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dear…  作者: 平平方
終章Ⅲ
89/103

089

 エジプト支部総帥邸に入り、総帥室の椅子に座る。


 特に焦る素ぶりも、居心地悪そうな反応をすることもないサハーラは、革製の椅子に座り、茶色のデスクの上で業務をこなしている。


「ずいぶん余裕そうだな。てっきり焦ってると思ったが」


 少し嫌味っぽく、尋ねてみる。


 禁止されていたはずのデザインの研究データが奪われ、犯人も見つかっていないというのに、サハーラは通常運転に見える。


 サハーラは悠馬の質問に対し、一度顔を上げたが、すぐに視線を落として書類作業を再開する。


「焦ったところで、やるべき仕事が減るわけじゃない。今できる業務をしているだけだ」


「そりゃそうだ」


 サハーラは昨日焦った様子を見せていたが、冷静さを取り戻したようだ。


 焦って犯人を追跡したところで、やるべき仕事はいつも通り溜まっていく。


 戀がグール事件中仕事を放棄していて業務が溜まったように、エジプト支部にだって通常業務はあるわけで、研究施設の事件だけに集中していいわけじゃない。


 冷静に物事を分析し、現状これ以上テロリストたちの追跡が望めないと判断したサハーラは、淡々と日々の業務をこなしているというわけだ。


「それに今は、お前と戦乙女もいる」


「あまりアテにされても困るんですけど」


 昨晩研究施設内に侵入している美月は、悠馬よりも遥かに警戒した様子で話す。


「なぜアテにされると困るんだ?」


「サハーラ総帥が私たちに情報を隠してる可能性があるからですよ。あの動画だけで犯人を探せなんて、無理に決まってるじゃないですか!」


 美月が声を荒げる。


 警察にも情報を共有していない可能性が高い状況で、動画の情報を知っているのはごく一部。


 挙句サハーラが研究施設を封鎖しているため、欲しい情報があっても簡単に手に入る状況ではない。


 サハーラが敵じゃないことはわかっているが、それでも情報を隠しているのではないかと不信感を抱くのは仕方のないことだ。


 しかしサハーラは、美月の指摘を聞いても臆することはない。


「言ったはずだ。あの女…悪神が関わっているせいで、証拠らしい証拠が残っていないんだ」


 動画で悪神は力を使っていなかったが、テロリストが使っていた異能はどれもありきたりなもの。


 特別目立つ何かがあれば、犯人まで特定できたかもしれないが、テロリストの全員が身体強化系らしき挙動の攻撃しかしていない。


 身体強化系は使用しているかどうかわかりにくい上に、加減でレベルを誤魔化すこともできる。


 六大属性ならば耐性を確認されれば覚者かそうでないかなんて簡単に判別できるが、身体強化系のレベル測定は、測定時にどれだけ全力を出しているか、どれだけ手加減をしているかで結果が出るため、不正登録もしやすい。


 エジプトの人口が1億人で、おおよそその1割の人間が身体強化系の異能であるとされているから、数人のテロリストのために、1000万人を調べ上げるのは現実的に難しいだろう。


