狼×少女 / 宙
■32 まっさかさま ■
ライラが催眠から目を覚ましたのは、竜へと変化するルシスの光を浴びた時だった。
霞がかった頭では、最初、自分が置かれている状況を全く理解できなかったが、どうにも様子のおかしいダンの顔を見て我に返ると、自分の小さな身体が何者かに抱えられて居ることに気づいた。
見上げると、自分を抱えていたのはユートだった。だが、彼もどうも様子がおかしい。なんか、いつもよりオッサンぽくないし、男臭くない。
さらに次の瞬間、なんと地面が落ちた!
いやルシスがその翼をはためかせ、上空へと飛んだのだ。
「ちょっと、ユート!これ一体どうなってッ!」
そう言おうとして、彼女は息を飲んだ。
ライラもろとも、ユートの身体が、ぼふんっという音と共に、煙にまみれたかと思うと、そこに現れたのはむさ苦しい騎士のユートではなく、頭に狐の耳を生やした、金髪の美女であった。
「あ~。なんで儂がむっさい男に化けにゃいかんのじゃ……」
──人狐?狐娘?
しかも、先程までその身に纏っていた重装備も跡形もなく消え、薄桃の羽衣一枚しか来ていない。
──なんて際どい衣装……私には無理……なんて考えてる場合じゃない!誰、この人!?
狐耳の美女は八重歯を見せながらあっはっはと上機嫌に笑った。
「ま、いいか!見たかいな、あの騎士共のアホ面。空を飛ばれては手も出せんか!痛快じゃったのう!」
「あまり僕の友人を悪く言わないでくれよ。彼らはいい人だった」
「ふん。騎士というだけでダメじゃ。ダメダメじゃ」
会話を聞いてライラは直感した。
この人達、敵だ。私を誘拐した組織だわ、きっと。
──って!そんなの緊急事態じゃない!どうする? 逃げる!?でも、ここは上空
ライラは下を見る。元々建物の四階にいたこともあり、もう既にはるか上空まで来ている。
どうすればいい?どうすれば助かる?
……その時、ライラの脳裏にある思い出が蘇った。
あれは、エレナがネックレスをくれた後のことだった。
その日の夕食を終え、部屋でエレナ達と一緒に『ブラン川の歌』を読んでいた時。
丁度主人公が神託を受けて、神の加護を授けられた章を読んでいた時、エレナが思い出したように語りだした。
「そう言えば、ご加護……というか、そのネックレスみたいな装飾品って、人の魔力を引き出す力を持ってるから、呪文を知らなくても、強く念じれば魔法が使えることもあるらしいよ」
「そうなの?」
「うん。お父さんが言ってた」
「へぇ~……不思議なものね。エレナは、使いたい魔法とかあるの?」
「あるよ。空を飛ぶ魔法とか」
「そんな、夢みたいなの、あるの!?」
「うん。でも、お父さんはね、『使ったら夢が壊れるから、止めとけ』って」
「……どういうこと?」
「さぁ?教えてくれないの」
と、このようなやりとりが確かにあった。
──丁度今、私は空を飛ぶ魔法を使うときなのでは!?
出来るという確証はないが、そんな事を言っている場合ではない。可能性があるならやるしかない。一度は誘拐犯から逃げ出せたのだ、次もきっと上手くいく。そう信じていた。
覚悟を決めたライラは、その身体を大きくゆすり、狐女の懐で暴れだした!
「うわッ!なんじゃ娘!起きれたのかッ!?……よさぬかッ、暴れるではない!」
「ミメイ?どうした、騒がしいぞ」
「娘っ子じゃ!……っとと、危ない!そんな動いたら落ちて……しまッ」
時既に遅し、ライラは彼女の手をすり抜け、地上へと真っ逆さまに落ちていった。
「はぁはぁ……なんとか、逃げだせた、あとはこのペンダントの力を借りて……」
ライラは首の辺りに手を当てペンダントを取ろうとする……が、さっきまで首に掛かっていたペンダントが、どこにも無かった。
「え゜ッ!?」驚きのあまり、声が裏返って変な音が出た。
──どうしよう、さっき揉み合いになった時に外れたんだ。
──このままじゃ魔法も使えないし、地面にぶつかって……死ぬの、私?こんなふざけた死に方ってありなの?
後悔が彼女の脳を一気に侵食する。
──ああ、私は大馬鹿だ。一度、彼らから運良く逃げ出すことが出来たからって、今回も簡単に行くと高をくくっていた。あんな幸運、二度もあるはずがないのに!あのときだって、逃げ出せたのは自分の力じゃない、キックスに助けてもらっただけ!
少女の瞳にジワッと涙が目から出てきた。
嫌だ……怖い、ああ、もうダメだ!
「きゃあああッ!止めてぇぇ!」
恐怖に慄いた彼女が、喉を振り絞って金切り声を上げる。
助けて!助けて!
だが、叫んだ所で現実は変わらない。
その身一つで地面へと落下する最中、涙でぼやけきった彼女の視界にダンが映る。
目を拭って、もう一度、はっきりと見る。
ああ、彼はやはりダンだ。何やら大声で叫んでいる。
「ライラッ!安心して落ちてこい! 絶対、無事に受け止めてやる!」
その言葉を聞いたライラの心に一転、安心感が芽生えた。
「ダン!」手を伸ばして、彼を見据える。
このまま落ちても、絶対に助かる。こんな絶望的な状況で、ダンならば絶対に受け止めてくれるという信頼。
地面が近づくにつれ、ダンの姿はどんどん大きくなる。
そのまま、そのまま、少女はダンの腕に……飛び込むことは無かった。
ビュオッっという不意の突風。
小さなライラの身体は風に流され、落下点が少しだけブラン川の方へズレる。
再び、望みが絶たれたかのように、彼女は叫ぶ。「きゃああッ!ダンッ!」
超高度からの落下では、水面も地面も身体に与える衝撃は変わらない。
ましてや、現在のブラン川には沢山の輝船がひしめき合っており、甲板などにぶつかったらライラのような少女ではひとたまりもない。
「くそっ! 出来れば使いたくないが……ッ!」
一方、ダンは脚部に魔力を溜め、ライラの落下軌道を見計らう。寸分のズレが命取りだからだ。
彼の作戦は非常に単純。テラスから思いっきりジャンプし、落下途中の彼女をキャッチする。ただそれだけ。
全身の感覚を研ぎ澄まし、タイミングを図る。
…………ここだッ!
狼が空へ跳んだ……いや、それは駆けたという方が適切な表現だろう。弾丸のような速度でライラに近づいていくダンの身体。
地面まで、わずか十数メートル!
「ああッ!」
ライラは思わず目をつぶり、無駄だと分かりながら頭を抱える。
しかし、彼女の身体にぶつかったのは、固い地面ではなかった。
それは、モフッとした、生き物の毛の感覚。少しゴワッとした犬の上毛。
目を開けたライラは、自分がダンにしっかりと抱かれている事に気がついた。
「ったく。お前はどうして何度も無茶するんだ」
「ダン! あぁ!ごめんなさい! ありがとう!」
彼女は大粒の涙を零し、顔をぐしゃぐしゃにする。よほどの恐怖だったのだろう、ダンの後ろ首に手を回し、その体を強く抱きしめた。




