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スマホの中にも、乗り場はある



以前、乗せたお客様が、こんな話をしてくれた。


大阪万博に、何度も行ったらしい。


会場のタクシー乗り場には、タクシーが長い列を作っていた。


それだけなら、まだ分かる。


大きなイベントの帰りなら、よくある光景だ。


タクシーが並んでいる。


客が順番に乗っていく。


それが、普通の流れだ。


けれど、そのお客様が見たのは、タクシーの列だけではなかった。


タクシーに乗るための客の列も、長蛇の列だったという。


タクシーも並んでいる。


客も並んでいる。


二つの列が、会場の出口にできている。


それを見て、そのお客様は思ったらしい。


「これは、並びたくない」


だから、その人はタクシー乗り場には並ばなかった。


会場を出た。


少し歩いた。


人の流れから少し外れたところで、GOを開いた。


そして、タクシーを呼んだ。


結果、長い列に並ぶことなく、スムーズにタクシーで帰れたという。


その話を聞いたとき、俺は思った。


ああ、客ももう分かっているのだ。


タクシー乗り場だけが、乗り場ではない。


列だけが、帰り道ではない。


スマホの中にも、乗り場はある。


昔なら、イベント帰りの客は、タクシー乗り場に並ぶしかなかった。


タクシー側も同じだ。


会場前に行く。


列に並ぶ。


順番を待つ。


前の車が出たら、次の車が進む。


それが正解だった。


もちろん、今でもそれは正解だと思う。


本多の森ホールでも、金沢ゴーゴーカレースタジアムでも、金沢武士団の試合会場でも、イベントが終わればタクシーは並ぶ。


客も流れてくる。


そこにいれば、順番が回ってくる可能性は高い。


けれど、アプリの時代になってから、正解は一つではなくなった。


会場前の列に並ぶ客もいる。


でも、並ぶのが嫌な客もいる。


人混みを避けたい客もいる。


少し歩いてから、GOを開く客がいる。


Uberで呼ぶ客がいる。


その客は、タクシー乗り場にはいない。


けれど、確かにタクシーを必要としている。


目の前には見えない。


でも、スマホの中にいる。


だから俺は、イベント帰りの営業で、必ずしも会場前の列に入る必要はないと思っている。


実際に、これまでもそういうことがあった。


ツエーゲン金沢の試合後。


金沢武士団の試合後。


会場前には、タクシーの列があった。


それでも俺は、列に並ばず、GOやUberでイベント帰りの客を拾ったことがある。


列に入って順番を待つのではなく、アプリで呼ばれる位置に車を置く。


それで取れた一本が、何度かある。


もちろん、毎回うまくいくわけではない。


列に並んだ方が早い日もある。


素直に会場前へ入った方が正解の日もある。


でも、少なくとも今のところ、結果は出ている。


イベント帰りの客は、タクシー乗り場の列だけにいるわけではない。


スマホの中にもいる。


これは、俺の中ではただの思いつきではなくなっていた。


まだ完全な答えではない。


けれど、現場で何度か確かめた仮説ではあった。


だから、昨日のaikoのコンサートも、俺はそれを試してみた。


本多の森ホール前には、タクシーの長い列ができていた。


コンサート帰りの客を狙う車が、会場前にずらりと並んでいる。


普通に考えれば、そこが正解だった。


客が出てくる場所。


人が流れてくる場所。


タクシーが必要とされる場所。


だから、みんなそこにいた。


ただ、あれだけタクシーが並んでいれば、手上げはまずない。


客も分かっている。


目の前にタクシーが順番待ちしているのに、列を飛ばして別の車を止めるのは、どこか気が引ける。


タクシー側も同じだ。


列に並んでいる車がある以上、途中から客を拾えば、順番抜かしに見える。


誰かが明文化したわけではない。


けれど、現場には現場の不文律がある。


だから、会場前の列は強い。


でも同時に、そこは順番の世界でもある。


一台ずつ進む。


前の車が出る。


次の車が入る。


それを待つしかない。


俺が狙ったのは、そこではなかった。


手上げではない。


順番待ちでもない。


アプリだった。


GOだった。


GOはAIで配車されている。


もちろん、俺はGOの内部の仕組みを知っているわけではない。


どんな計算で、どの車に注文を飛ばしているのか。


正確なことは分からない。


けれど、現場で走っていると、感じることはある。


たぶん、見ているのは距離だけではない。


客のピン。


車の位置。


道路の向き。


到着までの時間。


車がすぐに動けるかどうか。


客のところへ、どれだけ早く入れるか。


少なくとも俺は、そういうものが配車判定に関係しているのではないかと考えている。


つまり、俺の仮説だ。


ならば、会場前に並んでいる車が、必ずしも一番強いとは限らない。


近くにいても、列に詰まってすぐ動けない車。


少し離れていても、呼ばれた瞬間にすぐ動ける車。


もしAIが到着時間を重視するなら、選ばれるのは後者かもしれない。


