第16話 病気の母親
遠くから宴の喧噪が静かに聞こえてくる夜。
僕はフェアリーエルフの村で、美少女なシェリルに案内されて一本の大木の前にいた。
見上げれば、大木の上に家がある。
木の幹に細長い板が打ち付けてあり、はしごのように昇ることができた。
僕はシェリルに尋ねる。
「空が飛べなくても、登れるようになってるんだね」
「いえ、他の家は違います。うちは父が羽無しエルフだったので」
「なるほど」
納得しながら僕は木の幹を登って行った。
太い幹の上に板を張り巡らせて作られた家。意外と頑丈なつくりをしていた。
家の中は広い一部屋となっていて、隅には押し入れのような物置があった。
部屋の隅に置かれた敷き布団に女性が寝ている。
見た目は若い。シェリルのお姉さんと言われても信じられるぐらいの美しい女性だった。
しかし女性は浅い呼吸を繰り返し、頬がやつれていた。
僕は女性に近づいて傍にしゃがんだ。
シェリルに断りを入れる。
「お母さんを診察していいかな?」
「お願いします、ユート先生」
シェリルが横にひざまずいて母親の掛け布団をめくった。
僕はじっくりと観察する。
顔色が悪い。青ざめている。
手首を手に取ってみる。脈が早い。
血中酸素が足りてなさそう。やっぱり肺炎?
「咳に血が混じったりはしてない?」
「咳き込むことはありますが、血は混じってないです」
「うーん。わからないなぁ。とりあえず、キュアポーションの原料はあるから作ってみようか」
「えっ? ユート先生はポーションも作れるのですか?」
「うん、たぶん。手順は知ってる」
「すごいです、先生」
シェリルは尊敬のまなざしで僕を見てきた。
――期待を裏切ることになったらどうしよう。
僕は少し不安になりつつ、アイテムボックスから数種類の薬草を取り出した。
薬草を磨り潰す乳鉢がないな。
「深い皿と、棒はあるかな?」
「はい。こちらです」
シェリルがすり鉢とすり棒を持ってきた。
受け取って薬草をすりつぶしていく。
ゴリゴリと音を立ててすりつぶす。
擦り終えたら布に包んで濾過する。
また次の薬草をすりつぶす。一度にやると失敗する。順番が大切。
全部漉し終えて深い皿に青みを帯びた緑色の液体が溜まった。
僕は皿をシェリルへと差し出す。
「これに魔力を込めてみて」
「はい」
シェリルが深い皿を両手で持った。手が光るとともに薬草の汁も光に包まれる。
光が収まると、青みが深まった液体となった。
「まあこれでキュアポーションほどじゃないけれど、病気に効く薬ができたと思う」
「ありがとうございます。さっそく飲ませます――お母さん」
シェリルは母親を起こした。
母親は苦しそうに顔をゆがめてから目を開けた。
不思議そうにシェリルと僕を見る。
「あらシェリル、どうしたの? ――そちらのかたは?」
「こちらは恩人のユート先生よ。薬を作ってくれたの」
「まあ、わざわざありがとうね」
母親は苦しげな笑みで僕にお礼を言った。
僕は顔をしかめつつ頭を掻いた。
「効くといいんですが……」
「さあ、お母さん。飲んでみて」
シェリルは母親を抱えると、お皿を顔に近づけた。薬を飲ませていく。
薬が苦いのか、母親は眉間にしわを寄せつつ、それでも最後まで飲みきった。
飲み終えて息を吐く母親。その顔色がみるみるうちに良くなった。
薬が効いたようで僕も、ほっと安堵の息を吐いた。
「良くなったようで良かったです」
「ありがとう、ユートさん」
母親は胸に手を当ててお礼を言った。病気が治って自分でも驚いているようだ。
シェリルが案面の笑みで頷く。
「さすが先生です。薬まで作ってしまうなんて」
「でも、対処療法になってしまってます。原因を見つけて、根本的な治療をしないと」
「そうですねぇ……どこが悪いんでしょう」
母親は頬に手を当てて首をかしげた。
僕はシェリルに尋ねる。
「他に症状とか、暮らしの中での異変とか、なかった?」
