表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/12

8:最速の設備投資

 急造の執務室に、暴力的なまでの黄金の輝きが満ちていた。


 スラムの広場を見下ろす崩れかけの建物の二階。立て付けの悪い木の机の上には、ゴルド商会から合法的な『賠償金』として巻き上げた五百枚の金貨が、小さな山を作っている。


「……信じられねえ。これだけの金があれば、スラムの連中全員、一年は遊んで暮らせますぜ」


 片腕のバーツが、震える指先で金貨の山に触れようとしては引っ込める、という動作を繰り返していた。無理もない。末端の労働者からすれば、一生かかっても拝めない額だ。


「遊んで暮らす、か。それはずいぶんと魅力的な響きだな」


 俺は窓辺にもたれかかりながら、広場で湯浴みをしてはしゃぐ労働者たちを見下ろした。

 だが、視線を卓上の金貨に戻した瞬間、俺の目は冷徹な経営者のそれへと切り替わる。


「だが、現金のまま手元に置いておくのは愚者のやることだ。死蔵された金は腐る。……バーツ。これを今日中に全額使い切るぞ」


「は……っ!? ぜ、全額ですか!?」


 バーツの義手がガシャンと音を立てた。


「ああ。金ってのは、新しい価値を生み出すためのただの『血液』だ。止まった瞬間に組織は死ぬ」


 俺は金貨の山を二つの革袋に無造作に分け入れた。


 英雄時代、国王から下賜された莫大な恩賞を前にしても、俺の考えは同じだった。

 金は使うためにある。それも、最もリターンの大きい盤面インフラに。


「一つ目の袋、二百枚だ。これで、旧坑道の裏手に広がっている『西の荒れ地』の権利書を、役所からすべて買い上げてこい」


 俺の指示に、バーツはポカンと口を開けた。


「西の荒れ地……? ノア様、あそこは昔の採掘で出た毒素と瓦礫が混ざってて、雑草一本生えねえ死の土地ですぜ。そんな場所を買ってどうするんですか」


「今は死んでいるだけだ。理由は後でわかる。急げ、役人がゴルドの件で怯えている今なら、底値で買い叩けるはずだ」


「……へえ。わかりやした。あんたがそう言うなら、裏があるんでしょう」


 バーツは重い革袋を小脇に抱え、足早に執務室を出て行った。


 残った三百枚の金貨が入った革袋を手に、俺は執務室を出て広場の隅へと向かった。


 そこには、バルドの街の商人ギルドから爪弾きにされ、荷馬車一つで商売をしている小太りの男——異端の流れ商人が、胡散臭い笑みを浮かべて待っていた。


「やあやあ、英雄にして新進気鋭のおんぼろギルドマスター殿。私のような流れ者をわざわざご指名とは、お目が高い。して、本日のご入用は?」


 男は揉み手で擦り寄りながら、荷馬車の幌を少し開けた。

 中には怪しげな骨董品や、出所の知れない魔道具が並んでいる。


「そんなガラクタに用はない」


 俺は彼の足元に、三百枚の金貨が詰まった袋をドサリと投げ落とした。

 重い金属音に、商人の細い目がカッと見開かれる。


「この金で、お前が手配できる限りの『成長の早い麦の種』と、魔獣の骨を砕いて作った『特殊な燐肥(肥料)』を買う。市場を通すな。闇に紛れて、今夜中にここへ運び込め」


「……麦の種、と肥料ですか」


 商人は顎を撫でながら、意味深な視線を俺に向けた。


「奇妙ですねえ。この辺りには、それらを撒くためのマトモな土など一握りも残っていないはずですが。……まあ良いでしょう。我々のようなはぐれ者は、金払いさえ良ければ客の意図など詮索いたしません。今夜の月が隠れる頃には、必ず」


 金貨の袋を抱え込むと、商人はニタニヤと笑いながら荷馬車を引いて去っていった。


(これで、『土』と『種』の手配は終わった。あとは——)


 俺が次に向かったのは、甲高い金属音と蒸気の噴出音が絶え間なく響く、ヴィンデールの工房だった。

 扉を開けると、そこには油と煤にまみれ、目の下に真っ黒な隈を作ったヴィンが、何かの歯車をハンマーで叩き狂っていた。


「ヴィン、生きてるか」


「あ”あ”? アタシの辞書に睡眠って言葉はねえんだよ! ポンプの次はなんだい、英雄サマ! 蒸気機関車か? それとも空飛ぶ船か!?」


 徹夜のハイテンションで目を血走らせる彼女に、俺は一枚の図面を差し出した。


「いや、もっと地味なやつだ。お前に『太陽』を作ってもらいたい」


「……はあ?」


 ハンマーを振り上げていたヴィンが、ピタリと固まる。


「太陽? アンタ、ついに頭がイカれたのかい」


「至って本気だ。旧坑道から掘り出した魔喰石を加工して、強烈な『光』と『熱』を持続的に放つランプ……いや、太陽光の模倣装置シミュレーターを作れ。波長は植物の光合成に最適なものに調整するんだ。数は最低でも五十基」


 俺の要求を聞き、ヴィンは図面をひったくるようにして見つめた。

 数秒の沈黙の後、彼女の瞳に再び狂気じみた技術者の火が灯る。


「ああ。地上の天候や季節に左右されない、完璧な環境を作り出す。資金と資材は惜しまない。三日で形にしろ」


「三日ァ!? 鬼! 悪魔! ……やってやるよ! アタシの腕を舐めるな!!」


 ヴィンは再びゴーグルを下ろし、凄まじい勢いで作業台に向かい始めた。


 ***


 夕刻。


 バーツが買い上げてきた権利書を手に、俺は旧坑道の入り口、その裏手に広がる『西の荒れ地』に立っていた。


 ひび割れた大地。転がる有毒な瓦礫。

 生命の気配など微塵も感じられない、正真正銘の死の土地だ。


「……なるほどね。魔力を光と熱の波長に変換するルーンを刻んで、反射板で一定方向に増幅させる。できなくはない。できなくはないが……アンタ、本気で地下を真昼間みたいにする気かい?」


 俺の後ろには、仕事を終えたガルムたちが集まり、ひそひそと囁き合っていた。


「おい、ノア様はなんであんなゴミみたいな土地を買ったんだ?」


「さあな。種と肥料まで買い込んでたらしいぜ。まさか、あの石だらけの荒れ地を耕すつもりか?」


「無茶だろ。あそこは昔の鉱毒が染み付いてる。何百人かけて耕したって、麦の穂一つ育ちゃしねえよ」


 彼らの疑問は尤もだ。

 普通の人間なら、この荒れ地を見て絶望し、農作など諦めるだろう。


 だが、俺は見ている盤面レイヤーが違う。


「……上(地上)がダメなら、下(地下)を使えばいいだけの話だ」


 俺は権利書をコートの懐にしまい込み、不敵な笑みを浮かべた。


 彼らはまだ気づいていない。

 俺が買い上げたのが、この無価値な『地表』などではなく、その足元深くに広がる『旧坑道の浅層空間』そのものであるということに。


 そして、間もなく訪れる既存ギルドからの苛烈な『経済封鎖』という名の兵糧攻め。

 それすらも、俺の計算の内だ。


「さあ、種蒔きの時間だ。……この街の常識を、根底から覆してやる」


 冷たい夜風が、俺のコートを大きく揺らした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