化物×学者 / 図書館
■36 呪い ■
月のない夜、二頭の竜が暗闇の中を北へ飛ぶ。
白羊の野望を阻止する為、ベルを取り返す為。
なんならルシスの頬を一発ぶん殴って、目を覚ましてやる為。
狼はその鼻につく微かな残香を頼りに、友人を取り戻そうと、彼の背中を追う。
──あれは十年ほど前。人狼に成り果てた彼が、まだ人間の姿へ戻ろうと必死だった頃のことだった。
入団直後より戦闘面の才覚を現した彼は、社交的な性格のおかげか、街の人にも親しまれ、カラケシュ騎士団の期待の星などともてはやされていた。未来の騎士団長などと噂され、順風満帆であった。
しかし、そんな彼に人生最大の不幸が訪れる。
南部地方の反乱鎮圧の折、敵兵の放った呪いに運悪く直撃し、彼の顔は一瞬にして異形の姿に変えられてしまったのだ。戦闘が終わり、駐屯地に帰った異形の彼に対し、他の騎士達は哀れみの眼差しを向けた。
「可哀想にな。一生そのままなんて」
呪いとは、解けぬから呪いなのだ。解ける呪いは魔法か病気と呼ばれる。そんな事は常識だ。だからこそ、残りの人生を人狼として過ごさねばならない彼を哀れみ、悲しみ、時には励ました。
それまで出世街道を走っていた彼にとって、それはどれだけ屈辱的であったことだろう。人狼に成り果てたということは、もはや出世の道など途絶えてしまったと同義だ。
消沈し、苦悩を抱えてカラケシュへと帰る彼。だが、そこで待ち受けていたものは、さらに酷いものだった。
呪われた狼姿の彼と親しくしようとする市井の人間など、どこにも居なかったのだ。
知人以外の人間はもとより、パトロール中に仲良くなった商店街の人々も、酒場で知り合った飲み仲間も、同じ釜の飯を食った仲間も、皆、彼から離れていった。
それだけではない。彼に対する差別は日に日に大きくなっていく。陰口や偏見などは当たり前。酒場や商店には入れず、家の前を通ったからと石を投げられたこともあった。ユートや、特に親しかった騎士の友人などは、気にするなと慰めの言葉をかけたり、辛辣な言葉を吐きかける奴に言い返したりもしてくれた。だがそんなものは根本的な解決にはならない。
ダンが家を出る時、頭に包帯を巻き始めたのはその頃だ。しかし、だんだんと部屋にいることが多くなり、一日中酒を飲むような日が続いた。煙草の量も倍に増えた。
不幸中の幸いは、呪いを受けることとなった出征の直前に妻が妊娠したので、彼女を田舎に帰していた事だ。妻にはこんな醜い姿を見せたくはないと、ダンは事が済むまで彼女にそこで暮らすように言った。都市の空気より、田舎の空気のほうが赤ん坊には良いなどと理由をつけて。
やがて、心に傷を負った彼は騎士団を休団し呪いを解く方法を探す為の旅へ出た。
北へ向かい、東へ行き、南を訪れた彼は……。
「さっさと街から消えろ」「穢らわしい」「化け物」「死んだほうが皆のためだ」
どれだけの罵詈雑言を投げかけられただろうか。結局、心労が溜まるだけだとその旅は半年で止めた。人間は差別をする生き物だという、悲しい現実を突きつけられて。
しかし、彼は諦めなかった。旅でダメなら、先人の知恵を頼ろう。そう思って彼は王都に移り住み、朝から晩まで学校の図書館に籠もる生活が始まった。
慣れない活字に苦戦しながらも、呪術に関する書物を片っ端から漁っていたある日、萎んだ目で閉架書庫に入ると、呪術の書棚の前に見慣れない人物が居た。
端正な顔の優男。珍しいことに眼鏡を掛けている。椅子にも座らず棚の前に突っ立ってなにやら熱心に本を読んでいる。
あまり教養のないダンには、眼鏡を掛けた彼がとても理知的な人物に思え、藁にも縋る思いで話しかけた。
「ア、アンタ。呪術に詳しいのか?」
いきなり、ミイラみたいに顔中に包帯を巻いた目の死んだ男に掴み掛かられ、彼はさぞ驚いたことだろう。男の眼鏡は顔から耳から外れるほどズレた。しかし、彼はダンの容姿に恐れや侮蔑の眼差しを向けることはなかった。
「な、なんですかいきなり……その顔はどうなさったんですかっ!?」
これが、ダンとルシスの邂逅であった。彼はダンの話をとても熱心に聞くと、すぐに二つ返事で協力すると言い出した。
「いいのか?俺みたいな奴の頼み事を。それも、今日はじめて会ったのに」
「二つある。一つは純粋な学術的興味。僕は歴史学者だから。もう一つは……君が、僕にとても似ていると思ったから」
「似てる? どこがだ?」
「いずれ分かるさ。どの道、今日からずっと一緒だ」
こうして、二人での地道な調査が始まった。人間の姿に戻るための手がかりを求めて。




