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異世界に特定外来生物(世界改変おじさん)が放出されました〜勝手に異世界に召喚されたから常識改変で世界をめちゃくちゃにしても問題ないよね?〜  作者: 黒海苔
倫理観崩壊レベル1

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第五話:初めて、誰かのためにノートを使った件

 昼前。


 恒一はグラムベルの鍛冶屋の扉を押し開けた。


 熱気と金属の匂いが迎える。


 昨日と変わらない店内。


 だが今日は、作業台ではなくカウンターにティナがいた。


 珍しく帳簿を広げている。


「来たか」


 ティナは恒一を一瞥すると、棚の下から革鎧を取り出した。


 恒一はそれを受け取り、広げてみる。


 昨日見た時より、明らかに形が変わっていた。


 肩の合わせ目が調整され、脇の締め付けも緩められている。


 試しに羽織ってみると、思ったより動きやすかった。


「……よく合ってる」


「当たり前だ」


 ティナは帳簿から目を上げずに言った。


「採寸もなしに調整したんだ。感謝しろ」


「ありがとう」


「……ふん」


 短い沈黙が落ちる。


 ティナは帳簿のページをめくりながら、ぽつりと言った。


「なぁ、あんた」


「なんだ」


「……本当に、うちの常連だったか」


 恒一の手が、一瞬だけ止まった。


 ティナは帳簿を見たままだった。


「帳簿を見ても、あんたの名前がどこにも出てこない。記録が残ってないのは妙だと思ってな」


 恒一は何も言わなかった。


 ティナはしばらく帳簿を眺めていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……いや、なんでもない。最近、寝不足だ。頭がおかしくなってる」


