086
「誰かを信じるため、か…」
そんな生き方ができたら、きっともっと人生が輝いていたことだろう。
憎むためじゃなく、誰かを信じるためにやり直す。
真っ直ぐな彼の瞳を見て、心を射止められたティナは、世界樹から抜け出そうと身体を捩る。
「…手伝ってはくれぬか?ソナタの言う通り、ソナタを信じて最後にもう一度、やり直そうではないか」
「良い答えだな」
彼女を抱きしめていた手を離し、異能を発動させて世界樹に力を加えてみる。
「っ…なるほど…結構硬いな」
「だろうな。なにしろ神が作った巨大樹だ。簡単に破壊できるわけはない」
ティナだって世界樹に侵食された直後はどうにかして抜け出そうとしただろうし、セカイを用いて抵抗したはず。
しかし彼女が抜け出せなかったと言う事はつまり、ひとえにセカイでは抵抗ができなかったということだ。
しかし今は、セカイが2つある。
世界樹の内側から抵抗するティナのセカイと、世界樹の外側から加圧を加える悠馬のセカイ。
きっと以前よりもう少し、この世界樹をどうにかできるはずだ。
「枯れろ」
悠馬が世界樹に触れてそう告げると、ティナの周囲を侵食していた木の色が、少しだけ褪せたような気がした。
ここからどうするのが正解だろうか?
無理やり異能を放って世界樹を破壊しても良いが、ティナへダメージを与えかねないし、崩壊を使おうにも難しい部分がある。
世界樹に少しのダメージを与えた悠馬は、どんな異能が有効なのかを考え、対策を用意しようとする。
そんな時だった。
ティナは真っ赤な瞳を青色に変え、白水色の髪を揺らして強力なオーラを放出する。
「っ!?」
悠馬はティナの強力なオーラを感じ、咄嗟に飛びのく。
まさか戦う気か?
悠馬が世界樹にダメージを与えたことで、一気に力を解放したティナ。
そんなティナに対し、一瞬彼女の言葉が嘘だったのではないかと考えてしまったが、悠馬の警戒は彼女の青い瞳を見て、すぐに治る。
「行けそうか?」
「ソナタが外部からダメージを与えたことで、内側に隙ができている…このくらいならば…!」
妾1人でなんとかできる。
世界樹から強引に右手を引き抜き、ようやく上半身が世界樹から抜け出たティナは、真っ白な肌を惜しげもなく晒し、悠馬に手を伸ばす。
「引っ張れば良いか?」
「ああ、頼めるか」
「もちろん。しっかり掴まれよ」
ティナの左手を掴み、腰を抱き、思いっきり世界樹から身体を引き抜く。
これがかなり重い。
…いや、女の人に重いなんて言ったら失礼なのはわかっているが、ティナの場合世界樹に身体が侵食されているから、重く感じてしまう。
「ふぬっ…!」
身体強化の異能を発動させ、強引に彼女の身体を引き抜く。
ようやく世界樹との繋がりが途絶えたのか、軽くなったティナを抱き上げた悠馬は、彼女を地面へと下ろし、手を離す。
「おっと…」
久しぶりに立つからなのか、腰から手を離すとよろめいたティナの腰に再び手を添える。
「…どうやらセカイは機能を完全に取り戻したようだな」
彼女のオーラが変わった。
壊れかけていたセカイ、彼女の死にたいという願望を強く体現し、機能を失いかけていたセカイ。
悠馬の言葉で揺れ動いたティナの気持ちを汲んでか、セカイの異能は本来の力を取り戻している。
「ああ。…残りの人生をソナタに注ぐため、この力は必要不可欠だからな」
ティナはそう言って微笑む。
きっと時代が違えば、分かり合えていたかもしれない。
同じ学舎で時を過ごし、同じ過程で成長していたら、きっとティナ•ムーンフォールンと暁悠馬は、互いに背中を任せられる存在になっていたはずだ。
しかし現実とは無慈悲なもので、同じ時代に望む人間が現れるとは限らない。
結果としてティナと悠馬は、敵対関係となり、殺しあう結末を迎えた。
「暁悠馬」
不意に声をかけられる。
「なんだ?」
「…感謝する」