「うーん。思い当たることはないです」
シェリルは首をかしげて考えたがわからないようだった。
そのときだった。
カサカサと、乾いた音がした。
音に目を向けると、小さなカニがいた。赤茶色の体。沢ガニっぽい。
そのカニが床板の上を小さな音を立てて横歩きしていた。
木に住むカニかな? さすがファンタジーな異世界。
僕は感心しつつシェリルに言う。
「木の上にカニが住んでるんだね」
「え? ――あ、違います。食材が逃げただけです」
シェリルが素早く動いてカニを捕まえた。部屋の隅にある壺まで歩いて中に入れる。
僕はその姿を、もっと言えばカニをじーっと見つめる。
「そのカニって綺麗な小川に住むカニかな?」
「そうです。素揚げにして塩を振ったものが、母の好物でして」
シェリルの言葉に、母親が恥ずかしそうに言う。
「普通に上げてもパリパリした食感がおいしいのですが……恥ずかしながら、半生で食べると旨みが強くなって、とても気に入っています」
「え?」
僕は一瞬、固まった。思考が加速する。
沢ガニ。素揚げ。半生。
肺球虫症――。
僕は思わず叫んだ。
「それだ!」
「え?」「なにがです?」
驚く親子を尻目に、僕は顎に手を当てつつ考えながら話す。
「えっと、沢ガニは病気の元っていうか、寄生する小さな虫を持ってる。よく火を通せば大丈夫なんだけど、生で食べるとその虫が肺まで来て球体を作るんだ。それで呼吸ができなくなって苦しくなる。最悪、死に至る」
「ええ!」「そんなことが!?」
「だから今後、半生で食べるのは禁止ね。中までしっかり火を通して食べるようにして」
「わ、わかりました!」「必ず火を通します!」
親子は真剣な声で答えた。
まあ原因がわかってよかった。
まさかあの小さなカニが病気の原因だったなんて
他のエルフに病気が出てなかったのは、ちゃんと火を通してたからだろうね。
シェリルが感激した声で言う。大きな目の端に涙まで浮かんでいた。
「病気の原因を知っているなんて、さすがユート先生です!」
「いやいや、たまたま知ってただけだよ」
前世の知識だった。
居酒屋で酒に漬けた沢ガニの踊り食いをして十数人が肺球虫症になったニュースを見たことがあった。
「でもこれで母が助かりました。ほんとうにありがとうございます」
「いきなりきて病気も治してくれて。命の恩人ですわ」
「ユート先生は、私にとっても命の恩人なんです」
「なにかあったの、シェリル?」
「それはね、お母さん――」
シェリルは今までのことを話した。
母親は目を見開いて驚きながら話を聞いた。
話が終わって、母親は布団の上に座り直した。
僕に向かって丁寧に頭を下げる。
「私と娘の命を救っていただき、本当にありがとうございました」
「いえいえ、運良く助けられただけです。お礼を言われるほどでもないですよ」
「そんなことはありません! お礼がしたいので、ぜひ泊っていってください!」
「あー、ごめんなさい。村長の家に泊まることになってて……」
僕の言葉にシェリルが不安そうな顔をした。
「でも村長の家に泊まるとさっきのジャンがいますよ……? 大丈夫でしょうか?」
「あ、そっか」
――嫌な感じの男だった。できれば会いたくないな。
僕が悩んでいると、母親がニヤリと笑って胸を叩いた。
「私に任せてください。病気を治してもらったことを含めて、我が家に泊まれるよう、お願いしてきましょう」
「わかりました。お願いします」
僕は頭を下げた。
母親は立ち上がると、素早く家を出て行った。
広い部屋の中に、僕とシェリルが取り残された。
シェリルは押し入れから薄い布団を二組出してきて、床に敷いた。
「じゃあ、ユート先生。疲れたでしょうからお休みください」
「ありがとう、シェリル」
僕は敷かれた布団にもぐりこんだ。
――布団が薄すぎて眠れなさそう。
そう思った瞬間、僕の瞼は急速に閉じていった。




