083
すっかりと日が沈んだエジプト支部のホテルの中で、モニターを見つめる人物の姿がある。
サハーラから研究所の録画データを貰い、何度も見返す。
映像の一コマ一コマを分析するように、その中の悪神の一挙手一投足を見落とさないように確認する悠馬は、そのどこにも、悪神が異能や権能を使用するモーションがないことに気づく。
「…少しでも対策になればと思ったが…」
あっちもその辺は想定済みか。
カメラに向かって手を振っていることから、この動画が悠馬に渡るのは織り込み済みだと考えられる。
そんな映像の中に、自身の力をひけらかすようなシーンがあるわけがない。
「疲れてない?コーヒー飲む?」
銀色の長髪が、肩にかかる。
気づけば録画を何度も確認する悠馬の背後に立っていた美月は、軽く肩を叩くとホットコーヒーを差し出してくれた。
「ありがとう」
美月からコーヒーを受け取り、一口口に含む。
芳醇なコーヒーの香りと苦味が口の中に広がり、少しだけリラックスした気分になる。
「あんまり根を詰めすぎてもいいことないんだから、ほどほどにしなよ?世界会合からノンストップで働いてるじゃん」
悠馬は世界会合後から、ノンストップで移動を続けている。
オーストラリア支部からイタリア支部、イタリア支部からエジプト支部。
もちろんその前には日本支部やイギリス支部にも行っているわけで、この数週間の間に大きく事が動いていると言っていい。
美月は不安を感じていた。
悪神との最終的な戦いに悠馬は必須だ。
悪神に勝てる可能性があるとするならそれはセカイだけだし、他の人が結界を使用したところで、援護できる保証はない。
下手をすれば悠馬しか碌に機能しない戦いになるというのに、決戦の前から悠馬をノンストップで働かせて大丈夫なのか。
答えは否だ。
悪神がいつ動くかわからない以上、悠馬にはしっかりと休息を取ってもらって、常に最高のパフォーマンスを発揮できる状態でいて貰わないと困る。
それはこの世界を存続していくため、そしてこれから先も、互いに笑顔で過ごしていくための必須条件だと言ってもいい。
コーヒーを飲んで、ようやく緊張が途切れて落ち着いた悠馬を確認し、そっと背後から抱きしめる。
銀色の髪が身体にかかり、彼女の甘い吐息が聞こえてくる。
「悠馬。今回は私がメインで動くから、悠馬はゆっくり休んでて」
「でも…」
「でもじゃない。いくらセカイが強くても、悠馬は人間だよ。肉体的な疲労を異能で回復させても、精神的なものは回復しないでしょ」
「うん…」
確かにそうだ。
セカイは肉体的な疲労を回復させることは可能だが、精神的な部分は回復させる事ができない。
体力だって無限にあるわけではないから、美月の言う通り、暁悠馬にも休息は必要だ。
実際悠馬は、ハデスとの戦いで体力の大部分を消耗している状態だ。
長時間のセラフ化使用に加え、大規模ゲートにジェットストリームや白夜、グランシャリオなんかを併用していた上に、常時サーチまで発動させていた。
普通に考えて、今の状態で悪神と対峙することになれば、悠馬はそう長く持たないだろう。
「私にはヘルメスもいるし、実力は悠馬が1番知ってるでしょ?」
「うん…」
美月の実力は、高校時代と比べるとかなり上がっている。
並大抵のテロリスト集団くらいなら1人で制圧できるだろうし、大きな問題はない。
悠馬は美月に疲労を指摘されると、ドッと疲れが増したような気がして、うとうとしながらソファに寄り掛かる。
「悪い…美月…少し寝る…」
「うん、ゆっくり休むんだよ」
倒れるようにして眠りに着く悠馬。
美月は悠馬が眠ったのを確認すると、闇の異能でベッドまで彼を運び、外に出る支度を始める。
悠馬だけでは処理できないものを片付けるのも、戦乙女の務めだ。
コーヒーの中に睡眠薬を混ぜて悠馬に提供をしていた美月は、彼が完全に意識を失っているのを確認して、外へと出た。
睡眠薬の効果はシヴァの結界ですぐに無効化されるだろうが、一度眠ってしまえば、悠馬が疲れている以上しばらく起きることはない。
この現状で悠馬を酷使する事がどれだけリスクを伴う事なのか理解している美月は、透過の異能を発動させると同時に闇の異能を発動させ、ポイントを設置していく。
「まずは研究所に行ってみようかな…」