「感謝にはまだ早いだろ。これからの方が過酷だぜ?」
少し恥ずかしそうに感謝の言葉を述べた彼女に、そう返す。
今はまだ悪神の目にも付いてないから問題ないが、ティナが世界樹から抜け出したと知られると、悪神がまた現れる可能性がある。
それに今から神格を得て時間遡行をするにしたって、彼女には相応のリスクが伴うはずだ。
悪羅百鬼は神格を得ずに人の身で時間遡行を実行したが、神格を得ている場合、時間遡行がどういう結果に収まるのかわからない。
神という格を得ているため世界から爪弾きにされる可能性だってあるし、何より可能性の破壊という時間遡行の難易度が、圧倒的に上昇する可能性すらある。
「それはそれだ。もし仮に妾が失敗したとしても、ソナタには関係のないコトだろう」
冷たい口調で告げられる。
実際彼女の言う通りだ。
ティナの言う通り、彼女が時間遡行で失敗しようが成功しようが、悠馬には関係のない話。
なんてったってティナの時間遡行はティナの時間軸で行われるため、暁悠馬はまだ誕生していないことになる。
悠馬が時間遡行で未来に行けないように、ティナだって暁悠馬の生きる未来にはいけないと言うことだ。
だから極論、ティナが過酷な時間遡行で失敗しようが、悠馬には関係ない。
感謝にはまだ早いと言われ、それはそれだから素直に受け取れと言いたげなティナは、言い返せない悠馬を見てプッと吹き出す。
「まさか初めて出会うソナタにこれだけ共感を覚えるとはな…」
「ああ…別の時間軸では、俺とアンタが師弟関係の所もあるくらいだからな」
「ソナタが妾の弟子だと?出来のいい弟子を持った妾はさぞ頭を抱えていることだろう」
悪羅百鬼とも出会い、現在暁悠馬と相対するティナは、彼の規格外のスペックを知っている。
今、同じセカイを持つ2人がこの場で戦った場合、勝つのは暁悠馬だろうと断言できるほどだ。
それほど暁悠馬が積み上げてきた軌跡は、ティナを凌駕するものがある。
一つの世界しか経験していないティナ。
複数の世界を経験し、それを乗り越えている悠馬。
そもそも暁悠馬は物語能力という過程を経ずに、自力でセカイに辿り着いているのだ。
当然だが場数も経験も、圧倒的に悠馬の方が豊富だろう。
ティナは真っ青な瞳で悠馬を見つめる。
まるで水色の絵の具を溶かしたような芸術的な澄んだ青は、悠馬のレッドパープルの瞳を捉え、固定される。
「妾は乗り越えるぞ。ソナタの申した通り、今度は誰かを憎むためじゃない。ソナタを信じるために」
「…別に信じる対象は俺じゃなくてもいいんだけどな…」
ティナに手を差し出され、それに応じて手を握る。
すると悠馬の身体は光を帯び、透過し始める。
「時間切れだ。お前が描く物語、応援してるよ」
「ああ。またいつか、どこかで会う日があれば…その時はソナタに恩返しをすると此処に誓おう」
そう言って、彼女は艶やかに微笑む。
まるで絵画のように、芸術のような彼女の笑顔に、魅入ってしまう自分がいた。
ふと視界の端を目をやると、背後に控える1匹の黒いカラスが、2人が作り出す光景を見ながら、首を傾げて見せる。
ん?待てよ…?カラス…?
悠馬はティナの背後に止まっているカラスをスルーしようとしたものの、違和感を感じて異能を発動させようとする。
しかし悠馬が異能を発動するよりも早く、世界を救った判定が訪れ、彼の思考は暗転した。
***
「うっ…!」
跳ね起きる。
綺麗なベッドの上、布団まで掛けられて寝かしつけられていた悠馬は、パラレルワールドから現実世界に戻ってきたことを実感しつつ、ティナとの最後の光景を思い返す。
おかしい。絶対に何かがおかしい。
ついさっき、ティナのパラレルワールドで、世界を包むほどの規模でサーチを発動させた。
その時はティナの微弱な反応ひとつしか見つけ出すことができなかったのに、なぜ最後にカラスがいた?
