第二十四話:修行初日、仲間が思ったより優しかった件
翌朝。
「起きろ」
まだ空も薄暗い時間だった。
恒一はぼんやりと目を開ける。
焚き火は小さく燻っている。
冷たい朝の空気。
湿った草の匂い。
そして。
目の前には、酒瓶を片手に立つシュラがいた。
「……朝早すぎないか?」
「修行じゃからな」
「せめて酒は置いてこい」
「朝酒はうまいぞ」
「駄目だこの師匠」
恒一は重い身体を起こした。
その瞬間。
「……っ」
全身に鈍い痛みが走る。
昨日一日歩いただけなのに、足も腰も肩も悲鳴を上げていた。
立ち上がるだけで膝が軋む。
「うわ……」
「もう筋肉痛ですか?」
少し離れた場所で朝食の準備をしていたエルシアが苦笑する。
「社会人舐めるなよ……運動不足の化け物だぞ……」
「威張ることじゃないですよ?」
エルシアは呆れたように笑った。
その横では。
リリスが毛布に包まりながらこちらを見ていた。
「お父様、弱そう」
「朝から的確に刺してくるな」
「でも大丈夫」
リリスはこくりと頷く。
「結界ある」
昨夜張られた黒紫色の防御結界。
普通の攻撃程度では破れないらしい。
基準が怖い。
「では行くぞ」
シュラが当然のように歩き始めた。
「待て。飯は?」
「走った後じゃ」
「ブラック企業か?」
「なんじゃそれは」
「嫌な文化だよ」
だが。
結局。
恒一はそのまま連行された。
◇ ◇ ◇
森の朝は冷える。
朝露に濡れた草。
霧がかった獣道。
遠くで鳥の鳴き声が聞こえる。
「まずは走れ」
シュラが軽く言った。
「どれくらい?」
「山を一周じゃな」
「嫌な予感しかしない」
「安心せい」
「その言葉が一番不安なんだよ」
シュラは笑う。
エルシアは少し困ったように苦笑した。
「……まあ、最初の方はきついですよ」
「経験者みたいな言い方だな」
「経験者ですから」
「え?」
恒一が目を丸くする。
エルシアはさらっと頷いた。
「私も最初の頃は、似たようなことやらされてました」
「お前も?」
「はい」
白銀の剣聖。
今の姿しか知らなかった恒一は、少し意外だった。
エルシアは強い。
余裕がある。
落ち着いていて、何でもできそうに見える。
でも。
最初からそうだったわけじゃないらしい。
「毎日筋肉痛でしたし、崖から落ちましたし、逃げようと思ったこともあります」
「お前でもそんな時代があったのか……」
「ありましたよ」
エルシアは苦笑する。
「師匠、本当に加減しないので」
「死なんかったじゃろ」
「私は何回も死ぬかと思いましたからね!?」
「強くなったじゃろ?」
「結果論です!!」
いつものやり取りだった。
だが。
どこか安心する。
「まあでも」
エルシアは少しだけ優しく笑った。
「慣れたら何とかなりますから。最初だけの辛抱ですよ」
「……本当か?」
「本当です」
エルシアは頷く。
「身体って意外と慣れますから。私も最初は全然走れませんでしたし」
「今の姿から想像もできないな……」
「今だからですよ」
その言葉に。
恒一は少しだけ肩の力が抜けた。
「では始め」
シュラが軽く言った。
その瞬間。
エルシアが走り出す。
だが。
一瞬で消える速度ではなかった。
ちゃんと、恒一に合わせている。
「ほら、行きますよ」
「……遅くないか?」
「最初から置いていったら修行にならないじゃないですか」
エルシアは少し笑った。
恒一はその顔を見て、少し驚く。
思っていたより。
ずっと面倒見が良い。
もっと冷たいタイプかと思っていた。
「ほれ恒一」
シュラが後ろから声を飛ばす。
「止まったら置いていくぞ」
「鬼かお前は」
「鬼人じゃ」
「うまくないからなそれ」
結局。
恒一は息を切らしながら走り出した。
◇ ◇ ◇
十分後。
「……っ、はぁ……!」
肺が焼けるみたいに熱い。
足が重い。
脇腹が痛い。
頭もぼんやりする。
普段どれだけ身体を動かしていなかったのか、嫌でもわかる。