 ぱたり、と帳簿を閉じる。


「鎧の代金は昨日もらった。さっさと使いに行け」


「ああ」


 恒一は革鎧を抱え、店を出た。


 扉が閉まった瞬間。


 小さく息を吐く。


 ――気づきかけていた。


 ノートの改変は、完全ではない。


 記憶は変えられても、積み重ねまでは生まれない。


 帳簿に名前がない。


 具体的なやり取りを思い出せない。


 そういう“ズレ”は、消えない。


 賢い人間ほど、そこに違和感を覚える。


 恒一は歩きながら、そのことを頭の隅に刻んだ。


 ノートは万能じゃない。


 使い方を、もっと考える必要がある。


 ◇ ◇ ◇


 冒険者ギルドに寄り、恒一はミレイナに声をかけた。


「《緑霧の森》の沢周辺について、今日の魔物の出没状況を教えてもらえるか」


 ミレイナはすぐに台帳を確認した。


「昨日の報告では、沢沿いに小型の《ウォーターリザード》が複数確認されています。前回コウイチ様が遭遇されたものより、少し大きい個体のようです」


「逃げ切れるか」


「……正直に申し上げると、難しいかもしれません」


 ミレイナの声が少し硬くなる。


「走るより泳ぐ方が速い種です。沢沿いでは追いつかれやすいかと」


 恒一は少し考えた。


「わかった。ありがとう」


「コウイチ様」


 ミレイナが声のトーンを落とした。


「無理はなさらないでください」


 真剣な目だった。


 恒一は小さく頷き、ギルドを出た。


 ◇ ◇ ◇


 宿に戻ると、コレットが食堂の掃除をしていた。


 恒一の姿を見るなり、ぱっと顔が明るくなる。


「あ、コウイチさん! その鎧、グラムベルさんのですか? 似合ってます!」


「今日、もう一度《緑霧の森》へ行く」


「えっ、昨日行ったばかりなのに……?」


「前回採れなかった青蕗草が残ってる。もう一度挑戦したい」


 コレットは少し考えた。


 それから、おずおずと口を開く。


「あの……私も、行っていいですか」


「だめだ」


 即答した。


「えぇ……」


「危ない」


「でも私、獣人だから鼻も耳もいいんです。魔物の気配なら早めに気づけます。それに、青蕗草なら場所も知ってます。お母さんと何度も採りに行ったことがあるので」


 恒一は足を止めた。


「青蕗草の場所を知ってるのか」


「はい。沢の上流に群生してる場所があるんです。そこまでの道も覚えてます」


 恒一は少し考えた。


 リスクとリターンを計算する。


 コレットが怪我をすれば、それは大きなリスクだ。


 だが、沢までの道を知っているのは大きい。


 魔物の気配を早く察知できるなら、逃げる時間も増える。


 感情ではなく、合理的に判断する。


 少なくとも、そういうことにした。


「……わかった。ただし、俺の言うことに従え。逃げろと言ったら即座に逃げる」


「はいっ!」


 コレットの耳がぴんと立った。


 しっぽが大きく揺れる。


 恒一はそれを見て、少し思った。


 この子を連れていくのは、本当に合理的な判断なのか。


 それとも。


 ただ、断りたくなかっただけなのか。


 ――どちらでもいい。


 そう結論づけて、歩き出した。


 ◇ ◇ ◇


 《緑霧の森》に入ると、コレットはすぐに変わった。


 宿では明るく快活な少女だった。


 だが森に入った途端、耳をそばだて、静かに周囲を見回し始める。


「……東の方に、何かいます。小さいです。たぶん脅威じゃありません」


 恒一には何も聞こえなかった。


「西は今のところ大丈夫です。風上に回れば、匂いでわかります」


「案内してくれ」


「こっちです」


 コレットは迷いなく森の中を進んでいく。


 踏み固められていない道を、まるで庭のように歩いていた。


 恒一は黙ってついていきながら、内心で思う。


 ――一人で来るより、ずっと効率がいいな。


 マナ草と癒し草はすぐに採れた。


 コレットが匂いで群生地を見つけたからだ。


 恒一が一人で一時間かけて採った量を、三十分ほどで揃えてしまった。


「青蕗草は沢の上流です。もう少し奥に入ります」


「気配は?」


 コレットは耳を澄ませた。


「……今は大丈夫です。ただ、少し湿った匂いがします。《ウォーターリザード》の縄張りが近いかもしれません」


「わかった。慎重に行く」


 二人は沢沿いを進んだ。


 水音が大きくなる。


 霧が濃くなる。


 コレットが足を止めた。


「……ここです」


 沢の岸辺に、青みがかった根元を持つ植物が群生していた。


 青蕗草だ。


「よく覚えてたな」


「お母さんとよく来てたので」


 コレットは少し微笑んだ。


 二人は素早く採集を始めた。


 手際よく、丁寧に。


 十束分の青蕗草が揃い始めた頃。


 コレットの耳が、ぴんと立った。


「……コウイチさん」


 声が低くなる。


「来ます」


 次の瞬間。


 沢の向こうの草むらが、大きく揺れた。


 昨日のリザードより、一回り大きい。


 緑色の鱗が湿って光っている。


 赤い舌が、素早く出入りしていた。


「逃げるぞ」


 恒一は即座に言った。


 だが。


 魔物は一匹ではなかった。


 左から、もう一匹。


 右から、さらに一匹。


 三匹の《ウォーターリザード》が、じりじりと距離を詰めてくる。


「こっちです!」


 コレットが走り出した。


 恒一も後を追う。


