二十二時、ヒラメになる
タクシードライバーには、二つのスタイルがあると思っている。
マグロ型と、ヒラメ型だ。
マグロは泳ぐ。
止まらない。
街を流し、ホテル前をかすめ、観光地を覗き、裏道へ入り、また表通りへ戻る。
GOを鳴らすために。
Uberを拾うために。
手を上げる客の視界に入るために。
自分から、客に近付いていく。
魚で言えば、回遊魚。
マグロだ。
流れを読み、ベイトの位置を探す。
客がいる場所へ、自分の車を差し込んでいく。
一方で、ヒラメは待つ。
砂に身を潜める。
駅のタクシープール。
片町、犀川大橋手前のタクシー乗り場。
香林坊クラソ前のタクシー乗り場。
ホテルの玄関前。
そこに来る客を、じっと待つ。
動かない。
だが、ヒラメにはヒラメの読みがある。
この時間なら、駅に新幹線が着く。
この天気なら、この乗り場に人が溜まりやすい。
片町スクランブルでは、どの方向に頭を向けるか。
動かないことを選ぶのも、ひとつの判断だ。
タクシーは、動けば勝てるわけではない。
動いた分だけ燃料を使う。
長く走れば、集中力を削る。
信号に捕まり、渋滞に巻かれ、空車のまま街を一周することもある。
逆に、待てば勝てるわけでもない。
前に十台いれば、自分の番が来るまでに時間は溶ける。
やっと乗った客が、七百円で降りることもある。
ガチャガチャだ。
そんな時、ハンドルの前で小さくため息をつく。
動けばよかったのか。
待てばよかったのか。
何が正解か。
その答えは、分からない。
ただ、売上だけが残る。
俺は、基本的にはマグロだ。
駅のプールに並ぶのが、あまり好きではない。
列の中で順番を待っていると、自分の時間を他人に預けているような気がする。
もちろん、並ぶ人間を否定するつもりはない。
あれはあれで正しい。
新幹線の時間を読み、駅の流れを信じ、順番が来るまで腰を据える。
それもタクシーの仕事だ。
ただ、俺には向いていない。
俺は、鳴りそうな場所へ行きたい。
ホテルのチェックアウト。
東山の観光客。
コンサートの終了時間。
片町へ向かう夜の女。
街には、客が湧く場所がある。
湧く時間がある。
発の場所。
発の時間。
そこへ、その時に入れるかどうか。
そこに、車を置けるかどうか。
その一瞬に、自分の一日が乗っている。
朝なら、武蔵のホテル群。
ホテルの玄関から、スーツケースを引いた外国人が出てくる。
金沢駅までは、歩けない距離ではない。
だが、歩きたい距離でもない。
そこにタクシーがいれば、乗る。
いなければ、歩く。
天候にも、荷物の量にも、大きく左右される。
客というのは、流動的に発生する。
最初から、そこにいるわけではない。
さっきまで何もなかった玄関に、急に人が出てくる。
スマホを見て、スーツケースを引いて、駅の方向を少しだけ見る。
その瞬間に、自分の車が近くにあるかどうか。
それが、マグロの勝負だ。
昼なら、東山。
人が流れ、昼食前に横移動が起きる。
茶屋街を歩いた人間は、次に近江町へ行く。
兼六園へ行く。
駅へ戻る。
全員がタクシーに乗るわけではない。
だが、何人かは乗る。
その何人かを拾うために、街を回る。
鳴らない時間もある。
空車のまま、同じ道を二度、三度と通る。
そのたびに、失敗した、と感じる。
けれど、一本鳴れば、全部が正しかったような顔をする。
タクシーとは、そういう都合のいい仕事でもある。
だが、夜は少し違う。
特に、二十二時を過ぎてからの片町は違う。
この時間の片町で、無闇に泳ぎ回るのは得策ではない。
街の奥から、人が出てくる。
客が湧いてくる場所だ。
店を出た客が、次の店へ行く。
あるいは、帰る。
気分は高揚し、声は少しだけ大きくなり、財布の紐は昼より少し緩い。
この時間になると、客はわざわざアプリを開かない。
乗り場へ行けば、タクシーがいるからだ。
片町のスクランブル周辺は、タクシーで溢れかえる。
ここで俺は、マグロをやめる。
ヒラメになる。
片町の夜に、身を潜める。
石引方向に頭を向ける。
あるいは、武蔵方向。
野々市方面に頭を向けた車が多い時には、そっちには並ばない。
太陽が丘はないか。
内灘はないか。
そんな欲を、少しだけ持ちながら、すぐ出られるように車間を空ける。
YouTubeを小さく流しながら、客に選ばれるのを待っている。
人の量。
男女の組み合わせ。
タクシー乗り場の列。
前の車の動き。
片町でGOやUberは鳴りにくい。
それでも、端末には気を配る。
ヒラメは、砂の中で寝ているわけではない。
上を通る影を見ている。
夜の片町では、動き過ぎると客を逃す。
焦って動いた車ほど、目の前の客を拾えない。
昼の街は、探すものだ。
夜の片町は、待ち伏せるものだ。
そう思うようになった。
正解ではないかもしれない。
タクシーに絶対はない。
同じ場所にいても、鳴らない日は鳴らない。
逆に、何も考えずに走っていて、ロングを引くこともある。
俺は考える。
マグロでいるべき時間。
ヒラメになるべき時間。
泳ぐべき街。
沈むべき場所。
タクシーの売上は、単なる足し算ではない。
本数を闇雲に重ねればいいわけでもない。
距離だけを狙えばいいわけでもない。
客は魚ではない。
けれど、街には潮がある。
潮目がある。
活性がある。
その流れを読めない日は、どれだけ走っても、空車のランプが長く続く。
二十二時を過ぎた片町。
俺は車を停める。
エンジンの振動が、足元に小さく伝わる。
表通りから、笑い声が流れてくる。
タクシー乗り場には、まだ列がある。
片町を離れれば、GOは鳴るのか。
Uberは鳴るのか。
迷う。
このまま沈んでいて、本当にいいのか。
泳ぎ出した方が、一本取れるのではないか。
そんなことを考えながら、前の車の動きを見る。
人の流れを見る。
スクランブルの向こう側を見る。
そして、決断する。
今は、泳ぐ時間ではない。
砂に潜る時間だ。
マグロで一日を作り、
ヒラメで夜を締める。
それが、今の俺のスタイルだ。
正しいかどうかは知らない。
ただ、俺はこの街で、そうやってメーターを積んできた。
片町の夜に、白と黒のコンフォート、四三四号車を停める。
客が来る。
そう思える場所に、車を置く。
それだけでいい。
ヒラメになると決めた。
それでも、迷いは消えない。
上を通る影を見る。
まだ動かない。
俺は、ヒラメだ。




