第十九話:ラズレットでの一週間と、近づいてくる足音がある件
それから一週間。
恒一とリリスは、宿場町 《ラズレット》に滞在していた。
何か大きな事件が起きたわけではない。
王都のように追われることもなく。
災厄と呼ばれる少女が街を震わせることもなく。
ただ、朝起きて。
飯を食い。
依頼を確認し。
街を歩き。
夜になれば《木漏れ日の亭》へ戻る。
そんな日々だった。
だが恒一にとっては、その"何も起きない"という時間が、妙に新鮮だった。
◇ ◇ ◇
朝。
《木漏れ日の亭》の食堂では、今日もミリアが元気よく働いていた。
「おはようございますっ!」
ぱたぱたぱた、と軽快な足音。
そして。
がたんっ。
「……今の音は何だ」
「セーフです!」
ミリアがトレーを抱えたまま、満面の笑みで答える。
足元では、椅子が少しだけ斜めになっていた。
「何がセーフなんだ」
「転んでません!」
「基準が低い」
「昨日より成長しました!」
「昨日がひどすぎたんだろ」
恒一が呆れると、ミリアはえへへと笑った。
その横で、リリスは朝食の皿をじっと見ている。
「今日、果物ある」
「ありますよ〜。リリスちゃんの分、少し甘いやつにしておきました!」
「ミリア、いい人」
「ありがとうございます!」
ミリアの表情がぱっと明るくなる。
完全に餌付けの関係が成立していた。
「お前、判断基準が食べ物に寄りすぎてないか」
「おいしいは大事」
「否定はしないが」
リリスは果物を口に運び、少しだけ目を細める。
「甘い」
「よかったです!」
ミリアも嬉しそうに笑う。
その姿を見ながら、恒一はパンをちぎった。
朝から騒がしい。
だが、不思議と嫌ではなかった。
◇ ◇ ◇
昼前には、冒険者ギルドへ向かった。
ラズレットのギルドは、王都ほど大きくない。
その分、顔見知りになるのも早かった。
「あっ、コウイチさん、リリスちゃん!」
受付にいたフィオナが、狐耳をぴこっと揺らす。
「今日も採取依頼ですか?」
「軽いものがあればな」
「ありますよ〜。あと、これもどうぞ」
そう言って、フィオナは依頼票と一緒に小さな包みを差し出した。
「……また菓子か」
「はいっ。昨日作りすぎちゃって」
「作りすぎた量じゃないだろ」
包みは明らかに多かった。
リリスの目が輝く。
「フィオナ、いい人」
「えへへ」
「だから餌付けされるな」
「お菓子は悪くない」
「論点をずらすな」
フィオナは楽しそうに笑いながら、依頼票を机に並べる。
「今日は街道沿いの薬花採取がおすすめです。危険度は低いですし、地理を覚えるにはちょうどいいですよ」
「じゃあ、それにする」
「はいっ。ただ、念のため早めに戻ってきてくださいね。最近は盗賊の噂もありますから」
「ああ」
恒一は頷く。
あの日の草原での出来事は、ギルドには報告していない。
依頼失敗として処理した。
フィオナは不思議そうにしていたが、深く追及はしなかった。
それがありがたかった。
◇ ◇ ◇
採取依頼は、思ったより穏やかに進んだ。
リリスは薬草の見分け方を少しずつ覚え始めていた。
「これ」
「違う。それは似てるだけだ」
「むぅ」
「こっち。葉の端が丸いだろ」
「丸い」
「で、茎に白い筋がある」
「白い筋」
リリスは真剣な顔で草を見つめる。
それから、別の草を摘んで見せた。
「これ?」
「……合ってる」
「えらい?」
「ああ、えらい」
「うん」
リリスは満足そうに頷いた。
その反応が年相応すぎて、恒一は少しだけ苦笑する。
災厄の魔女。
国を滅ぼせる存在。
そんな少女が、薬草を一つ見分けられただけで嬉しそうにしている。
その落差に、まだ慣れなかった。