そう思って、俺は列に入らなかった。


本多の森ホール前の長い列から、少し外れた場所に車を置いた。


地図の上で見れば、ポツンと一台。


周りのタクシーから見れば、何をしているのか分からない場所だったと思う。


けれど俺の中では、意味があった。


会場から遠すぎるわけではない。


近すぎて渋滞に飲まれるわけでもない。


呼ばれた瞬間に、客のピンへ刺しにいける場所。


本多の森ホール前の列には入らず、でも本多の森ホール帰りの客を狙う場所。


それが、その夜の俺の立ち位置だった。


ただ、不安はあった。


理屈では分かっている。


この位置には意味がある。


けれど、会場前にはタクシーが何台もいる。


本筋は、あっちだ。


俺はその本筋から、自分で外れている。


外しているのか。


外れてしまっているのか。


それは、鳴るまで分からない。


二十一時五十一分。


俺の前を、賃走表示のタクシーが走っていった。


胸の奥が、少し冷えた。


失敗か。


やっぱり列に入るべきだったか。


本多の森ホールからaiko帰りを乗せた車。


そう思った瞬間、自分の仮説が急に頼りなくなった。


目に見える賃走は強い。


目に見える列も強い。


自分だけが、間違った場所にいるような気がした。


でも、その少しあとだった。


鳴った。


GOではなかった。


Uberだった。


検証していたのはGOだった。


GOのAIが、列の外にいる俺を選ぶのか。


それを試していた。


けれど、鳴ったのはUberだった。


一瞬、検証としては本筋から外れたようにも思えた。


でも、乗ってきたお客様は、aikoのコンサート帰りだった。


読みは、外れていなかった。


外れたのは、アプリ名だけだった。


行き先は、堀川新町。


会場前のタクシーの列に並んでいれば、順番を待つだけだったかもしれない。


でも俺は、列の外でアプリに選ばれた。


しかも、迎車料金三百円が乗る。


会場前に並んでいる他のタクシーが、順番を待っている間に、俺はアプリでaiko帰りのお客様を乗せた。


GOの検証をしていた夜に、答えを出したのはUberだった。


だから、GOの配車判定については、まだ断定できない。


この位置が本当にGOに強かったのか。


GOなら鳴っていたのか。


それは分からない。


検証としては、未完了だ。


けれど、もっと大きなことは確認できた。


イベント帰りの客は、会場前の列だけにいるわけではない。


スマホの中にもいる。


そして、その客を取るには、会場前の列に並ぶ以外の方法もある。


これは、はっきり結果として残った。


列に並ばず、イベント帰りの客を取った。


タクシーの仕事は、正解の場所にいることだけではない。


正解に見える場所から、少しズラすことでもある。


会場前の列は、手上げを封じる。


けれど、スマホの中の客までは封じられない。


客の流れは、目に見える。


でも、客の意思は、画面の中に出る。


今どこにいるのか。


どこへ帰りたいのか。


どの車が一番早く来るのか。


それを決めるのは、タクシー乗り場の列だけではなくなった。


人間は列を見る。


アプリは時間を見る。


たぶん、そこにズレがある。


そのズレに、車を置く。


たった数百メートル。


たった一台分の違い。


でも、その違いが一本になることがある。


大阪万博で、列に並ばずGOを呼んだお客様。


ツエーゲン金沢の試合後に、アプリで乗ってきたお客様。


金沢武士団の試合後に、列とは別の場所から呼んでくれたお客様。


そして、aikoのコンサート帰りに、Uberで俺を呼んだお客様。


全部、同じところにつながっている。


タクシー乗り場は、もう一つではない。


会場前にある乗り場。


駅前にある乗り場。


ホテル前にある乗り場。


そして、スマホの中にある乗り場。


そこに客がいるなら、こちらもそこに合わせて動かなければならない。


列に並ぶことを否定しているわけではない。


列には列の強さがある。


順番を待てば、確実に乗れることもある。


その方が早い日もある。


でも、全員が同じ列を見るなら、俺はその外を見る。


タクシーの長蛇の列。


客の長蛇の列。


その二つの列から、少し外れた場所で、誰かがスマホを開く。


その瞬間、地図の上にピンが立つ。


そこが、もう一つの乗り場になる。


この夜、GOの検証は完了しなかった。


でも、俺の仮説は少しだけ強くなった。


aiko帰りの客は、本多の森ホール前の列だけにいたわけではない。


スマホの中にもいた。


そして俺は、その乗り場に近い場所へ車を置いていた。


だから鳴った。


いや、正確には、だから鳴ったのかもしれない。


少なくとも、その場所に車を置いていなければ、取れなかった一本だった。


タクシーは、客の前にいるだけでは足りない。


客が呼ぶ場所に、先に気付かなければならない。


見えている列の外に、見えていない乗り場がある。


それは道路の上ではなく、客の手の中にある。


スマホの中にも、乗り場はある。

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