1話
季節は実りの秋。色々な果物が沢山出回り、フルーツが一番充実する季節である。
「柳さん、これもやっといて」
「柳さんごめん、これもお願いします」
「柳さん、これ急ぎで!」
「柳さーんどこー?」
「書類まとめ終ってるー? 担当柳だよね?」
「はーい、担当のやなぎです〜」
書類で埋め尽くされたデスクからへろへろになりながら顔を出したのは、この会社の営業事務兼雑務担当の柳 奈乃花だ。少し茶色がかった髪をポニーテールにし、オフィスカジュアルに身を包んだ26歳である。
「生きてる? 大丈夫?」
心配そうに奈乃花の様子を伺ったのは、同僚の谷口まどか。奈乃花の五つ年上の女性営業マンである。
「……なんとか生きてます」
にへらっと作り笑いを浮かべると、谷口は満足したように微笑んだ。だが、気遣ったのもつかの間、次の瞬間には「で、書類はできてる?」と鋭い眼光で要求した。
「こちらです」
気圧されながら、おずおずと注文されていた営業資料の一覧を渡すと、素早く奪われ、代わりに奈乃花の空になった手のひらには新しい資料が収まった。
「じゃ、これもまとめよろしくね」
綺麗な笑顔と共に突きつけられた追加の書類に愕然としたが、愕然としている暇があるならば手を動かせのモットーの元、奈乃花の仕事は更にスピードアップした。
二ヶ月前、二人いたはずの営業事務が奈乃花一人になってからというもの、奈乃花の仕事量はみるみるうちに倍増した。それからずっとこんな状況が続いており、補充要員を待っているがなかなか決まらず、平行線を辿っている。毎日限界を試されているような仕事量だが、奈乃花は辞めるつもりはない。何故ならば事務にしては破格の給料が貰えるから。つまりお金である。何よりも仕事は忙しければ、忙しい程良いと考えている。何故なら、そのあとのご褒美がより一層輝くからだ。
なんとか一日の業務を終え、帰路につく。改札にICカードをタッチして、地元の大きな駅に着くと、ちょっと寄り道する。地下から直通の通路を進んで、デパートに入る。目的地は地下一階にあるフルーツ専門店、「ミツハシ」だ。
「こんにちは」
奈乃花が店内に入るとすぐに声かけてくれたのは顔なじみの店員、宮川さんだ。40代くらいの女性で、奈乃花のことはもう常連として認定してくれているようだ。
「あっこんにちは」
「いつもありがとうございます」
丁寧な挨拶で出迎えられ、いつもちょっとタジタジになるが、気持ちいい接客をしてくれるので宮川さんのことは店員さんの中でも好いている。
店内には色とりどりの季節の果物が取り揃えられている。梨や柿、りんごやみかん、ぶどうは黒や、緑、赤色まで揃っている。見ているだけで楽しい店内だ。お客は他にスーツ姿のサラリーマンが一人おり、男性の店長さんと話しこんでいるようだった。
「今日はどうされました?」
「ぶどうが欲しくって……」
「今が旬ですものねーお値段も安くなって、味も美味しく、房も大きくなってますよー」
「ですよね! 私はナガノパープルが欲しいんですけど……」
ナガノパープル。文字通り長野県が十数年を掛けて開発した、黒いぶどうでは珍しい皮ごと食べられるぶどうだ。黒いぶどうの特徴と言える濃厚な甘みと、甘さを引き立てる酸味を持ち、更に皮ごと食べられる食味の良さから長野だけではなく、全国でも栽培されている。ただ、やはりここは長野県産の物が食べたいところだ。
「勿論、ありますよ……って、あ」
振り返った宮川さんが、店長とサラリーマンの方を向いて静止した。視線の先に陳列されていたはずのナガノパープルがなくなっている。
見ると、男性の手元に陳列されていた四房共、すべて並んでいた。
「えーっともしかして……」
不安になって宮川さんに声を掛けると、引きつった笑みを浮かべながらこちらを向いた。
「ちょーっと確認して来ますね」
そのままサラリーマンを接客中の店長のそばに行くと二、三個質問して、帰ってきた。笑みはなく、低頭平身のまま口を開く。
「申し訳ございません、今日はナガノパープルはあれだけしかなくて、売り切れです」