サハーラには許可をもらっていないが、盗まれたデータ以外に何が起こっていたのか、詳しく知る必要がある。
サハーラから受け取った動画は部分的なものだったし、何か不都合のある部分を隠して、重要な事実を知らされていない可能性だってある。
映像だけではわからない細部を知りたい美月は、エジプト支部の研究施設へと向かった。
***
「あ……」
疲れ果てて眠る悠馬は、身体に冷たい水が掛かり、意識を覚醒させる。
徐々に耳が聞こえるようになってきて、雷鳴と豪雨の音が響き、自身の身体に大量の雨粒がかかっていることに気づく。
疲れた身体で目を開き、意識を完全に覚醒させようとする。
まだ起きたばかりだからか、思考の回転が極端に遅い頭では、状況を飲み込む事ができない。
さっきまでどこにいたっけ?と考えながら、記憶を辿ってみる。
「いたりあ…」
美月が指摘した通り、疲労が溜まっている悠馬。
彼女はノンストップで国を渡り歩いていたから疲労していると言っていたが、実際それに加えて悠馬は、寝ている間にパラレルワールドを渡り歩いている。
常に睡眠時間を削り、動き続けている悠馬は、他人が思っている以上に疲れ果てていると言っていいだろう。
イタリア支部のことを思い出して、ようやく思考が纏まり始めた悠馬は、とりあえず鬱陶しい雨から身を守るため、セカイで巨大な木々を生成し、ドーム型に形成していく。
察するに、ここはパラレルワールドか。
大雨の中、ここがどこなのか判断した悠馬は、濡れた顔に手を当て、しばらく座り込む。
「少し休憩するか…」
この大雨の中、人を探すのは難しいだろう。
ピカっと光り轟音を鳴らす雷と、騒めく草木を見る限り、近くに文明はなさそうだ。
ここがどこかはっきりしていないが、一旦雨が止むのを待つ判断を下した悠馬は、そっと目を閉じて、雨足が弱くなるのを待つことにした。
2時間ほどが経過し、雨足が徐々に弱くなる。
大粒だった雨が小粒になり、雷鳴が徐々に遠くへと消えていく。
「はぁ…少しは休憩できたな…」
木々で生成したドームの中、地面を乾燥させて焚き火をしていた悠馬は、雨足が弱くなったのを確認して、外に出ることにした。
目覚めて直ぐに雨に打たれて濡れていた服や髪はすっかりと乾き、寒さすら感じない。
まったく異能サマサマだ。
異能のおかげで焚き火までして身体を温めることができたが、文明がまだ発展していない頃は、突然の大雨にどう対応していたのだろうか?
まるで人が足を踏み入れたことのない秘境のように広がる草原と、生い茂る木々を見る悠馬は、そんなことを考えながら外に出る。
外の景色を一言で例えるなら、山奥だ。
山奥というには随分とだだっ広い気がするが、近くに文明があったような気配がなく、それに伴って人の気配も感じられない。
まずは状況把握を始めよう。
雨宿りをしたおかげである程度休息が取れた悠馬は、水溜りに映る自身の顔を確認してみる。
水溜りに映るのは、何ら変わらない30代の自分の姿。
このことから察するに、こちらの暁悠馬は死んでいると判断すべきだろう。
パラレルワールドの八神、夕夏の時は大人の自分、エルドラの時は学生の自分だった。
この3つの特異点のそれぞれの違いは、暁悠馬が死んでいるか死んでいないか。
暁悠馬が生きていたエルドラのパラレルワールドでは、パラレルワールドの暁悠馬の年齢になっていたから、年齢調整が起こっていないこの世界の暁悠馬は、死んでいると答えを導き出せる。
「…となると、この世界での勝者は誰だ?」
そこが気になる。
エルドラの世界で聖王国という国ができていたように、勝者によっては全く別の世界が生み出されていると言っても過言ではない。
エルドラが勝利した世界もあるなら、混沌が完全勝利した世界もあるだろうし、もしかするとティナが勝利した世界線もあるかもしれない。
そう考えて空を見上げる。
ちょうど雨雲が晴れて、遠くには星空が見える。
「空はどこの世界でも変わらないな…」
見上げた先にあるもの、星空と天井のない夜空。
これはどの世界でも共通で、安堵感を覚える。
「さてと…そろそろ本格的に始動するか」
数秒間星を眺めた後、サーチを発動する。
今回は常時サーチではなく、瞬間的なサーチを発動させた悠馬は、サーチの結果を感知して硬直する。
「…?」
サーチに反応する生体反応が一切ない。
使い方を間違ったか?