 指紋も何も残されていないし、前科ありの犯罪者である線も薄い。


 もちろんだからと言って調べるのは辞めてないし、データベースから身体強化系の異能力者を絞ってはいるものの、犯人に辿り着けずにいるサハーラは、淡々と言葉を返す。


 美月が意見を主張し、サハーラがそれに対して業務的に返したことで始まった重苦しい雰囲気。


 そんな状況でも雰囲気など気にしていないのか、さっきまでと変わらず淡々と業務をこなすサハーラと、会話がうまく進まず深いため息を吐く美月。


 2人の一連のやり取りを見ていた悠馬は、音が鳴るよりも早く、総帥室の電話が光ったことに気がついた。


 遅れて総帥室内に、ベルのような着信音が響く。


 サハーラはベルのような音が鳴るとともに、受話器を手にして耳元へと手繰り寄せた。


「俺だ。…なに?」


 受話器を手にしているサハーラは、一瞬眉間に皺を寄せると共に、スピーカーボタンを押して、総帥室内に電話の内容が聞こえるようにする。


 〝ですから突然、暴動が起きて手に負えません!理由は定かではありませんが、様々なことを叫びながら行進をしているようです!中には武器を持った人もいると聞いています〟


「!?」


「警察は?」


 〝既に出動していますが、各地で暴動が発生しているため、鎮圧には時間がかかるとのことです〟


「俺も動く。大きな暴動、特に被害が出ているところから鎮圧するように」


 〝はっ!各地の暴動データをすぐにお送りします!〟


 そう言って電話が終わり、受話器を元の位置に戻す。


「…と言うわけだ。各地で暴動が起きているらしい」


 サハーラは椅子から立ち上がると同時に、目を閉じて話す。


「暴動って言ったって、今のエジプト支部は大規模経済成長の最中だろ。こういう時、国内は総じて不満は少ないはずだ」


 大きな経済成長の中、国民の生活水準も上がってきているため、自然に暴動が起こるとは考えにくい。


 経済成長期間中は、他国よりも自国が圧倒的に成長し、世界的な立ち位置も向上して行くため、どこの国もイケイケムードで、国内で暴動なんて起きないはずだ。


 少しずつ誰かが火をくべて、暴動という名の大きな火事になった可能性も考えられるが、その場合は事前に予見できるし、何かが燻っていて国民の不満が爆発した可能性も低い。


「テロリストが関与しているかもしれない」


「俺もその可能性が高いと思う」


 美月が導き出した答えに、サハーラも同調する。


 今のタイミングで暴動を起こして最も得をするのは、デザインの研究データを盗んだテロリストたちだ。


 上手いように暴動の位置を調整されていれば、出国可能な陸海空いずれかの警備を手薄にすることだってできるし、サハーラの気を暴動に向けることができる。


 国民の安全を取るか、自分の体面を取るか。


 国民の安全を取るならばデザインの研究データを諦めなくてはならないし、自分の体面を取るなら、国民の安全は諦めなくてはならない。


 研究の禁止されたデザインの流出という、本来あってはならない問題事項を前にして、サハーラは極限の2択を迫られている。


 この一瞬に、様々な思考が入り乱れる。


 国民の安全を最優先にして、デザインのデータを国外流出された場合、経済制裁の他に、戦争が起こりかねないトラブルが発生する可能性も高い。


 しかしだからと言って、国民を見捨ててデザインの研究データを追うなら、近い将来国内からの反発は必ず起こる。


 もし仮にデザインのデータの流出を免れたとしても、今後国民の不満は溜まっていく一方だろうし、国を見捨てた愚かな総帥として歴史に名を残すことになるだろう。


 サハーラは短い思考の中で、自己のできる最適解を見つけ出す。


「戦乙女と俺が暴動を止めるから、暁、お前は各暴動から最も離れた空港に向かって欲しい」


「賭けに出るつもりか?」


「ああ。犯罪心理的に、この動きに全てがかかってる。…俺が暴動に顔を出せば、ヤツらはしてやったりで空から逃げるはずだ」


 船や陸路なんかよりも、飛行機は検問が少ない。


 船内には警備員がいるし、陸路には国境警備隊や検問をいくつも設置できるわけで、そう考えると出国の手続きと入国審査だけで逃げ出すことができる飛行機を使用するはずだ。


 それに飛行機だと、最短時間でどこまでも逃げられるからな。


 その気になれば世界の裏側まで簡単に行けるのが飛行機で、だからこそ目的地があるなら、迷いなく空路を選ぶことだろう。


 どこの国に逃げ出すかはわからないが、一旦はサハーラの言う通りに動くとしよう。


「わかった。俺が本隊を探し出して、直に叩く。美月とサハーラは、暴動を収めるように立ち回ってくれ」


「ああ」


「うん、わかった」



 ***



「なんだよこの力…すげぇな…!」


 人間の同調圧力というのは凄まじい。


 みんながこうしているからこうするのが正しい。

 おかしいとは思っているが、みんながおかしくないと言うからとりあえず同じことをする。


 そうやって周りと同じことをしていないとおかしいからと、全く無駄な手順を踏んで作業をして、結果時間だけがかかってしまう。


 人間はみんな一緒じゃないと気が済まない生き物だ。


 自分が多数派でありたい、自分が属する勢力が優勢でありたいと考えるからこそ、白人はそのほかの人種を見下し、黒人は黄色人種を馬鹿にする。


