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第30話 春人の進路

 朝のホームルームだった。


 教室には少しだけ張りつめた空気が流れている。


「もう決まっている人もいると思いますが」


「今日は進路希望調査を配ります」


 先生がプリントを配り始めた。


 教室のあちこちから小さなため息が聞こえる。


「もう嫌だぁ」


「まだ決めてないやついるの?」


 そんな声が聞こえてきた。


 春人もプリントを受け取る。


 前なら。


 きっと同じように困っていただろう。



 紙には志望校を書く欄があった。


 春人はペンを握る。


 迷わなかった。


 大学名を書く。


 その文字を見つめて、小さく笑った。


 前は何も書けなかった。


 未来が見えなかったから。


 でも今は違う。


 未来はまだ分からない。


 それでも。


 行ってみたい場所ができた。


 学びたいことができた。



 放課後。


 職員室へ提出に行く。


 担任の先生がプリントを見て顔を上げた。


「決めたんだな」


「はい」


 春人は頷く。


「理由を聞いてもいいか?」


 少し考える。


「知りたいことがあるんです」


「知りたいこと?」


「将来のこととか、未来のこととか」


「まだ全然分からないんですけど」


「だから未来を学びたいです」


 先生は静かに笑った。


「先生には難しいことはよく分からないけど」


「興味をもって進める道が見つかったんだな」


 春人は頷く。


「今からだと楽じゃない」


「でも、その覚悟で決めたんだろ」


「だったら先生は応援する」


「頑張れ」


「はい」


 春人は力強く返事をした。



 学校を出る頃には、夕方になっていた。


 駅へ向かう途中。


 自然と足が公園へ向かう。


 ベンチには美代が座っていた。


「あら」


「こんにちは」


「こんにちは」


 春人は隣へ腰掛ける。



「今日は少し嬉しそうね」


 美代が言う。


「分かりますか?」


「ええ」


 春人は少し照れながら笑った。


「進路希望調査を出しました」


「これから受験勉強づくしです」


「そう」


 美代は優しく頷く。


「書けたのね」


「はい」


「やっとです」



 風が静かに吹く。


 木の葉が1枚舞い落ちた。


「美代さん」


「なあに?」


「前は未来が見えなくて怖かったんです」


「でも」


「今は未来が楽しみなんです」


 美代は何も言わずに聞いている。


「変ですよね」


「いいえ」


 美代は静かに首を振った。


「未来が楽しみになったのは」


「今日までの春人くんが頑張ってきた証拠よ」


 春人はその言葉を静かに受け止めた。



「人はね」


 美代が続ける。


「未来を変えようとして前を向くんじゃないの」


 春人は顔を上げる。


「前を向ける人が未来へ進んでいけるの」


「春人くんは、もうその一歩を踏み出しているわ」


「これからが楽しみね」


 春人は小さく笑った。


「最近、その意味が少し分かる気がします」


「そう」


 美代も笑った。


「それなら良かったわ」



 夕焼けが公園を優しく染めていく。


 春人は空を見上げる。


 未来はまだ遠い。


 けれど。


 その未来へ向かう今日がある。


 それだけで。


 少し胸が弾んだ。



 家へ帰る道。


 春人は鞄の中の進路希望調査の控えを思い出す。


 たった1枚の紙。


 けれど。


 そこには、少し前まで書けなかった自分の未来が書かれていた。


 明日の積み重ねは。


 少しずつ、人を未来へ連れて行く。


 春人は秋風の中を、まっすぐ前を向いて歩いていった。


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