087
美月が睡眠薬を盛ったことにより、悠馬が眠った後。
ホテルの一室から出た美月は、部屋の中と付近に、闇の球体を設置していく。
これは一種の保険だ。
悠馬を睡眠薬で眠らせてしまっているため、万が一襲撃された際、自動で迎撃できるように構築した、闇の異能。
敵意や殺意を感じれば、自動的に攻撃を放ち、使用者へと異常を教えてくれる。
まぁ、簡単に言うとセキュリティみたいなものだ。
加えてこの異能は、対象を監視することもできる。
間違って悠馬が出てきても、どこに行ったかわかるようにするため部屋の中にも闇を残してきた美月は、エレベーターを降り、闇夜のエジプト支部へと繰り出す。
夜のエジプトは暗いイメージがあるかもしれないが、日本と比べてかなり明るい。
ピラミッドはライトアップされているし、街中もギラギラとしたライトで照らされていて、その光景はドバイを彷彿とさせる。
武器会社の社長であるサハーラが総帥になってからというもの、エジプト支部は多方面で躍進的な成長を遂げてきた。
経済成長に加え、国内整備や他国の援助などなど。
今や世界各国で比べてもトップクラスの経済成長を誇るエジプト支部は、まさに煌めく都と言う言葉が似合う空間だ。
どこか異国に紛れ込んでしまったような(実際異国だが)、そんな感じがする美月は、興味深そうに夜の屋台や人々を見渡し、歩みを進めていく。
「お姉さん、ご飯どうだい?」
「お姉さん、土産物売ってるよ!」
声をかけてくる現地住民をスルーする。
こう言うのにいちいち反応していると、キリがない。
一度買い物をしてしまうとカモだと思われて現地民が集まってくるし、下手をするとぼったくられたり付き纏われたりして、思わぬ時間ロスに繋がってしまう。
だからこう言う時は、聞こえてないふりと言語がわからないふりをしていればいい。
自分に声を掛けていると気づかない素振りで歩いていく美月は、今夜の目的の場所である、デザインの研究所を目指している。
デザインの研究所は、少し離れた首都と郊外の間にあるが、ここから徒歩で向かっても15分程度の距離感だ。
サハーラはデザイン研究所の位置をひた隠しにしていたが、美月にとって研究所を割り出すのは朝飯前。
研究所をカムフラージュするため、絶妙な位置に施設を作って気づかれないようにしたのだろうが、空中庭園には色々な情報が入ってくるため、研究所を特定するのは難しくないと言うわけだ。
頭の中に叩き込んでいる研究所へと近づくにつれ、気配を消していく。
最初は美月に声を掛けていた現地民たちも、美月が気配を消したことで存在に気づいていないのか、横を過ぎ去る人々も、珍しいアジア系の美月の顔を見ることがない。
奇妙なまでに現地民からスルーされ始めた美月は、一度路地裏へと入り、自身の身体に闇を纏わせた。
これで気配の遮断は完璧だ。
人は気配を感じて危険を予期したり、聴覚で異変を察知したりすることができるわけだが、今の美月は闇を纏っているため、衣擦れの音一つしない。
それに気配も極限まで薄めているため、凡人であれば簡単に見落としてしまうことだろう。
月夜に煌めく銀髪を漆黒に染め、瞳以外全てを闇で覆った彼女は、軽々と跳躍して見せると、エジプト支部の建物の上に登った。
「よっと…悠馬がいつ起きるかわからない以上、早めに終わらせないとね」
きっと目覚めた時に誰もいなかったら、悠馬は不安がることだろう。
悠馬に任せておけと大見得を切った以上、何の収穫もなく帰るのは許されない。
もちろん悠馬はそれでも表情ひとつ変えずに許してくれるだろうが、美月にだってプライドがあるため、何もできませんでしたなんて言いたくない。
エジプト支部の少し変わった建物を跳躍しながら渡り歩く美月は、その中の一つにある、唯一別の材質の建物を発見して動きを止める。
「ここだよね」
一つだけ材質が違う。
もちろん材質の違いなんて建物を建てた時期によって変わるし、建築者が要望に応じて建てるわけだからザラなわけだが、これは一味違う。
靴を履いていれば問題ないが、纏っている闇が一度揺らいだことを確認した美月は、これが異応石でできた建物だと知る。
これは明らかに、現代人が住めるような建物じゃない。
異応石で外壁が為されていることで、エジプト支部の重要な施設だと判断した美月は、大まかな場所から研究施設を割り出し、闇の中に沈む。
「これ嫌いなんだよね…」
小さな声でボヤく。
闇異能の使い手である美月も闇移動を使えるわけだが、これは元を辿れば聖魔の使い方を真似しているだけであって、闇の中では何も見えない。
真っ暗な空間で、ただ感覚を頼りに進んでいくという都合上、それが嫌だと感じる美月は、感覚で建物内部に入ったのだと判断し、透過の異能を発動させて地面に降り立つ。
幸いなことに、施設内の床は異応石で作られているわけではないようだ。
まぁ、ここまで異応石で作られていては、研究者たちが落としたものすら拾えない状況になるし、万が一の時に自己防衛もできなくなるから、床の材料に異応石が使われていないのは当然のことだ。
「にしても暗い…」
エジプト支部の研究施設のはずなのに、すでに電気は消えているし、人の気配すら感じない。
いくら日中に襲撃を受けたと言えど、今日まで稼働していた施設に人が1人もいないなんてことがあり得るのだろうか?