 それが真理だ。


 同調圧力からくる差別、自身が優位でありたいと言う承認欲求からくる差別。


 それら全て混ざり合ったのが、現代社会。


 まさに闇鍋だ。


 テロリストの実行犯である茶髪に浅黒い肌の男は、眼下に広がる大暴動を見て、興奮気味に両腕を広げる。


「俺はごく一部の人間に洗脳をかけただけなのに、面白いくらいに人が集まりやがる…!」


 彼は悪神から力を授かり、その力を一般人に行使した。


 異能の名前は洗脳。


 悠馬がクソ異能と話したその異能は、レベル差を無視して術中に陥れることができる。


 無論、レベルが高ければある程度の抵抗力もあるため、暫くすれば自身で無理やり洗脳を解くことも可能だが、悠馬でさえも、洗脳を解除するには数分の時間を要する。


 数人を洗脳しただけで、同調圧力に負けて暴動を始めた民衆を見下ろしていると、爽快感すら感じる。


 自身が世界を動かしているという圧倒的な優越感、悦に浸る男は、突如吹き荒れた砂嵐に顔を隠す。


「くっ…なんだ!?」


「砂嵐だ!」


「予報は出ていなかったはずなのに…!」


 砂が舞う風の中、微かな声が聞こえてくる。


 予報にない砂嵐。

 自然現象は予想ができないのが当たり前と言えば当たり前なのだが、この規模の砂嵐を予測できないのは明らかにおかしい。


 暴徒を全員拘束するように吹き荒れる砂嵐に、茶髪の男は茶色に染まる視界の中で人影を見た。


「楽しそうだな。俺も混ぜてくれよ」


「クッソ…!俺のところに来やがったか…!」


 冷や汗を流す。


 エジプト支部でも歴代最高の総帥として名高い、サハーラ。


 前総帥のシェーナの評判も非常に高かったが、それすらも軽々と超えたこの男は、何を隠そう悠馬たちが高校3年時のフェスタ優勝者。


 これまでの輝かしい栄冠を全て手にしている男が、目の前に立っている。


 世界各国の実力者が選ばれたフェスタで優勝するほどの強者に、果たして勝てるのだろうか?


 まさか自分のところにサハーラが現れると思っていなかったのか、茶髪の男は一歩後ずさる。


 砂嵐のせいで視界が悪く、ハッキリと顔がわからない。


「デザインの研究データはどこにある?」


「ハッ、知るかよ!そんなに大事なものなら総帥邸にでもしまっておけ!」


「確かにそうすべきだったな」


 男の挑発的な話を聞いても、サハーラは怒りを露わにしない。


 ただ欲しい情報について話し、その情報をもらえなかったという事実だけ受け取ったサハーラは、髪をかきあげるような仕草を見せる。


「いい加減このうざってえ砂をどうにかしろ!」


 視界が悪く、戦いにくいったらありゃしない。


 サハーラの異能で砂嵐が起こっていることは間違い無いと判断した茶髪の男は、腕を振り払って砂を消すように命令した。


 それは洗脳の異能を込めて。


 かかった!


 いくらエジプト支部総帥と言えど、洗脳の力には抗えない。


 敵が誰であろうが、洗脳という異能がレベルを無視する以上、警戒していたって意味はないし、気づけば言いなりになっている。


 サハーラが無警戒に近づいてきたおかげで洗脳を発動させることができた茶髪の男は、自身の力で総帥を制圧できたという喜びを感じる。


「おいサハーラ…お前はここで1日待機してろ。あと俺のことは忘れろ!いいな?」


 砂が舞う空間の中、畳み掛けるように指示を出す。


 飛行機に乗り完全に逃げ切れるまでの時間、サハーラをこの場に拘束し、記憶を忘れるように指示。


 悪神から授かった力を余すことなく使い、思うように事を運ぶ男は、身動きを取らないサハーラへと視線を向ける。


「…俺は忙しくてあまり時間がないんだ。お前との会話は時間の無駄だから、もういいよな?」


「は…?」


 帰ってきた返事に、硬直する。


 洗脳を発動させ、2回も指示を出したというのに、どちらも失敗したのか?


 周囲を見渡せば、砂嵐は収まる気配がなくより一層強まっていた。


 しかしあり得ない。


 洗脳という異能の恐ろしさは誰もが知っているからこそわかるが、あれこそ人が持てる最強の異能、権能に近い力だ。


 いくらサハーラでも、その洗脳に抗うなんてことは絶対にあり得ない。


「どういうことだ!?」


 サハーラに洗脳が効いていないと知り、拳銃を構える。


 この距離なら絶対に当てられる。


 砂嵐が吹き荒れていようが、距離としては5メートルにも満たない近距離のため、銃を外す心配はない。


 殺すつもりはなかったが、洗脳がうまく効かない以上殺すしかない。


 洗脳が効かなかった原因はわからないが、ひとまずサハーラを処理するのが先だと判断した茶髪の男は、なんの躊躇いもなくセーフティを外し、引き金を引いた。


 砂嵐が吹き荒れる音の中、バン!という乾いた音が響き渡る。


「ったく…手間取らせやがって…」


 洗脳が効いていたら殺すこともなかったが、今のは仕方ない。


 砂嵐の中、見事にサハーラの胸元を撃ち抜いた男は、彼の胸元に銃弾の風穴が開いているのを確認したのち、そう呟いて拳銃を下した。


「恨むなら自分の不運を恨めよ。総帥野郎」

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