第5話 進路希望調査
春人は、紙を見つめていた。
進路希望調査。
白い紙の余白が、やけに広く見える。
春人はペンを持ったまま止まる。
進路なんてわからないのに、見えない未来を決めろと言われている気がした。
どこかで引っかかるものがあるのに、言葉にできない。
書けそうで、書けない。
そのまま、時間だけが過ぎた。
⸻
放課後。
春人はカバンを持って、あの公園へ向かった。
理由はもうない。
ただ、そこに行くのが少しだけ自然になっていた。
ベンチには佐伯が座っていた。
いつもの缶コーヒーを片手にしている。
見慣れた姿だった。
春人はいつもの光景に安心する。
「佐伯さん」
「おう」
それだけの短いやり取り。
その“いつもの感じ”が、少しだけ心を落ち着かせた。
そこへひまりが走ってくる。
「おそーい!」
「遅れてへんやろ」
ひまりはランドセルを揺らしてベンチに飛び込むように座った。
少し遅れて、美代がやってくる。
歩くペースはいつも通り穏やかだった。
「春人くん、どうしたの?」
美代が気づく。
春人はカバンから紙を取り出した。
「これ」
進路希望調査。
ひまりが覗き込む。
「なにこれ?」
「未来を書く紙や」
佐伯が言う。
「未来って書くものなん?」
ひまりは首をかしげる。
その一言に、春人は少しだけ救われる気がした。
書くものなのかどうか、わからなかったからだ。
美代は紙を見つめながら言った。
「昔は、もう少し単純だった気がするわね」
「単純って何がですか?」
春人が聞く。
「やりたいことを、やりたいって言えたのよ」
風がベンチを通り過ぎる。
少しだけ沈黙が落ちる。
佐伯が缶コーヒーを飲みながら言った。
「書かんでもええんちゃうか」
「え?」
「未来なんか、書いた通りになるもんちゃうしな」
軽い言い方だった。
でも春人の中に、少しだけ残った。
ひまりが手を挙げる。
「じゃあ私、プリン屋さん!」
「職業ちゃうやろ」
佐伯が即答する。
ひまりは笑う。
「いいじゃん、楽しそうだもん」
美代も微笑んだ。
「楽しそう、は大事よ」
春人は紙を見つめたまま、まだ書けなかった。
未来は見えない。
でもこの場所にいると、見えない未来を少しだけ想像できそうな気がした。
⸻
その日の帰り道。
春人は結局、何も書かないまま紙をカバンに戻した。
空欄のままの未来が、そこに残っている。
でも不思議と、不安だけではなかった。
ベンチで聞いた言葉が、不思議と耳に残っていた。
「未来は書くものじゃない」
これから作り、決めていくことができる。
春人は少しだけ歩く速度を緩めた。
明日のことなら、少しだけ考えられる。
そう思いながら。




