2話
さて、ナガノパープルである。
夕飯の準備は出来ているがこうなったらもうそんな物は置いといて、優先順位は果物がのし上がった。
つやつやと黒びかりしている果実には、薄く白い粉がついている。ブルームという果実が自分の身を守る為に自然とできるもので、鮮度の良い証拠だといわれている。枝も青々としていて、新鮮さを物語っているようだ。
まるで黒い宝石とも見えるひと粒をぷつりとちぎってシンクに持っていき少し洗う。不躾だが台所に立ったまま、それに一口かぶりとかぶりついた。一粒の中から濃厚な果汁が溢れ出る。しっかりした甘さと、仄かな酸味。皮部分に少し苦みが交じるが、すべてが合わさるとそれは一言。
「おいっしい!!」
これが、これが食べたかったのだ。
思っていた形とは違ったが、手元にこのぶどうがあることに喜びを感じた。やっぱり一日のご褒美はフルーツだと、うんうん頷きながら、食べかけの残りを食べきる。ひとくち頬張る度にその味に唸ってしまう。後、一粒。いや、二粒、三粒。食べたらご飯にしよう。そう心に決めて、もうひとつふたつちぎって洗いにかけ。同じ手順を辿った。
結局、夕食の後も五粒も食べてしまい、房からして残り三分の二くらいになった。明日の朝ご飯と、明日のご褒美に残しておこうと、そのまま冷蔵庫に大事にしまった。
翌朝。朝ご飯にまたナガノパープルを頂き、ほくほくとした気持ちで家を出る。
「おはようございます」
隣から聞こえてきたそれにドアから顔を出すと、昨日挨拶した藤間の出勤のタイミングと重なってしまったようだ。
「おはようございます。そちらも今から出勤ですか?」
「そうです。奇遇ですね」
声を掛け合って一緒にエレベーターに向う。
「あ、ナガノパープルありがとうございました。美味しいです。少しずつ食べてます」
「良かったです。美味しいですよね。種もなくて、皮ごと食べられますし」
同じような歩幅になり、エレベーターに乗り込む。先に一階を押してくれて、「ありがとうございます」とお礼を言った。
「もしかして、フルーツお好きですか?」
「どうしてですか?」
「いや、他の方にも以前差し上げたことがあるのですが、みんな〝黒いぶどう〟って言って名前を呼称される方は少なかったので」
意外なところから言い当てられてしまって、少し照れながら答える。
「あー……実はめっちゃ好きです」
「え、本当ですか? 僕も好きなんです」
食い気味で帰ってきた言葉と、驚いたイケメンの顔に若干気圧された。
「や、やっぱりそうなんですね。ナガノパープルくれる人珍しいからそうかなと思ってたんですけど」
「ええ、そうです。シャインマスカットも考えたんですが、ここは奇をてらってナガノパープルかなと思ったんです」
「ちょうど食べたかったので嬉しかったです!」
まさか同じ物を同じ場所に買いに行きましたとは言えなかった。
「本当ですか? それはなにより。お隣さんが同じフルーツ好きで俺も嬉しいです」
それは奈乃花もだった。
チンと音が鳴って一階に到着すると、自然に別れる形となった。
「では、お互い企業戦士として今日も一日、頑張りましょう」
面白い激励に「ふふっ」と笑みをこぼす。
「そうですね。家に帰ったらご褒美があるので頑張れます」
「良かった。それではまた」
「また」
そう小さく手を上げて別れる。藤間は長い脚で颯爽と行ってしまったが、奈乃花はその場に留まり、なんだか清々しい朝だなと思った。