サーチは生命体であれば見つけ出すことが可能だし、カラスは死にかけのティナなんかよりも明確に、サーチに反応していてもおかしくない。
一瞬サーチ漏れの可能性も考えたが、そんなことはあり得ないと判断した悠馬は、奇妙な違和感を感じて真っ暗な部屋の中、顎に手を当てる。
「悪神の手先…?いや、それにしては敵意を感じられなかったな…」
どちらかと言うと、ただ観察しているだけのように見えた。
そもそもあのカラスは、一体いつからあの場にいたんだ?
よく思い返してみるが、カラスが視界に映ったのは、おそらく最後の数秒のみ。
そこまでどこかに隠れていたのか、それとも何かに気づいて飛んできたのかはわからないが、今更考えたところで、もう遅い。
悠馬がティナのパラレルワールドに訪れることはもうないだろうし、あのカラスに関する疑問は、一生解消されることはない。
まさかこのホテルにもカラスがいるなんてことはないよな?
そんな恐怖を感じて周囲を見渡すが、幸いホテルの中にカラスの姿は見えない。
「はぁ…」
ひとまずこの空間は安心できると考えていいだろう。
まぁ、現実世界とパラレルワールドで同一のカラスがいるなんてあり得ないし、あれはパラレルワールド産のカラスとでも思うことにしておこう。
メイドインパラレルワールドだ。忘れるに越したことはない。
「しっかし、美月はまだ戻ってきてないのか…?」
時刻は午前5時過ぎ。
突然睡魔に襲われたため、何時に眠りについたかまでは覚えていないが、絶対に5時間以上は経過している。美月は無事だろうか?
任せて欲しいと言っていたし、彼女に関しては何も問題がないと信じたいが、帰りが遅いとどうしても不安になってしまう。
一度サーチでも発動させるか?
今回はパラレルワールドで強力な異能を発動させていないため、余力はある。
今残っている体力は6割と言ったところか。
ハデスと戦った分の体力を全回復できているわけではないが、一度サーチを発動させるくらいなら問題ない。
そう考え、異能を発動させようとした瞬間だった。
部屋の中に設置されていた黒い球体が変形し、小さい人形の姿になる。
「…?」
悠馬は真っ暗な部屋の中、闇でできたその人形へと視線を落とし、指でツンと弾く。
すると闇の人形はよろめきながら手を挙げると、悠馬の指先にタッチをしてきた。
「美月?」
いや、美月じゃないんだけども。
闇の異能から、その使用者が美月なのではないかと考えた悠馬。
声をかけてみると、美月という単語に反応した闇の人形は、コクコクと頷く。
これが案外、可愛い。
顔までは形作られていないものの、丸っこくて大福みたいな形をした人形に、ついつい手を伸ばしたくなる。
「美月はもう少しで帰ってくるのか?」
悠馬が問うと、闇の人形は再び頷く。
どうやら帰ってきているようだ。
一体この闇の異能が自立思考しているのか、それとも美月が操作しているのかはわからないが、ユディットの使っていた分身体のようなものだろう。
そう判断した悠馬は、直後に扉が開かれる音を聞いて、顔を上げる。
同時に、闇で生成された人形は、役目を終えたのか霧のように霧散していく。
「ただいま…」
扉が閉まる音と同時に、声が聞こえてくる。
寝ていることを想定しているのか、控えめな声で挨拶をした美月は、部屋に入るとベッドの上に座っている悠馬を見て、一度立ち止まる。
「ずいぶん早起きだね」
「結構寝たと思うから…もう大丈夫だよ」
「そ?ならよかった」
美月は睡眠薬を使用したことに気づかれていないことに安堵しつつ、部屋に常夜灯の電気をつける。
ほんの少し明るくなった部屋の中、それでも薄暗い空間で、美月はベッドに腰を落とす。
銀髪の髪が常夜灯に反射し、キラキラと輝いて見える。
悠馬は美しい銀髪に視線を奪われながら、シーツを強く握り、口を開く。
「どこか見てきたんだろ?どうだった?」
「うん、その件について詳しく話すね。少し長くなるけど、大丈夫?」
「ああ。せっかくだからお茶でもしながら話そうか」
「そうだね。紅茶にする?コーヒーにする?」
「紅茶にしようか。俺が淹れるよ」
「ありがと」
少し長くなると言われ、ベッドから腰を上げる。
さっきは美月にコーヒーを淹れて貰ったし、今度は自分が飲み物を用意しようと考える悠馬は、そそくさとホテルのキッチンへと向かい、飲み物の用意を始めた。




