第34話 ありがとう
約束の日。
秋の風が静かに吹く午後だった。
美代はいつもの公園ではなく、少し離れた静かな喫茶店で紬を待っていた。
「お待たせしました」
紬が小さく頭を下げる。
「お忙しいところ、ありがとうございます」
「いえ」
「私も気になっていましたから」
2人は向かい合って席に座った。
温かいコーヒーの湯気が、静かに立ち上る。
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少しだけ世間話をしたあと。
美代は静かに口を開いた。
「紬さんと、お話ししたい方がいるんです」
紬は首を傾げた。
「……お話ししたい方、ですか?」
「ええ」
「でも、その前に」
「どうか驚かずに聞いてくださいね」
紬はゆっくり頷いた。
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美代は静かに目を閉じる。
店の中が、一瞬だけ静まり返ったようだった。
(お願いします)
(はい)
穏やかな声が重なる。
そして、美代がゆっくりと目を開いた。
その瞳は、どこか優しく、それでいて懐かしさを宿していた。
「……紬ちゃん」
その呼び方に、紬は小さく息を呑む。
「初めまして……ではありませんね」
紬は戸惑う。
「えっと……」
「私は、ひまりです」
「未来の」
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言葉が止まる。
紬は理解が追いつかない。
「未来の……ひまりちゃん?」
「はい」
「私は未来から、この時代へ意識だけを送ってもらっています」
「今は、美代さんの体をお借りしています」
紬は言葉を失っていた。
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「信じられないよね」
「私もいまだに夢のように思ってるのよ」
未来のひまりは優しく笑う。
「でも」
「これは本当の話なんです」
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紬は何度も美代の顔を見る。
けれど、その話し方も。
笑い方も。
どこか、ひまりを思わせる温かさがあった。
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「どうして……」
「どうして私に、その話を?」
未来のひまりは静かに微笑んだ。
「ありがとうって、伝えたかったからです」
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「紬ちゃん」
「私はね」
「あなたに育ててもらいました」
紬の瞳が大きく揺れる。
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「私は小さい頃」
「お父さんとお母さんの真実を知らずに育って」
「なんで帰ってこないの」
「どうして私だけって」
「何度も考えた」
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「でも」
「紬ちゃんは、寂しい思いをしている私のそばにずっといてくれた」
「いつも私の為にがんばってくれた」
「いつも抱きしめてくれた」
「私は毎日が幸せだった」
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紬の目に涙が浮かぶ。
「ひまりちゃん……」
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「だからね」
「私は、お父さんとお母さんがいない寂しさを受け入れて生きてこられたの」
「全部」
「紬ちゃんのおかげなの」
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紬は唇を噛む。
「でも私は……」
「本当のことを話せなくて……」
「ずっと苦しかった」
「ひまりちゃんから、お父さんとお母さんのことを聞かれるたび……」
「私は……」
涙が一つ、頬を伝う。
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未来のひまりは優しく首を振った。
「紬ちゃん悩まないで」
「私はね、本当のこと、なんとなく気づいてたの」
「子供の私にはすぐに受け入れられなくて」
「悲しくなることもあったけど」
「紬ちゃんがいてくれたから」
「全部、受け入れることができたの」
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「私はね」
「紬ちゃんを、お母さんだと思ってたの」
紬はもう言葉にならなかった。
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「子どもの頃は、恥ずかしくて『お母さん』って呼べなかった」
「でも心の中では、ずっとそう思ってたの」
「私にとってのお母さんは」
「ずっと紬ちゃんでした」
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店の中は静かだった。
聞こえるのは、時計の針だけ。
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しばらくして。
未来のひまりは少しだけ表情を曇らせた。
「でも」
「今日、この話をしたのには、もう1つ理由があるの」
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「私は」
「美代さんと意識を共有していてね」
「それが、少しずつ難しくなってるの」
紬は顔を上げる。
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「未来から意識を転送していても私には仕組みはわからないの」
「今は美代さんのおかげでなんとかなってる」
「みんなと紬ちゃんとまた会えた」
「美代さんを通して」
「私の大切な人たちのために」
「私にできることをしたかったの」
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「もうすぐ」
「私は消えてしまうと思う」
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紬の顔から血の気が引いた。
「そんな……」
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未来のひまりは、穏やかに微笑む。
「だから」
「消える前に」
「どうしても」
「紬ちゃんに、ありがとうだけは伝えたかったの」
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紬は堪えていた涙を流した。
未来のひまりも、瞳が潤む。
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窓の外では、秋の木の葉が一枚、ゆっくりと舞い落ちていた。
静かな時間だけが、2人を優しく包んでいた。