もしかしてニセの情報をつかまされてた?
一瞬そんな可能性を考えるが、培養器や薬品関係が置いてあることから、ここが最近まで何かの研究をしていた施設であることは間違いない。
異応石だって外壁に使うだけの量を用意するのは数億以上するし、ここが異質な空間であることを、物語っていると言っても過言ではない。
何の音もしない空間の中、一歩踏み出す。
その時だった。
美月が視線を落とすと、そこに砂が舞っていた。
「っ!?」
咄嗟に闇の異能を発動させ、身を隠す。
「おかしいな…今何かいたような気がするんだが…」
闇の中で気配を殺して声を聞く。
その声は間違いなく、エジプト支部総帥のサハーラの声だ。
直近で研究施設が襲撃されているからなのか、総帥直々に監視していると知った美月は、冷や汗を流しながら動きを止める。
マズイ。
サハーラは比較的温厚な性格ではあるものの、こんな大逸れた実験を裏で行っているくらいだし、侵入がバレたらどうなるかわからない。
そもそも彼の許可なく研究施設に立ち入っている美月は、サハーラを強く警戒しながら、彼が居なくなるのを待つ。
「少し神経質になっているのかもしれないな」
研究室への襲撃を容易く許してしまったことで、結果的に大惨事になっている。
異能王である悠馬に研究がバレ、その研究情報が世界各国に流出する可能性もあるのだから、サハーラが神経質に監視をするのは仕方のないことだ。
周囲を見渡しても誰も居ないこと、気配すら感じないこと、加えて砂の動きでおかしなところがないことも確認したサハーラは、一度ため息を吐き、冷静さを取り戻したのか去っていく。
「あっぶな…アレ絶対に覚者でしょ」
サハーラの足音が完全に聞こえなくなるのを待ってから、闇の異能の中から飛び出す。
透過状態は解除せず、ようやく極限の緊張から解き放たれた彼女は、悪口のようにサハーラが覚者だと呟いた。
砂の覚者は確認されたことがないから正確にはわからないが、サハーラの異能はその他の砂異能力者と一線を画している。
そもそも砂の動きを感知して気配に気づくなんて芸当は他の異能力者にはできないし、この研究施設全体を捕捉しているとなれば尚更。
砂の異能は防御攻撃共に優れて入るものの、索敵には優れていないはずなのだ。
それにフェスタの夜ですら、悠馬が鳴神に雷切まで使用しているのだから、その時点ですでに総帥に匹敵する力を保有していた考えた方がいい。
どう考えたって、アレはセラフ化も使えるし覚者の領域に至っている。
「そうとなれば、分が悪いのは私の方か…」
今のサハーラをうまく掻い潜り、研究施設内を見て回る方法がない。
しかし手段がないわけではない。
「結界…ヘルメス」
美月はヘルメスの結界を発動させ、透過状態で堂々と闊歩し始める。
先ほどまで舞っていた砂は、美月が歩いても反応することなく、特に異変を感じ取っていないようだ。
「やっぱりヘルメスは便利だね。幸運を呼び込むって、解釈次第ではこうなるんだからメチャクチャだよ」
ヘルメスの結界が強力な点は、乱数調整にも近い幸運を呼び込む力。
ワールドアイテムに引けを取らない、いや、多分ワールドアイテムなのだろうが、ヘルメス自身が気まぐれだったため、ハデスやヘラクレスと同じく契約者が過去にいない、貴重な神器。
ヘルメスの全恩恵を欲しいままにする美月は、結界使用時で言うなら、オリヴィアに匹敵する力を持っている。
そもそもヘルメスの幸運という乱数調整のせいで攻撃は当たらなくなるし、こうして覚者のサハーラが警戒状態で砂を使っていても、反応しないくらいだ。
ヘルメスの結界を使用したことで、研究施設侵入の難易度が一気にイージーになった美月は、残された研究施設の資料へと視線を落とす。
資料には血の跡が滲んでいる。
「…これは……」
おそらく戦闘の後なのだろうか?
