第12話 明日から未来へ
その日の公園は、いつもより人が少なかった。
空には薄い雲が広がっていて、夕焼けもどこか控えめだった。
ベンチには、佐伯と春人が並んで座っている。
美代は病院の日で、今日は来られないらしい。
ひまりも、紬と買い物に行く日だと言っていた。
静かな夕方だった。
佐伯は缶コーヒーを開けながら、小さく息を吐く。
「今日は静かやな」
「ひまりおらんと、こんな違うんやな」
「ですね」
春人も苦笑した。
最近は、ひまりの笑い声が聞こえないと、公園が妙に広く感じる。
しばらく沈黙が流れる。
風が木の葉を揺らしていた。
やがて春人が、ぽつりと口を開く。
「そういえば前に、佐伯さん言ってましたよね」
「ん?」
「“偉くなって、家族つくって、それが夢やったんかもしれん”って」
佐伯は少しだけ目を丸くした。
「ああ……そんな話したな」
「佐伯さんって、もうそういう未来は考えないんですか」
缶コーヒーを持つ手が止まる。
佐伯はすぐには答えなかった。
遠くの空を見ながら、小さく笑う。
「難しいこと聞くな、お前」
「すみません」
「いや、ええけど」
佐伯は背もたれに体を預けた。
「諦めた……訳やないんやと思う」
春人は黙って続きを待った。
「でもな。社会人になると、毎日が同じなんや」
「朝起きて、会社行って、帰って、寝る」
「気づいたら40過ぎとって、“まあ俺はこんなもんか”って、勝手に思い込んどった」
風が吹き抜ける。
佐伯の声は、どこか自分に言い聞かせるみたいだった。
「けど、お前らと話しとると、不思議と考えるんや」
「考える?」
「おう」
佐伯は少し照れくさそうに笑った。
「美代さんの話聞いとったら、“大事な人がおる人生”ってええなって思うし」
「ひまり見とると、“子どもおったらこんな感じなんかな”って想像してまう」
春人は小さく笑う。
確かに、佐伯はひまりに対してどこか父親みたいな顔をする時があった。
「あと、お前な」
「僕ですか?」
「進路で悩んどるの見とると、“ちゃんと大人せなあかんな”って思う」
「いやいや、佐伯さん十分大人じゃないですか」
「だれがじじいや」
佐伯は即答した。
思わず春人が爆笑する。
その笑い声につられるように、佐伯も笑った。
少ししてから、佐伯はぽつりと言う。
「たぶん俺、自分でも気づかんうちに、“未来”のこと考え始めとったんやろな」
春人は、その言葉を静かに聞いていた。
“明日”の話ばかりしていた佐伯が。
少しずつ、その先を考え始めている。
「じゃあ佐伯さん」
春人は笑いながら言った。
「佐伯さん迷子はやめるんですね」
「わかりにくい言いまわしやな」
「前に進んでいる人を迷子とは言わないじゃないですか」
「うわ、迷子あつかいやめろ」
佐伯は顔をしかめたあと、小さく笑った。
「……まあ、ちょっとくらい足掻いてみるわ」
その言葉は、冗談みたいだった。
けれど春人には、ちゃんと本音に聞こえた。
公園に、静かな風が吹く。
いつものベンチ。
けれど今日は、少しだけ景色が違って見えた。
春人は思う。
人は、大きな夢を急に見つけるんじゃない。
誰かと話して。
誰かの人生に触れて。
そんな小さな時間の中で、忘れていた夢を思い出していくのかもしれない。
佐伯は空になった缶コーヒーを見つめながら、ふっと笑った。
「……家族、か」
その呟きは、夕暮れの風の中へ静かに溶けていった。