 だが、魔物の方が速かった。


 沢沿いの地形が、逃げ道を塞いでいる。


 左は沢。


 右は岩壁。


 前に二匹。


 後ろに一匹。


 完全に囲まれていた。


「っ……!」


 コレットが恒一の前に出た。


 前方の魔物に向けて身体を張る。


「コレット!」


 魔物が跳んだ。


 爪が、コレットの腕を掠める。


「――っ!」


 コレットがよろけた。


 白い腕に、赤い線が走る。


 恒一は瞬時に判断した。


 逃げられない。


 戦えない。


 だが。


 コートの内ポケットに、手が入っていた。


 気づいた時には、ノートを開いていた。


 手が震えている。


 普段と違う。


 自分のためじゃない。


 コレットが怪我をした。


 このままでは、もっと酷いことになる。


 恒一はペンを走らせた。


 文字が、少し滲む。


『この場にいる魔物は、佐藤恒一とコレット・ミルフィに敵意を抱かない』


 書き終えた瞬間。


 ぞわり、と。


 空気が揺れた。


 魔物が、止まった。


 牙を剥いていた口が閉じる。


 赤く充血していた目が、濁る。


 三匹が、それぞれ顔を上げた。


 何かを確認するように周囲を見回して。


 そのまま、ゆっくりと草むらへ戻っていく。


 まるで、最初から二人に興味などなかったかのように。


 静寂が戻った。


 水音だけが、変わらず続いていた。


「…………」


 コレットは、その場に座り込んでいた。


 腕を押さえながら、呆然と魔物が消えた方向を見ている。


 それから、ゆっくりと恒一を振り返った。


 琥珀色の瞳が揺れていた。


「コウイチさん……」


 小さな声だった。


「今、何を……したんですか」


 恒一はノートをしまった。


 少し間を置いてから答える。


「たまたまだ」


「……たまたま?」


「魔物が急に大人しくなることはあるらしい。ミレイナから聞いた」


 嘘だった。


 コレットは恒一の目を見た。


 何かを確かめるように。


 真剣に。


 恒一は目を逸らさなかった。


 コレットはしばらくそのまま見つめていたが、やがて視線を落とした。


「……そう、ですか」


 納得したわけではないだろう。


 だが、今はそれ以上聞かなかった。


「腕を見せろ」


 恒一はしゃがみ、コレットの腕の傷を確認した。


 深くはない。


 だが、血が出ている。


「痛いか」


「……少しだけ」


「歩けるか」


「はい」


「帰ろう」


 恒一は立ち上がり、コレットに手を差し出した。


 コレットは少し躊躇ってから、その手を取る。


 立ち上がりながら、小さく言った。


「……助けてくれて、ありがとうございます」


 恒一は何も言わなかった。


 ただ、歩き出した。


 ◇ ◇ ◇


 帰り道。


 コレットは何度か恒一を見上げた。


 助けてもらった。


 怖い魔物から救ってくれた。


 なのに。


 胸の奥で、小さな警鐘が鳴っていた。


 本能が、“触れてはいけない何か”を感じ取っているような。


 それでも。


 恒一の隣にいると、不思議と安心してしまう。


 そのことが、コレットには少しだけ怖かった。


 ◇ ◇ ◇


 恒一は考えながら歩いていた。


 今回は仕方なかった。


 コレットを助けるためだった。


 誰も損していない。


 むしろ、救った。


 そう思う。


 そう思いながら、同時に別のことも考えていた。


 ――使えば、助けられる。


 その事実が、じわりと頭に広がっていく。


 田中さんの時は、ただ浮かれたかっただけだった。


 グラムベルの時は、ただ装備が欲しかっただけだった。


 だが今回は、必要だった。


 本当に必要だった。


 だから使った。


 これは正しかったはずだ。


 ――本当に?


 自分の声が、自分に問い返した。


 恒一は答えを出さずに、歩き続けた。


 ◇ ◇ ◇


 宿に戻ると、コレットの腕を彼女の母親が手当てした。


 恒一は食堂の隅で、それを黙って見ていた。


 コレットは時々こちらを見る。


 目が合うたびに、すぐ逸らした。


 感謝。


 戸惑い。


 そして、ほんの少しの怯え。


 それらが混ざった目だった。


 手当てが終わると、恒一は部屋へ戻った。


 扉を閉める。


 椅子に座る。


 ノートを取り出す。


 表紙を眺めた。


 ペンを手に取る。


 そして。


 何かを書こうとして、止まった。


 書きかけた文字が、ノートに残る。


『俺は――』


 そこで、ペンが止まった。


 自分をどう書き換えるか。


 強くするか。


 臆病さを消すか。


 迷いをなくすか。


 書けば、現実になる。


 だが。


 恒一はペンを置いた。


 書きかけた文字を、ゆっくりと消す。


 まだ、決められない。


 窓の外で、《エルドリア》の夜が深まっていく。


 恒一はノートを閉じて、天井を見上げた。


 使えば、助けられる。


 その考えは、正しいのかもしれない。


 だが。


 その考えを正しいと思い始めた自分は。


 果たして、まだ“まともな倫理観を持っている”と言えるのか。


 答えは出なかった。


 夜だけが、静かに更けていった。

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