つい昼の間に研究施設は襲撃されているため、その時に付着した血痕である可能性が高い。
この研究施設は秘密裏にデザインの研究をしていたことから、警察機関ですらこの場への立ち入りが許されていないのだろう。
秘密というのは共有者が増えれば増えるほど脆くなっていくわけであって、誰が誰に話をして、どこに広まっているのかはわからなくなっていく。
もし仮にこの場に警察を呼べば、正義感を強く持った人員が内部告発をしてもおかしくないし、サハーラの判断は正しいのだろう。
しかしこの現場をサハーラ1人で処理するには無理があると思われる。
いくら極秘研究で周囲に知られたくない内容といえど、これでは見つけられる犯人も見つけられない。
恥を承知で異能王への依頼をしたのはわかるが、それ以外にもするべきことがあるだろと文句を言いたくなる。
「…でも、警察に言うより悠馬に言った方が安心できるのは事実か…」
警察内部に悪神の内通者やテロリストの人員が紛れ込んでいないとは言い切れないし、そんな人員を研究施設内部の捜査に入れたところで、重要な情報を抜かれたり、証拠隠滅される可能性すらある。
ならば異能王の悠馬にだけ情報を共有して、戦乙女と共に捜査してもらった方が、圧倒的に信頼できると考えたのだろう。
しかし悠馬に依頼をしたのに、なぜ研究施設を確認させてくれなかったのだろうか?
動画提供はしてくれたものの、現場確認をさせてくれなかったサハーラに疑問を抱く。
ここに重要な証拠が残っていないと判断したのか、それとももっと別の、見られたらまずいモノでもあるのか…
そう考えながら歩いていくと、左手側に見えた部屋の中が光っているような気がして、顔を上げる。
それは直感的なモノだった。
本当に何を考えるでもなく、光に反応するように顔を上げた美月は、その空間にあったものを視認し絶句する。
「な…」
なんてものを…
美月が向ける視線の先には、青白く照らされた培養器が複数並んでいる。
いや、別に培養器があるからと言って問題にはならないのだが、問題なのはその中身だ。
培養器の中には、人の姿があった。
全身を培養液に浸され、生きているのか死んでいるかもわからない状態で保存されている人間の姿を見ると、恐怖を覚える。
目は半分ほど開いている状態だし、全裸だしで不気味な感覚を覚える美月は、静かに内部へと足を踏み入れる。
世界各国、戦時中は人権を無視した人体実験をやってきた。
無論今だって、人知れず非人道的な人体実験を行っている国はあると思う。
デザインが発表された時は、人になる前の遺伝子を組み替えるだけだったから、大きな人権問題には発展しなかったが、このエジプトのやり方を見ると変わってくる。
第二次性徴が終わるまでであればデザインできると言う話の時、美月は都合の悪い情報から目を逸らそうとしていたのだと、自覚させられる。
そう、第二次性徴前までにデザインができると言うことは暗に、エジプト支部は子供たちで人体実験を行っていると申告しているようなものだったのだ。
培養液に浸される、10代の子供たちを見つめる美月は、悍ましい何かを感じ、肌を摩る。
これは明らかな人権侵害だ。
サハーラにはこの件について、詳しく話してもらう必要がある。
そう結論づけた美月は、部屋の片隅に壊れている培養器があることに気づく。
培養器のガラスは割れ、液体が全て漏れていて、中に入っていたであろう人の姿がない。
「一体…」
どこへ行ったの?




