5話
ほかほかした気持ちで自分の部屋に帰り、「サンシャインレッド〜」と鼻歌を歌いながら、リビングのテーブルに「ミツハシ」の紙袋を置く。そこからるんるん気分で袋からぶどうを取り出し、平たい皿を持ち出して来てそこに置いて眺めた。
房の大きさはこぶし二つ分くらい。薄い緑から赤のグラデーションの粒が、軽く数えて二十粒以上ついている。どんな味がするんだろう。一粒千切って洗って口に入れる。
歯で噛むとぷつりと弾ける粒。途端に口の中に広がったのは甘い果汁と花のような香りだった。シャインマスカットに似ているが、それよりも甘みが強く、かと言ってナガノパープルのような濃厚な感じではなく、爽やかさを失わない甘さ。そしてシャインマスカットにはない芳醇な香り。咀嚼していくと普通のぶどうなら口の中に皮が残る感じがあるが、それも気にならなかった。
「美味しい……っ」
これは何粒でも食べられる魅惑的な味だ。ついつい調子に乗って何粒も食べてしまい、房の中にぽっかり空いた空洞を見て、食べ過ぎを後悔した。メロンとは違い、ぶどうは少しずつ食べるから楽しいのだ。
宮川さんのオススメに乗っかって良かった。これは大当たりだ。
もしかして、隣でも同じようにサンシャインレッドを楽しんでいるのだろうか? もし明日の出勤時間が重なれば、感想を聴いてみたい。というより共有したいなと思った。
藤間は彼女はいないと言っていた。奈乃花も彼氏は一年前に別れたきりだ。
ただ、正直なところ今すぐ恋がしたいかと聞かれたら、今の生活が充実しているからか、実際には特別に恋したいという訳では無い。一人暮らしにも慣れたし、仕事は忙しいが忙しい分楽しいし、生活で背伸びしなければちょっと良いフルーツも楽しめている。今が一番幸せかもしれないと思うほどに。だから、藤間のことはカッコいいと思うし、趣味も合うが、そういう関係に積極的になりたいかと言われれば即答はできない。
でも今日、藤間と話しているのは楽しかった。フルーツ仲間が出来た心地だ。深く考えずに、今の関係性を維持しても良いんじゃないか。彼氏が欲しくない訳では無いが、今すぐに考えるのはよそう。何よりまだ相手のこともよく知らない。そう結論づけて夜はふけていった。
「おはようございます」
朝、身支度をして、扉を開けると、先に声を掛けられた。同じように挨拶を返すと、藤間の方から近づいてきた。
「サンシャインレッド食べましたか? 香りがすごくしませんでしたか?」
「食べましたよ! 品の良い香りとしつこくない甘さで皮も薄くて良かったですね」
同じ感想を言い合い、盛り上がった後、二人でエレベーターに乗り込む。
「赤いぶどうと言えば、ご存知ですか? 一番高級とされるもの」
藤間に言われて一つ思い当たるものが頭に浮かんだ。
「ルビーロマン」
「ルビーロマン!」
声が重なってから、二人の視線が重なった。
石川県産の高級ぶどうで、一房一万円はくだらないフルーツである。正しくルビーのような赤い大粒のぶどうで丸い粒が房全体についている。フルーツマニア垂涎の一品だ。
「一度は食べてみたい代物ですよね」
奈乃花が言い、藤間が同意する。
「ええ、お値段で手が出ないかもしれませんが」
「一目拝むだけでも良いですよね!」
「眺めてみたいですね」
二人はまるで宝石でも眺めているかのように上を見る。頭の中には同じぶどうが浮かんでいるだろう。
エレベーターを降りるといつもは颯爽と歩いていく藤間が振り向いた。
「柳さん、良かったら連絡先交換しませんか? まあ隣なんですけどね」
「是非!」
そう言って別れた奈乃花は、電車の中で新しく追加された〝新〟の名前とスイカのアイコンを何度も確認しながら出社した。
「あ、またなんか違うフルーツ食べてる」
翌日、お昼の休憩時間いつも通りご飯を終え、フルーツをむさぼろうとしているとまた谷口まどかが覗き込んできた。
「へへーん。昨日仕入れました。サンシャインレッドっていうぶどうです」
胸を張る奈乃花にまどかが呆れた顔をする。
「仕入れって、業者みたいね」
「一個食べます? これも皮ごといけますよ」
「いつもありがとね、遠慮なく頂きます」
一粒取って口に含む。咀嚼すると、目を見開いた。
「これはまた、この前食べたのとは全然違うね。どっちも美味しいけど、皮が薄いのはこっちかな」
「そうですよね、店員さんのオススメなんですよ」
「うん、間違いないね。ところで、隣人とはどうなの?」
「うーん、フルーツ仲間って感じですかね」
まどかがトーンダウンする。
「なんだ、そこ止まりか」
「連絡先は今日聞きましたよ! でも、まだ年齢も聞けてない始末で」
「一歩前進だけど、趣味が合うってのもなかなか考えものね。趣味の話では盛り上がっても世間話はしないもんね。柳は彼氏いないんでしょ?」
「いませんよ。なんかお隣も彼女いないらしいですけど」
「なら狙い目じゃない」
発破をかけるまどかだが、奈乃花の反応は鈍い。
「いやーでもフルーツの話ができるだけで楽しくて」
「ふうん。まあ急いては事を仕損じるって言うからね」
なんだか、まどかの方が藤間を狙っているような言い方に苦笑する。
「お隣さん狙ってます?」
「いや、見守ってる。大事な後輩だからね」
そう捨て台詞を残して、肩にぽんと手を乗せるとそのまま去っていった。