その横を。
エルシアは一定の速度で走っていた。
「大丈夫ですか?」
「全然大丈夫じゃない……」
「まだ三分の一くらいですよ」
「嘘だろ……」
「本当です」
笑顔だった。
怖い。
後ろでは。
リリスがふよふよと浮きながら付いてきていた。
「……お前、よく疲れないな」
恒一が息を切らしながら聞く。
リリスはきょとんとした顔をした。
「疲れない」
「なんでだよ……」
「浮いてるから」
「いや見ればわかるけど」
リリスは当然のように答える。
「普段歩く時も、ちょっと浮いてる」
「……は?」
「3ミリくらい」
「細かっ」
リリスはこくりと頷いた。
「ずっと身体強化と浮遊魔法使ってる」
「常時?」
「ん」
「ずっと浮いているってお前……某22世紀のネコ型ロボットかよ……」
「……なんじゃそれは」
シュラが首を傾げた。
「なんですかそれ」
エルシアも困惑している。
「にじゅうに……?」
リリスもきょとんとしていた。
「いや、なんでもない。こっちの話だ」
三人全員に通じなかった。
当然だった。
恒一は息を整えながら走り続ける。
その横で、エルシアが少し考えてからリリスを見た。
「それより……身体強化と浮遊魔法を同時に常時発動って、普通じゃないですよね?」
「普通」
「普通じゃないですよ絶対」
「魔力いっぱいある」
「そういう問題じゃ……」
エルシアの顔が、困惑と驚きの間で揺れている。
出会ってまだ数日。
この少女が何者なのか、エルシアにはまだわからない。
ただ、とんでもない存在であることだけは、確かだった。
「師匠」
エルシアが低い声で呟く。
「この子、一体……」
「まあ、旅の仲間じゃし、よいじゃろ」
「よくないですよ!? 絶対普通じゃないですよ!?」
「細かいのう」
「細かくありません!!」
師匠はいつも通りだった。
エルシアはため息をついてから、また前を向く。
判断はまだ保留だ。
だがとりあえず今は。
この息も絶え絶えな男を置いていかないことの方が、先決だった。
「ほら、あと少しですよ」
エルシアが少し前で立ち止まり、こちらを待っていた。
「ゆっくりでもいいので」
「……お前、優しいな」
「え?」
「もっとスパルタかと思ってた」
エルシアは少し目を丸くした。
それから。
困ったように笑う。
「……まあ、私も同じことやってましたからね」
その声音は、少しだけ柔らかかった。
「きついのは、わかります」
だから。
置いていかない。
ちゃんと待つ。
その優しさが、少しだけ嬉しかった。
◇ ◇ ◇
昼頃。
恒一は完全に地面へ転がっていた。
「無理だ……」
「まだ初日じゃぞ」
「初日からおかしいんだよ……」
腕が上がらない。
足も鉛みたいに重い。
喉も痛い。
全身が熱を持っていた。
その横へ、エルシアが水筒を差し出してくる。
「はい、水」
「……ありがとう」
エルシアは隣へ腰を下ろした。
「でも、本当に無理はしないでくださいね」
「師匠いる時点で無理ゲーなんだが」
「そこは否定できません」
エルシアは真顔で頷いた。
説得力しかない。
少し離れた場所では。
シュラが酒を飲みながら肉を焼いている。
どう考えても修行している側より元気だった。
「化け物かあいつ……」
「師匠ですから」
「説明になってない」
エルシアは少し笑う。
その顔を見て。
恒一はぼんやりと思った。
……優しいんだな、この人。
白銀の剣聖。
もっと近寄り難い人物かと思っていた。
でも実際は。
苦労人で。
面倒見が良くて。
師匠に振り回されながらも。
ちゃんと、他人の痛みがわかる人だった。
そして。
そんなエルシアですら。
昔は、自分と同じように苦しんでいた。
なら。
もう少しくらい。
頑張ってみてもいいのかもしれない。
恒一は空を見上げながら、小さく息を吐いた。
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