だが。
悪くはなかった。
◇ ◇ ◇
夕方には宿へ戻る。
ミリアが出迎え。
フィオナが時々様子を見に来て。
リリスは菓子をもらい。
恒一は食堂の隅で地図を眺める。
そんな日が続いた。
夜になると、リリスはよく窓辺に座った。
街の灯りを眺めるのが好きらしい。
「また見てるのか」
「うん」
「飽きないな」
「飽きない」
リリスは窓の外を見つめたまま答える。
「ここ、怖くない」
「そうか」
「みんな、普通に笑ってる」
「まあ、宿場町だからな」
「普通って、いい」
その言葉に、恒一は少しだけ黙った。
普通。
かつての自分にとっては、ただ退屈で、擦り減るだけのものだった。
会社へ行き。
怒鳴られ。
帰って寝る。
そんな日々を、普通だと思っていた。
だが。
この世界に来てからは違う。
何も起きない一日が、こんなにもありがたいものだとは思わなかった。
「……そうだな」
恒一は窓の外を見る。
暖かな灯り。
遠くの笑い声。
誰かが帰る場所。
それは、たしかに悪くなかった。
◇ ◇ ◇
その一週間で、恒一も少しずつ身体を動かすようになった。
朝、宿の裏庭で短剣を振る。
走る。
簡単な筋力運動をする。
最初はすぐ息が切れた。
だが、日に日に身体の動きが軽くなっていく。
劇的ではない。
だが、確実だった。
「……効果はあるのか」
恒一は汗を拭いながら呟く。
ノートに書いた特異成長因子。
それが本当に作用しているのかもしれない。
「お父様、昨日より動けてる」
見ていたリリスが言った。
「わかるのか」
「うん」
「どのくらい?」
「ちょっと」
「微妙だな」
「でも、よくなってる」
「そうか」
恒一は小さく息を吐く。
少しずつでいい。
急に強くなる必要はない。
いや、急に強くなってはいけない。
積み重ねる。
そう決めたのだから。
◇ ◇ ◇
そしてその日の昼。
《木漏れ日の亭》の食堂は、いつもより少し騒がしかった。
旅人たちが、入口近くで何やら話している。
「おい、聞いたか?」
「何がだよ」
「白銀の剣聖が、この辺りに来てるらしい」
その言葉に、食堂の空気が少し変わった。
「白銀の剣聖って、あのエルシア・ルーンフェルトか?」
「まさか。あんな有名人がこんな宿場町に来るかよ」
「でも街道で見たって奴がいるんだよ。白銀の髪のエルフと、妙な小さい連れがいたって」
「小さい連れ?」
「知らん。子どもみたいだったとか、鬼みたいな角があったとか」
恒一はパンをちぎる手を止めた。
白銀の剣聖。
エルシア・ルーンフェルト。
剣聖の師匠。
その単語が、自然と頭に浮かぶ。
リリスも顔を上げた。
「お父様?」
「……いや」
恒一は何でもないように装う。
「少し、知ってる名前が出ただけだ」
だが内心では、嫌な予感がしていた。
いや。
嫌な予感というより。
自分で呼び寄せた結果だ。
ノートに書いた。
剣聖の師匠が、このラズレットに昔馴染みがいるような気がした、と。
なら、来る。
来てもおかしくない。
むしろ、来るようにしたのは自分だ。
ミリアが料理を運びながら、目を輝かせる。
「白銀の剣聖様って、すごく有名な方ですよね!」
「ああ、たぶんな」
「見てみたいです……!」
そう言って、ミリアは足元の椅子につまずきかけた。
「あわっ」
「前を見ろ」
「すみませんっ」
恒一は皿を支えながら、小さく息を吐く。
平和な日常は、まだ続いている。
だが。
その外側から、確実に何かが近づいていた。
そしてそれは、もうすぐこの宿場町へ辿り着く。
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