第18話 未来への興味
その日は、朝から落ち着かなかった。
春人は大学のパンフレットを抱えながら、駅前を歩いている。
今日は大学のキャンパス見学だった。
「……広」
正門をくぐった瞬間、思わず声が漏れる。
大きな建物。
行き交う大学生。
知らない言葉ばかり並ぶ研究室の案内。
春人は少しだけ圧倒されていた。
進路はまだ決まっていないままだ。
先生には、もう決めないとと言われる。
親にも、“将来どうするんだ”と聞かれる。
けれど。
自分が何になりたいのか、まだ分からない。
未来が、見えない。
⸻
見学会の途中。
春人は、人の流れから少し外れた廊下を歩いていた。
すると。
「Haruto?」
聞き覚えのある声がした。
振り返る。
「あ」
そこには、リサが立っていた。
白衣姿だった。
髪を後ろで軽くまとめている。
公園で見た雰囲気とは、まるで違った。
「リサさん?」
「大学見学ですか?」
「はい。なんでここに?」
リサは少し笑った。
「わたし、ここで研究してます」
「えっ」
春人は思わず固まる。
「研究者なんですか!?」
「はい。Physics」
「物理……」
その瞬間。
春人の目が少しだけ変わった。
⸻
研究室の前には、難しそうな数式が並んでいた。
ホワイトボードいっぱいの計算式。
春人には分からない文字ばかり。
けれど、不思議と目が離せなかった。
「すご……」
リサはそんな春人を見て、小さく笑う。
「すごいですか?」
「めちゃくちゃすごいです」
「でも、わからないことばかりです」
「研究者でも!?」
春人が驚く。
リサは肩をすくめた。
「未来、わからないことばかりです」
その言葉に、春人は少し黙った。
そして。
ぽつりと聞く。
「……リサさんって、未来が怖くなったことあります?」
リサは少しだけ目を丸くした。
「未来?」
「はい」
春人は視線を落とす。
「大学とか、仕事とか」
「何になりたいとか」
「最近ずっと考えるんですけど、正直よく分からなくて」
「未来って、見えないじゃないですか」
静かな廊下に、春人の声だけが響く。
リサは少し考えてから、ゆっくり頷いた。
「Future……難しいです」
「未来は、いつも難しい」
春人も頷く。
「ですよね」
「わたしも、“未来”研究してます」
「え?」
春人が顔を上げる。
リサはホワイトボードを見ながら言った。
「時間とか、時空とか」
「でも、未来は簡単じゃないです」
春人は少し考える。
(未来を研究……?)
言葉の意味は、よく分からない。
けれど。
妙に引っかかった。
「未来って……研究できるんですか?」
リサは少し笑った。
「できたら、わたし苦労しません」
春人が吹き出す。
リサもつられて笑った。
⸻
研究室を出る前。
春人はもう一度、ホワイトボードを見つめた。
意味は分からない。
でも。
知らない世界が、そこにはあった。
「……なんか、ちょっと面白いです」
「Physics」
「……物理学ですよね」
「はい」
リサは嬉しそうに笑った。
「Haruto、向いてるかもしれません」
「いやいや、全然ですって」
「目が、知りたい人の目です」
春人は少しだけ照れくさそうに笑った。
未来は、まだ分からない。
けれど。
分からないからこそ、知りたいと思った。
大学を出る頃には、夕焼けが街を赤く染めていた。
春人は大学のパンフレットを抱えながら、小さく空を見上げる。
「……未来、か」
その呟きは、秋の風の中へ静かに溶けていった。




