第三十七話:皇帝が動いた件
帝都 《ドラグニア》。
ドラヴァニア帝国の中心。
西大陸最大の都市。
その中心に、皇城がある。
高い尖塔。
赤い屋根。
黄金の装飾。
帝国の力を見せつけるような建築だった。
◇ ◇ ◇
謁見の間ではなく、皇城の奥にある私室。
そこに炎龍フィア=ドラヴァニアはいた。
椅子に深く腰掛けて、窓の外を眺めていた。
侍女が机の上に書類の束を積んでいた。
「本日の政務書類です。署名をお願いします」
「後でいい」
「……昨日も同じことを」
「後でいいと言っている」
侍女は諦めたように下がった。
フィアはそのまま窓の外を見ていた。
退屈だった。
いつも退屈だった。
戦争ごっこも、商売の数字も、他国との外交も、全部退屈だった。
面白いことが何もない。
「陛下」
別の侍従が入ってきた。
「《影刃軍団》より緊急報告が届いております」
「また何かの反乱か。好きにしろ」
「それが……」
侍従が少し間を置いた。
「《グランヴェル》からの報告です。白銀の剣聖の一行に関するもので、同行者の中に、百二十年前の記録と特徴が一致する鬼人がいる、との内容です」
フィアの目が、変わった。
窓の外を見ていた瞳が、侍従に向いた。
「……なんと言った」
「百二十年前の記録に残る、炎龍陛下と三日間渡り合ったとされる鬼人と特徴が一致する、との報告です」
フィアは立ち上がった。
椅子が後ろへ引かれる音がした。
「その報告書を持ってこい」
「はい」
侍従が素早く動いた。
フィアは報告書を受け取った。
読んだ。
一度読んで。
また読んだ。
「《グランヴェル》か」
「はい」
「今、どこにいる」
「報告書によれば、帝国方面へ向かったとのことで、現在位置は不明です」
フィアは報告書を机に置いた。
その顔に、珍しく笑みがあった。
「シュラか」
独り言だった。
「百二十年ぶりか」
しばらく黙ってから。
「招待状を出せ」
「……は?」
「白銀の剣聖の一行へ。帝都への丁重な招待状だ。断りづらい文面で頼む」
侍従は少し困惑した顔で頷いた。
「かしこまりました。ただ、現在位置が」
「探せばわかるだろう。お前たちの仕事だ」
「は、はい」
フィアは再び窓の外を見た。
久しぶりに、少し楽しい気分だった。
机の上の書類の山には、もう一度目を向けなかった。
◇ ◇ ◇
同じ頃。
恒一たちは帝国の街道を歩いていた。
《グランヴェル》から二日。
街道沿いの小さな町を通る。
帝国の雰囲気は、確かに違った。
建物が大きい。
道が広い。
軍人らしき人間が多い。
そして。
「また繋がれてる」
恒一が呟いた。
荷馬車の後ろを歩く、数人の人影。
手首に鎖。
うつむいた顔。
「帝国では普通の光景です」
エルシアが静かに言った。
「見慣れないといけないわけではないですが、いちいち反応していると、消耗します」
「慣れるものなのか」
「慣れはしないですが……少し、距離を置いて見るようになります」
恒一は荷馬車が通り過ぎるのを見送った。
コートの内ポケットに触れた。
今の自分に、何ができるか。
帝国全体には、まだ手が届かない。
でも。
少しずつなら。
◇ ◇ ◇
その夜。
街道沿いの宿で。
恒一は一人、ノートを開いた。
しばらく考えてから、書いた。
『この宿の主人は、奴隷を連れた客にも普通の客と同じ扱いをする。奴隷を粗雑に扱うことを不快に思っている』
書いた。
小さかった。
宿の主人一人だけ。
でも、ここに泊まる奴隷たちが、今夜だけは少し違う扱いを受ける。
それだけでいい。
今夜だけでも。
恒一はノートを閉じた。
窓の外の帝国の夜を見た。
まだ遠い。
でも、少しずつ近づいている。
どこへ向かっているのかは、まだわからなかった。
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