イタリア支部までで何度も使用しているサーチだから、使い方を間違うはずはないが、もう一度サーチを発動してみる。
今度はサーチの範囲を広げ、地球の約半分程にまで対象を拡大してみる。
しかし、先ほどと同じく、サーチに反応する生体反応は見つからない。
「…どういうことだ?」
普通、地球上の約半分をサーチすれば動物の反応ひとつくらい見つかりそうなものだが、その動物の反応すらも一切ない。
海には魚もいないし、陸地には人はおろか動物すらいないということになる。
待てよ。
ふと思い出す。
この世界について知っているかもしれない。
いや、正確に言うとこの世界については知らないのだが、こんな世界を望んだ人物なら知っていると言うべきか。
悠馬は記憶に残る白水色の髪の女性を思い出し、大きく目を開く。
「ここは…」
このパラレルワールドは、ティナが混沌に勝利した世界線だということか。
ティナの望んだ、人のいない世界。
加えて動物も全滅しているのは気になるが、このパラレルワールドで生き延びている存在がいるとするなら、それはティナだけだろう。
「さて、どう探したものかな…」
このパラレルワールドにいるのがティナだとして、問題はそのティナを、どうやって見つけ出すかだ。
もしかするとティナも既に死んでいるかもしれないし、そうなるとこの世界はどうやったら救った判定になるんだ?
そう考えながら周囲を見渡すと、目の前に青いシステムウィンドウが現れる。
内容は変わらず、この世界を救ってください。とだけ記されている、淡白なものだ。
これも見慣れたウィンドウではあるものの、一度文句を言ってやりたい。
この世界を救って欲しいなら、何をどうして欲しいのかハッキリ言えよと。
この世界を救ってくださいと言う割に、救い方は完全おまかせ状態だし、何を基準に救った扱いになるのかも全くの不明瞭だ。
なんなら夕夏のパラレルワールドなんて全く救っていないし、基準そのものが曖昧すぎてわからない。
そろそろシステムウィンドウの不親切さに苛立ちを覚え始めた悠馬は、それを手で払い、視界から消そうと試みる。
すると悠馬が煙たがっているのがわかったのか、システムウィンドウはすぐに消滅してくれた。
「救うって言ってもな…人も生物もいないこの世界は詰んでるだろ」
正直言って救い方がわからない。
セカイで生物を作り上げるか?
いや、混沌が土塊から使徒を作り出したように、同じことはできるだろうが、アレは知的生命体などではなくただの化け物だ。
ある程度欲望を組み込むことで自動化されたロボットでも言うべきだろう。
アレは生物とは呼ばないだろうし、そんなもので世界を救った扱いになるのなら苦労しない。
ならば何をすべきか。
やはり一度、この世界に生きている生物が本当にいないのか、確認することが先決だろう。
そう判断した悠馬は、最初に使用した2回のサーチよりも規模を広げ、再度異能を発動させる。
今度のサーチは、地球の半分などではなく、地球全体を包むように。
本来、地球全体をサーチすれば生体反応が多く脳みそがパンクしてしまうが、これだけ生物の反応がない世界であれば、規模を大きくしたところで体力の消耗が増えるだけだ。
美月に言われたように、しっかりと休息をとって体力を回復させるべき場面なのだろうが、パラレルワールドに長時間居座るつもりはないし、既に2時間近く無駄にしてしまっている。
悠馬がサーチをさせてしばらくすると、微弱な反応が見たかった。
微かな反応を感じ取った悠馬は、目を開くと同時に、その微弱な反応を分析する。
人と言うにはあまりに弱々しい反応ではあるものの、現状サーチで反応したのはその一つだけ。
絶命しかけているに近い反応ではあるものの、この反応が消えてしまったら青いシステムウィンドウの言う世界を救うということが不可能になる可能性があるから、急いで状況を確認すべきだろう。
そう判断した悠馬は、微弱な反応があったところへ向かうため、黒いゲートを展開し中へと飛び込んだ。




