少女×火/結界
■45.怒りの矛先■
ライラは怒っていた。
キャンドルを溶かしながらジリジリと上がっていく結界内の温度のせいではない。
怒りの矛先が向けられているのは、勿論、目の前で優雅に座る伊達男。
自分勝手に彼女を攫った上、もう用済みだからと放って置かれたことに。
友達の住む国を滅ぼすなどという恐ろしいことを、粘着質な笑みとともに曰う男に。
なによりも、自分の大切な人たちを裏切り、馬鹿にされたことに!
ああ、ライラは彼女自身が思っている以上に直情的だった。拳にミリミリと力が入る。
「おや?ライラ君、どうしたんだね?そんな穴が空くほど私を睨んで」
彼は自分の肩を抱いて「あぁ、怖い怖い」などと白々しく演技する。それもまた、ライラの怒りに火を注ぐ。言い返すのも癪だと黙っている彼女を、ピュロスはさらに煽り立てる。
「っと。そうだそうだ。そんな怖い顔をする君に、一つプレゼントをあげよう」彼がそう言って取り出したのは、銀のネックレス……そう、エレナがプレゼントしてくれた、彼女の宝物である。「確か、これは君の持ち物だそうだね?」
彼はそれを摘み上げて舐めるように見ると口を歪めた。「ふむ……一見すると『防魔加護付きネックレス』……だがしかし、これは安っぽい紛い物だな。もう魔力も殆ど残っておらんし……50ع、といったところか」
それは、ピュロスの魔法雑貨商としての忌憚のない評価だった。エレナとライラの関係など一切知る由もない彼は、ライラの宝物を『紛い物』と吐き捨てるとネックレスを足元に落とすと、懐から黄金に輝く大きな真珠のネックレスを取り出した。
「もっと良いものをあげよう。これは『加護付きのブローチ』。そんなものとは違い、本物の高級品だ。売れば金貨5枚はくだらん。馬が10頭は買えるだろう……君を攫ったことに対する、ほんの罪滅ぼしだ。受け取りなさい」
ライラはもう、堪忍袋の緒が切れる寸前だ!
彼女の赤い瞳はいつにも増して燃え上がっている!
一発だけでいいから、あの憎たらしく笑む自己中男の頬を、思いっきり、渾身の力でぶん殴ってやりたい!
ライラが怒りに震えていると、「ライラさん。あの真珠、貰わなくて良いんですか?」とルンが小さな声で訊ねてきた。言葉遣いこそいつもと同じだが、怒っていると分かるほど刺々しい話し方だった。
「嫌よ。あんなヤツ、近づきたくもない」
「いいじゃないですか。アレ、握るには丁度いい大きさですし。丸いし」
「いや、ネックレスは首に……ああ、なるほど」彼女はルンが言わんとしていることを察し、そのままピュロスに言った。「いいわ!受け取ってあげる。いま、そっちに行くから、大人しく待ってなさい」
彼女の返答を聞いて、ピュロスはゆっくりと頷く。「元より取って食おうなどとは思っちゃいない」
「それにしても、アナタって商人でしょう? そんな高価なもの、本当にいいのね?」
「ああ、もちろん。新しい世界になれば、もっと大きな金が入る」
そう言って下卑た笑みを浮かべるピュロスを彼女は心底軽蔑しつつ、その手から真珠のネックレスを掠め取ると、礼も言わずに彼に背を向けた。勿論、床に落ちた宝物も拾い、すぐに首につけ直した。
「おや、そんなもの。もう要らないだろう?」
「なんにも分かってないのね。嫌な大人」
振り返りもせずに離れていくライラの背を見下すように眺めながら、ピュロスは心の中でほくそ笑んだ。
分かってないのはお嬢さんの方だ。その真珠だって『紛い物』。商人が資産を安々と手放す訳がないだろう?
彼はまたキャンドルをちらりと横目で見る。個体であることを殆ど忘れてしまったそれは、残った僅かな芯で炎を灯している。
「よくキャンドルを見ますけど。なにかあるんですか?」
意識の外からいきなり投げかけられたルンの言葉に、ピュロスはギクリと肩を震わせた。
このキャンドルは、ルシスの儀式が終わるまでの時間を示したもの。ピュロス・カロン・ミメイ、三人の役割は、その時が来るまで『侵入者』の相手をすること──つまり、時間稼ぎ。「ほんの少しの可能性でも、儀式の邪魔をされたらたまらないからね」とルシスは言っていた。
そして、キャンドルの火が消えた時、儀式が終わり『竜人の王国』の復活を告げる鐘が鳴るのだ!そうなれば、自分はイシュ王のせいで失った財産を取り戻し、もっと大規模な商売ができる!
彼はそのような私利私欲を作り笑顔の下に隠しながら、穏やかな口調で返した。
「いやぁ、なんでもない。ただ、そろそろキャンドルの交換が必要かなと思っただけですよ」
「そうなんですか?半刻も経ってないのに、随分と燃えるのが早いキャンドルですね……まるで時間でも測っているみたい」
「……何が言いたい」
この女、こちらの思惑に半分ほど気付いている。そう確信したピュロスが低い声で問い返す。
彼女は少し黙って、やがて何かに気付いたように、口をぽかんと開け、間の抜けた声で彼の後ろの大きな扉を指さした。
「ほら、ルシスさんが出てきましたよ」
「ふん……何を言い出すかと思えば、まだ儀式は終わっていない」
だが、キャンドルの意味を看破した彼女の言葉がほんの少しだけ気になった彼は、そう言いつつ軽く振り返る。
だが、それが命取りとなった。
ほぼ同時、ライラは彼に対してくるりと身体を翻すと、その手にしっかりと握ったこぶし大の真珠を振りかぶって……投げたッ!
怒りの矛先は決まっている!憎々しい髭男!
「いっけぇッ!バカッ!」
ライラとルン、そしてエレナの怒りを乗せた真珠は、一直線に彼の顔面へと向かっていく!
「……全く、こんなあからさまな嘘を吐いて何になッぐガごッ!!!」
ライラの放った渾身のストレートは、振り向きざまのピュロスの頬にクリーンヒット!
唾と血と涙と歯を吹き出しながら、燭台と共に、鈍い音を立てて床へ倒れ込んだ!
「やった!やったッ!」ライラは思わずガッツポーズ。次の瞬間、彼女たちを囲んでいた結界は綺麗に消失した。
彼女の一撃を喰らい、ピュロスは気絶してしまったようだ。
「やりましたね!ライラさん!」
「うん!なんか、すっごいスッキリした!」
ようやく解放されたライラは、息を荒らげながらとルンとハイタッチ。手をつなぎながら飛び跳ね、互いに喜びと爽快感を分かち合った。
「……良い夢が見えたようですな。お嬢さん方」
男の声。その瞬間、ライラの世界は暗転。
(あれ?私、さっきまで……あれ?なんだか、とても眠い……)
彼女が、その視界を取り戻すと、まだ、燭台に火が灯っていた。




