第25章12話 「ママ」
──時は、少しさかのぼる。
『あぁー! あぁーっ……!』
『痛てて! カーター、こいつ引っ掻いたぞ……!』
『いい子にしてなさいね。今、注射を打ちますからね』
『いーやぁー……!』
競売施設の奧棟にある実験室だった。
白い石壁の部屋の中、寝台に押さえつけられた六歳の子どもが暴れに暴れている。それを取り囲む白衣の男と浅黒の大男──カーターとギィは顔を見あわせた。
『こいつ、今『嫌』っつったか?』
『今頃になって自我が芽生え始めましたかね……』
白衣のカーターが言う。
その顔に、子どもの成長を喜ぶ感動はない。
そんなものを実験動物に抱く研究者ではない。
面倒な……と顔をゆがめた。
『くそっ。お貴族様の道楽にも辟易する。……なんで今になって『今日の競売でこいつの能力が見たい』なんて話になるんだよ。聞いてねぇぞ!』
『これで研究成果が出せなかったら、僕らお払い箱ですかね……』
『笑えねぇぞ! 下手すりゃ俺らまで奴隷どもの仲間入りだ。おい、カーター。なんとかしろ!』
『そう言われましても……』
飄々としているようで、カーターの顔にも余裕はない。
ギィの言葉はあながち的外れではなく、本来はノワール王国に出荷する予定だった彼女を目録に載せられなかったのは研究部の落ち度──ひいては存続意義に関わる。
それもこれも、以前出荷した商品の出来がよすぎたせいだ。再現性のない奇跡は二度と起こせず「彼女」の次の出荷が大幅に遅れた。
──あれから十年。依頼主もしびれを切らしている。
『……仕方ない。奧の手を使います』
言って、カーターが取り出したのは小瓶に入った試薬だった。
その効果はギィも知っていた。
──人体の潜在能力を人為的に高める劇薬。
運動競技のドーピングと同じだ。
増強剤を使って一時的に商品の性能を高める。
だが、その対価は……。
『……いいのか? 下手したら廃人になるぞ?』
『今日をしのげなければ、どのみち僕らに活路はない。それもこれも──』
『…………っ!』
白衣の男にぶんなぐられて、子どもは今度こそ恐怖に凍り付く。普段、自分に暴力を振るうことのない方の男が突然、豹変したのだ。
『おまえが悪い! おまえが何も成果を出さないからだ! 僕は悪くない! それもこれもみんなおまえがっ!』
『うぁ……うわぁぁ……!』
子どもは恐怖のあまり泣き出した。
……いつもとは違う。何かとんでもなくよくないことが起ころうとしている。それを肌で感じたのだ。
──……出てきたのは、自分に優しくしてくれた女の呼び名だった。
『ママ……! ママ……ママ……!』
彼女は呼んだ。
自分を助けてくれるかもしれない唯一の存在を。
『ママ……ママ……ママ……マ……マァ……!』
母親を知らない彼女は、それが肉親を呼ぶ名前だとは知れない。ひとの呼称だと認識しているかも、定かではない。
でも──
幼い彼女にとって、それは「愛」と同義だった。
彼女自身は、小さすぎて理解できなかったけれど──
生まれて初めて与えられたぬくもりを「愛」と呼んだのだ。
『ママ、ママ、ママ、ママ! いやぁぁぁ……!!』
劇薬を染みこませた注射器が迫る。
打たれた者を廃人にする薬が。
死者たちが騒いでいる。必死に注意を呼びかけている。
鈍く光る注射針が、小さな子どもの柔らかな皮膚を突き刺した……。
☆☆
『幽霊が見えてる……だと!?』
『確証はない。でも、あの子……!』
白狼と一緒に競売施設の廊下を走りながら、エマは爪を噛んだ。
亡者は──……地上をさまよう死者たちの魂が不完全に実体化した存在。
逆を言えば、人間には見えない死者たちの魂が、地上にもいるのだ。忘却の河を渡ることもせず、未練を残して地上にとどまる非業の魂たち……。
思えば白狼の話を聞いたときから、何かが引っかかっていた。
──実験体は、死んだ母親の胎から取り出されてる。生まれながらに、死者の世界に片足突っ込んだガキどもだ……。
生まれながらに、死者の世界に片足を突っ込んだ実験体たち──それはおそらく彼女たちに施された実験内容に関わっている。
──いつまで経っても、何の能力も発現しない。
何の『能力』も……と、ギィと呼ばれていたあの浅黒の大男は言った。彼女に施されたのは、そういう種類の実験なのだ。
けど、何らかの形で能力が発動していたのだとしたら?
虚空を指さして『ジージ』『バーバ』と笑ったあの子の目には、実際に老人たちの魂が見えていたのだとしたら?
あの子は生まれながらにして、生者の世界と死者の世界の境界上で生きている……。
『魂送りをする聖性は、言ってしまえば死者の世界との親和性のこと。あの子は聖性を高める実験を施されていたのよ。これがただの魂送りなら問題ない。けど……っ』
──……胸騒ぎがする。
あんな年端もいかない子どもに施されていた実験が、単に亡者どもにトドメを刺すためのものだろうか?
彼女に施されていた実験には、もっと別の意図が……──
『!? ……伏せろっ!』
『……え……?』
白狼に押し倒されたのと、爆音がしたのが同時だった。
巨大な衝撃波が、建物全体を揺るがせて──
エマと白狼は、なすすべもなく瓦礫にのみこまれた。
(第25章・了)
※作者より※
ご愛読、本当にありがとうございます。
活動報告に恒例の
第25章完結ありがとうSSをのせます。
「ほのぼの☆パパママ劇場」をお楽しみください✨
また、誠に勝手ながら、
物語を納得いく形でお届けするために、
第26章からしばらく週1更新にさせていただきます
(毎週土曜日)。
みなさまが読んでくださるのが、
本当に励みになっています。
いつも心からありがとうございます。
もしよろしければ、メルたちともども、
これからもよろしくお願いします。




