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第36話 2人の時間

 夕暮れが病室を優しく染めていた。


 窓の外では、秋風が木々を静かに揺らしている。


 病室には、美代ひとり。


 目を閉じると、聞き慣れた優しい声が聞こえる。


「ひまりさん」


 少し間があってから返事が返ってきた。


(……はい)


 美代は静かに微笑んだ。


「今日は、とても静かですね」


(そうですね)


「こんな時間も、悪くないですね」


---


 2人はしばらく黙って夕暮れを眺めていた。


 言葉がなくても、不思議と心はじんわり暖かかった。


---


「ひまりさん」


(はい)


「紬さん、お元気でしたね」


 未来のひまりは嬉しそうに微笑む。


(はい)


(相変わらず優しくて)


(…私のことも)


(両親のことも)


(全部抱え込んでて)


(少し泣かせちゃいました)


 美代も微笑む。


「紬さんは芯の強い人だけど涙もろいですからね」


「でも、今はとても幸せそう」


(はい…)


---


 沈黙が優しく時を流してくれる。


---


(佐伯さんも)


(相変わらずでした…)


「変わらない人なのね」


「不器用で」


「照れ屋さんで」


「優しくて」


「きっとリサさんを幸せにしてくれる人よね」


 未来のひまりは嬉しそうに頷いてこう返した。


(リサさんが)


(佐伯さんを幸せにしてくれる気がします)


 美代が笑う。


---


(春人くんも)


(きっと大丈夫ですね)


「そうね」


「あの子は道を見つけた」


「ちゃんと未来へ進んでくれるわ」


---


 また優しく静かな時間が流れた。


---


 美代は優しく問いかける。


「ひまりさん」


「あの健診の日のことです」


「先生が驚いていましたね」


 返事が返ってくるまで、時間がかかった。


(……はい)


(美代さんに少しでも永く生きてほしくて)


(私の気持ちが届いたのかも)


 美代は小さく笑う。


「私の身体を守ってくれていたんですね」


(みんなに会ってほしかったから)


(…みんなに会いたかったから)


(私の時間は…)


 言葉が途切れる。


(……もう、たぶん残り少ないと思います)


---


 美代はゆっくり涙をこらえながら目を閉じた。


(ありがとう…)


(あなたのおかげで)


(私は大切な人たちに、ちゃんとお別れが言えました)


---


「そんな……」


「私の方こそ、お礼を言いたいくらいだわ」


 言葉が少しかすれる。


---


「ひまりさん」


(はい)


「あなたに会えて、あなたが私の中に来てくれて、本当に良かった」


 未来のひまりは少し照れて胸が熱くなる。


(私もです…)


(美代さんと会えて…)


(本当に……)


 そこで言葉が止まった。


---


「ひまりさん」


 返事はない。


---


 美代は心のざわつきを抑え。


 静かに待っていた。


---


 しばらくして。


(……はい)


 小さな声が返ってきた。


 今にも消えてしまいそうな声だった。


---


(美代さん……)


(ありがとう…)


 未来のひまりは少し笑う。


(なんだか…)


(とても安心してしまって…)


---


 美代も優しく微笑んだ。


「こちらこそありがとう」


(はい)


---


(紬ちゃんにも)


(ありがとうって言えたし…)


(佐伯さんにも…)


(リサさんにも)


(春人くんにも)


(みんなに会えました…)


---


(だから……)


(もうこれ以上、…幸せなことはありません…)


---


 美代は静かに頷いた。


「本当に、幸せでしたね」


---


(ありがとうございます…)


---


 また沈黙が流れる。


---


「ひまりさん」


 返事はない。


---


「ひまりさん」


 もう一度呼ぶ。


---


 静かな病室には、時計の針だけが時を刻んでいた。


---


 美代は、そっと目を閉じて小さくつぶやく。


「ひまりさん、ありがとう…」


 一筋の涙が頬を伝う。


 けれど、その表情は穏やかだった。


---


「いつの間にか一緒にいた」


「ひまりさん」


「あなたのおかげで」


「あなたがいてくれたから」


「私は最後まで笑っていられました」


---


 美代は静かに窓の外を見つめる。


 夕焼けの空には、一羽の鳥がゆっくりと飛んでいた。


---


「私はね」


「ひとりで静かに終わっていくんだと思っていました」


「でも」


「最後に、こんなにたくさんの人と出会えた」


「それだけで十分です」


「だから、大丈夫」


「あの子たちなら」


「きっと、自分たちの未来を歩いていける」


---


 秋風が、カーテンを優しく揺らした。


 その風はまるで、ひまりが最後に残してくれた「ありがとう」のように、静かで、どこまでも温かかった。


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