第11話 お迎え
その日は、夕方になっても空に薄い雲が残っていた。
公園の木々が風に揺れるたび、乾いた葉がカサカサと音を立てる。
ベンチには、佐伯と美代が並んで座っていた。
春人は少し遅れてやってきて、軽く頭を下げる。
「こんにちは」
「おう」
「今日は冷えるわねぇ」
美代が手を擦りながら笑った。
春人が周囲を見回す。
「ひまりちゃんは?」
「今日はまだ来とらんな」
佐伯が缶コーヒーを揺らしながら答える。
この前の熱以来、ひまりは少しだけ公園へ来る時間が不規則になっていた。
元気そうにはしている。
でも時々、急に静かになることがある。
春人はそれが少し気になっていた。
その時だった。
遠くから、小さな足音が聞こえてくる。
「さえきさーん!」
ひまりだった。
ランドセルを揺らしながら、いつものように走ってくる。
春人は胸の奥が軽くなるのを感じた。
「お、元気になったな」
「うん! もう熱ない!」
ひまりはベンチの前でぴたりと止まった。
けれど今日は、後ろにもう1人いた。
黒いコートを着た女性。
少し離れた場所で、どこか遠慮するように立っている。
紬だった。
「あれ」
春人が小さく呟く。
紬は軽く頭を下げた。
「こんばんは」
細い声だった。
美代が優しく笑う。
「紬さん、こんばんは」
紬は少し迷ったように視線を泳がせ、それから口を開いた。
「あの……今日は、迎えに来ました」
「迎え?」
春人が聞き返す。
ひまりは得意そうに胸を張った。
「今日はね、紬ちゃんがお仕事お休みなの!」
「だから一緒に帰る!」
その声が、やけに嬉しそうだった。
佐伯はその様子を見ながら、ふっと目を細める。
「そっか」
紬は少し照れたように笑った。
「今まで、仕事が終わる時間が遅くて……いつも図書館とか、公園で待たせてしまっていたので」
「今日は早く帰れる日だったから」
ひまりは紬の袖をぎゅっと掴んでいる。
春人は、なんとなく分かった気がした。
ひまりは、公園が好きだった。
でも本当は。
誰かを待っている時間が、少し寂しかったのだ。
「ひまりちゃん」
美代が優しく声をかける。
「今日は嬉しい日ね」
「うん!」
ひまりは大きく頷いた。
「今日の予定、変わったの!」
「おお、なんや?」
佐伯が聞く。
ひまりは満面の笑みで言った。
「今日はね、紬ちゃんとスーパー寄る!」
「それでハンバーグ作るの!」
紬が困ったように笑う。
「ひまりが食べたいって言って」
「えへへ」
そのやり取りを見ながら、春人は自然と笑っていた。
スーパーへ寄って、一緒に晩ごはんを作って、家に帰る。
ただそれだけだ。
でも。
ひまりにとっては、それがきっと、とても大事な予定なんだと思った。
佐伯が立ち上がる。
「ほな、今日は早めに帰らなあかんな」
「ハンバーグ焦げる前に」
ひまりが楽しそうに笑った。
「まだ作ってないもん!」
公園に、柔らかな笑い声が広がる。
紬はその輪を見つめながら、小さく頭を下げた。
「あの……本当に、ありがとうございます」
佐伯が首を傾げる。
「何がです?」
「ひまりが、公園の話をたくさんするんです」
紬は静かに言った。
「今日も佐伯さんが缶コーヒー飲んでた、とか」
「美代さんが優しかった、とか」
「春人くんがパン屋に行った、とか」
春人は思わず吹き出した。
「僕はパン屋に行った話なんですね」
「毎日、楽しそうに」
紬はそう言って、少しだけ笑った。
その顔は、以前より柔らかかった。
ひまりが紬の手を引っ張る。
「帰ろ!」
「はいはい」
2人は並んで歩き出す。
少し先を歩くひまりに、紬が小さな声で言った。
「走ると危ないよ」
「はーい!」
元気な返事が、夕暮れの公園に響く。
その背中を見送りながら、美代がぽつりと呟いた。
「お迎えって、いい言葉ね」
佐伯が缶コーヒーを開けながら頷く。
「待っとる人がおるってことやからな」
春人は、遠ざかっていく2人の後ろ姿を見つめていた。
冷たい風の中。
ひまりの隣には、温かな眼差しがあった。




