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第29話 紬の休日

 よく晴れた日だった。


 珍しく予定は何もない。


 ひまりは友達の家へ遊びに行っている。


 家の中は静かだった。



 洗濯を終えて。


 掃除機をかける。


 冷蔵庫の中を確認して、足りないものをメモする。


 気づけば昼になっていた。


「休みなのに」


 紬は思わず苦笑する。


「いつもとあまり変わらないな」



 昼食を簡単に済ませる。


 ソファに座って一息ついた。


 静かな部屋。


 テレビもつけていない。


 ふと。


 美代の言葉を思い出した。


『紬ちゃんが楽しそうにしているとね』


『ひまりちゃんは安心すると思うの』


「……」


 あの日から。


 その言葉が何度も頭に浮かんでいた。



「私が楽しそうに、か」


 そう呟いてみる。


 今まで考えたこともなかった。


 ひまりが笑っていてくれること。


 健やかに育ってくれること。


 そればかり考えてきた。


 自分が楽しむことなんて、後回しだった。


 ふと。


 姉の笑顔が浮かんだ。


 明るくて。


 よく笑う人だった。


 小さい頃から、何かあるたびに言っていた。


「紬は考えすぎなんだから」


「もっと自分のことも大事にしなさい」


 その頃は。


 笑って聞き流していた。


 でも今なら分かる気がする。


 もし姉さんが今ここにいたら。


 きっと同じことを言うだろう。


「ひまりのことはお願いね」


 そして。


「紬もちゃんと幸せになってね」


 そう言って微笑んでくれる。



「今日は少しくらい」


「自分のために何かしようかな」


 誰に言うでもなく呟く。



 午後。


 紬は近くの商店街を歩いていた。


 買い物をする予定はない。


 ただ歩いてみたかった。


 秋風が心地いい。


 花屋の前で足を止める。


 色とりどりの花が並んでいた。


「きれい」


 自然と声が漏れる。



 少し歩くと、小さな雑貨屋が目に入った。


 店内をゆっくり見て回る。


 かわいい食器。


 木でできた小物。


 優しい色のマグカップ。


 紬は1つのマグカップを手に取った。


「これ、いいな」


 いつもなら戻していた。


 でも今日は少し違った。


「たまにはいいか」


 ふと、ひまりのことが頭をよぎり。


 同じマグカップも手に取った。


 そうしてレジへ向かった。



 帰り道。


 紙袋を片手に歩く。


 不思議だった。


 マグカップを2つ買っただけなのに。


 なぜか心が軽かった。



 夕方。


 ひまりが元気よく帰ってきた。


「紬ちゃーん!」


「おかえり」


「今日な!」


「いっぱい遊んできた!」


 楽しそうに今日の出来事を話し始める。


 紬は笑いながら聞いていた。



「紬ちゃんは?」


 ひまりが聞く。


「今日は何してたん?」


 紬は少し考えてから笑った。


「ちょっとお買い物」


「何買ったん?」


「これ」


 袋から新しいマグカップを2つ取り出す。


「かわいい!」


 ひまりが目を輝かせた。


「いいやろ?」


「うん!」


「紬ちゃんに似合う!」


「1つはひまりのだよ」


「ありがとうぉー!」


 その言葉に。


 紬は思わず笑った。


「おそろいだよ」



 夜。


 ひまりが眠ったあと。


 紬は新しいマグカップで温かい紅茶を飲んでいた。


 湯気がゆっくり立ち上る。


 窓の外では虫の声が聞こえる。


 何気ない夜。


 何気ない休日。


 でも。


 少しだけ違っていた。



 自分のために過ごした時間。


 その少しの余裕が。


 ひまりの笑顔も。


 自分の笑顔も。


 優しくしてくれる気がした。



 紬はマグカップを両手で包みながら、小さく微笑む。


「たまには、こういう休日もいいな」


 その笑顔は。


 前よりも、ほんの少しだけ自然だった。


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