「えーーー」
叫びたい心境だったが、場所が場所だけに小声に留めたことを褒めて欲しい。
「すみません……良かったら、同じ黒ぶどうの巨峰もありますがいかがですか?」
宮川さんは気を遣って違う品種も勧めてくれたが、奈乃花の気持ちは固かった。
「ありがとうございます。でもごめんなさい、今日はナガノパープルを目当てに来たので……」
「すみません、品切れないように仕入れときます……」
「お願いします。また、来ますね」
申し訳なさそうな宮川さんを後に、失意のままに自宅行きの電車に乗った。
フルーツショップ「ミツハシ」は基本的に進物向けに販売されているので、複数買いはままある。何度か見たことがある。だが、なにもこんな日に四房も一気に買わなくても良いだろうに、と憎まれ口を叩きたくなった。あの細身のサラリーマンが一人で四房? ありえない。多分、誰かにあげる為に買い占めたのだろう。そうに違いない。そうだったらまだ許せるかもしれない。
トゲトゲした気持ちをなんとか宥めようとして、奈乃花のものになるはずだったナガノパープルに思いを巡らせて気分を落ち着けた。
「ただいまー」
おかえりと迎えてくれる声はないが、一人暮らしの部屋に挨拶してしまうのは奈乃花の癖だった。
玄関に入って靴を脱ぎ捨て、廊下に座ると自然と「はあ」と溜息が出た。
「私のナガノパープル……」
今日も仕事は忙しかった。それをなんとか終えて自分への頑張ったご褒美になるはずだったが、なくなってしまった。その失意はなかなか晴れない。
「仕方ない……ご褒美は後の方が美味しいもんね」
負け惜しみのような独り言を呟いて、引きずられそうな心を矯正した。
とりあえず、晩ごはんの準備をして、ひとり「いただきます」と手を合わせた所で、玄関のチャイムがなった。
今日はよく邪魔が入るなあなどと思いながら、玄関を開けると、そこに眼鏡をかけたイケメンがいた。
「初めまして、隣に引っ越して来た藤間新と申します」
細身のスーツに、細長の眼鏡。黒髪は清潔に整えられていて、仕事が出来るサラリーマン風の男性だった。歳は多分同じくらいか少し下くらいに見える。
そういえば、先日大家さんから奈乃花の隣の空室の持ち主が決まったと話を聴いていた。
「あっ……どうも。柳です」
「こちら大したものじゃないですが、お近づきのしるしにどうぞ。冷蔵庫で冷やしてお召し上がり下さい」
ずいっと出された紙袋は、先ほど訪れたフルーツショップ「ミツハシ」のものだった
「これって……」
「なにか?」
「いえ、なんでも……ありがとうございます。頂きます。何か分からないことありましたら気軽に聞いて下さいね」
「ありがとうございます。助かります。ご迷惑おかけするかもしれまんせが、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
お互いにお辞儀をして分かれた。久しぶりに見る眼光鋭めの眼鏡イケメンだった。いや、それよりも大事なのものがある。
急いで台所に行って「ミツハシ」の袋から物を出す。包装紙に包まれた長方形台のものが出てきた。包装紙のデザインも「ミツハシ」もので間違いない。中身を見なくてもわかる。これは果物だ。サイズ感からして、もしかしたらぶどうなのかもしれないとワクワクしながら包装紙を開く。
するとそこには、長野県産のナガノパープルを冠した黒いぶどうが出てきた。長野産のぶどうには長野特有デザインのタグが枝につけられるが、正しくそれがついている。
もしかして、あの時ナガノパープルを買い占めてたサラリーマン!?
そう考えれば納得もいく。四房も買い占めていたのは引っ越しの手土産としてだったとしたら。あの時、顔はみていない。ただ、スーツを着たサラリーマンだなあと思っただけだった。思い返してみると、スーツの色は一緒だ。
だが、引っ越しの手土産で果物を選ぶってなかなか粋だ。果物好きの奈乃花としては、両手を振って歓迎する。
「もしかして、お隣さんも果物好きだったり?」
だったら、嬉しいなあと思った。




