクターは、壁にあったスイッチを押し、扉を開く。
プシューっと近未来的な音が響き、開かれた扉から冷気が漏れる。
「これは…」
ローヴェルは真っ赤な瞳で、緑色のライトに照らされる扉の先で大量に培養されている少年少女を見る。
「ゲヒヒ…時間稼ぎの捨て駒はこれだけ用意してある。君が最強になるためには時間を要するが、その間は彼らに時間稼ぎをしてもらうとしよう」
ドクターは培養器を指さし、そう話す。
数にすればおおよそ数百。
実力がどれほどなのかはわからないが、状況からして全員が覚者クラスだと推測したほうがいいだろう。
何しろ彼は、デザインの研究データをテロリストから買い取り、この短期間でローヴェルにその研究成果とも言える覚者の力を授けることに成功している。
本来であれば第二次性徴が終わるまでの間でなければ成功しないはずのデザインを、40代のローヴェルで成功して見せたのだ。
そんな彼にとって、第二次性徴前の子供を覚者にすることなど、簡単なこと。
ドクターは培養器からローヴェルへと視線を移すと、部屋の奥にある巨大な培養器へと指を向け、ニヤリと白い歯を見せる。
「ローヴェル君。早くこちらへ来たまえ。君を神すら殺す異能力者にしてあげよう」




