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第26話 研究室へ

 来週の約束の日だった。


 春人は大学の正門の前に立っていた。


 秋の空は高い。


 初めて来た時ほど緊張はしていない。


 けれど。


 少しだけ胸が高鳴っていた。


「また来てしまったな」


 そう呟いて、大学の中へ入る。



 研究棟の前まで来ると。


「Haruto」


 聞き慣れた声がした。


 リサだった。


 今日は白衣を羽織っている。


「こんにちは」


「こんにちは」


 リサは少し嬉しそうに笑った。


「本当に来ましたね」


「約束しましたから」


「そうでした」


 二人は並んで研究室へ向かう。



 研究室の中は相変わらずだった。


 難しそうな本。


 ホワイトボードいっぱいの数式。


 パソコンの画面には見たことのないグラフが並んでいる。


「すごいなぁ」


 春人は思わず呟いた。


「まだ分からないですか?」


「全然分かりません」


 リサが吹き出す。



「でも」


 春人はホワイトボードを見ながら続けた。


「前よりワクワクします」


「前より?」


「はい」


「分からないんですけど」


「分からないから知りたいです」


 リサは少しだけ目を細めた。


「それは大事です」



 研究室の窓からは、大学の中庭が見えた。


 学生たちが歩いている。


 笑い声も聞こえる。


 春人はその景色を見ながら聞いた。


「リサさんは、なんで研究者になったんですか?」


 リサは少し考えた。


「難しい質問です」


「すみません」


「いいえ」


 リサは小さく笑った。



「子供の頃から知りたかったんです」


「何をですか?」


「どうして世界は動くのか」


 春人は黙って聞いている。


「どうして時間は進むのか」


「どうして昨日は戻らないのか」


「どうして未来は分からないのか」


 リサは窓の外を見た。


「知りたかった」


「ただ、それだけです」



 春人は少し考える。


 そして小さく笑った。


「僕と似てるかもしれません」


「え?」


「最近、未来が気になるんです」


「進路とかじゃなくて」


「時間とか」


「未来とか」


「なんでそうなるんだろうって」


 リサは静かに聞いていた。



「Haruto」


「はい?」


「未来へ行きたいですか?」


 突然の質問だった。


 春人は少し考える。


「前は行きたかったです」


「前は?」


「未来が見えなかったから」


 リサは黙っている。


「でも今は」


 春人は窓の外を見る。


「見たい気持ちはあります」


「けど」


「未来を見るより」


「未来を考える方が面白い気がします」



 リサは少し驚いた顔をした。


 それから。


 嬉しそうに笑った。


「いい答えです」


「そうですか?」


「はい」


「研究者っぽいです」


「それ、褒めてます?」


「褒めてます」


 春人は少し照れた。



 その時だった。


 研究室の棚に置かれていた古いノートが目に入る。


「このノートも研究ですか?」


 春人が尋ねる。


 リサは振り返った。


「それは昔の研究記録です」


「先生たちの?」


「はい」


「何十年も前のものです」


 春人は興味深そうにページを眺めた。


 古びた紙。


 手書きの文字。


 消えかけた図。



「不思議ですね」


「何がですか?」


「昔の人が考えたことが残ってる」


 春人はノートを閉じる。


「その人はいなくなっても」


「考えたことは残るんですね」



 リサは少し考え。


 それから静かに頷く。


「そうですね」


「時間が過ぎても」


「残るものはあります」


 その言葉は。


 どこか優しかった。



 気づけば外は夕方になっていた。


「すみません」


「長居しすぎました」


 春人が頭を下げる。


「大丈夫です」


 リサは笑った。


「また来てください」


「いいんですか?」


「はい」


「Harutoは質問がたくさんあります」


「それ、子供扱いしてません?」


「少しだけです」


「ひどいなぁ」


 二人は笑った。



 大学を出る頃には、空がオレンジ色に染まっていた。


 春人は駅へ向かって歩く。


 手には大学の資料。


 頭の中には、今日聞いた話。


 そして。


 まだ答えのない疑問がたくさんあった。



 未来は分からない。


 時間のことも分からない。


 けれど。


 知りたいと思う。


 その気持ちは確かだった。



 春人は小さく笑う。


「また来よう」


 その言葉は独り言だった。


 けれど。


 未来へ続く小さな一歩のようにも聞こえた。


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