第十四話:旅の初日、魔女が初めて宿場町をゆっくり見た件
王都 《エルドリア》を出てから、半日ほどが経っていた。
石畳だった街道は、いつの間にか土の道へ変わっている。
空は高く、風は穏やかだった。
街道の脇には草原が広がり、遠くには小さな森や丘が見える。
王都の喧騒は、もうほとんど聞こえない。
代わりに聞こえるのは、風が草を揺らす音と、時折すれ違う荷馬車の車輪の音くらいだった。
「……疲れてないか?」
恒一が隣を見る。
リリスは、恒一の半歩後ろを歩いていた。
黒い魔女帽子。
漆黒のドレス。
相変わらず目立つ格好だ。
だが、王都のように人が多くないせいか、そこまで視線は集まらない。
「平気」
リリスはこくりと頷いた。
「お父様は?」
「俺はちょっと疲れた」
「弱い」
「うるさい」
即答されて、恒一は軽く眉を寄せる。
リリスはくすっと笑った。
最近わかってきたことだが。
この魔女、思ったより感情表現が豊かだった。
無表情気味ではある。
だが、嬉しい時はわかりやすく機嫌がいいし、拗ねる時は露骨にしょんぼりする。
何より。
恒一に構ってもらっている時が、一番楽しそうだった。
「お父様」
「なんだ」
「あれ」
リリスが前方を指差す。
街道の先。
小さな建物群が見えていた。
石造りと木造が入り混じった、小規模な町。
街道沿いに作られた宿場町だろう。
「宿場町か」
「しゅくばまち?」
「旅人が休む場所だ。飯屋とか宿とかがある」
「ご飯ある?」
「あると思う」
「行く」
リリスの歩く速度が少し速くなった。
食欲に釣られている。
恒一は苦笑した。
◇ ◇ ◇
宿場町 《ラズレット》は、小さいながら活気のある場所だった。
荷馬車を停める広場。
旅人向けの露店。
干し肉を焼く匂い。
果物を並べる商人。
水場では子どもたちが騒いでいる。
王都ほど大きくはない。
だが、その分だけ空気が穏やかだった。
「……おお」
リリスが小さく声を漏らす。
琥珀色の瞳が、きらきらしていた。
「すごい」
「普通の宿場町だぞ」
「でも、いっぱいある」
露店を見る。
焼き串を見る。
行商人を見る。
馬を見る。
水車を見る。
いちいち反応していた。
完全に田舎から出てきた子どもみたいだった。
「お父様、あれ何?」
「パンだな」
「あっちは?」
「果物」
「これは?」
「知らん」
恒一も全部知っているわけではない。
リリスはきょろきょろと周囲を見回しながら歩いていた。
そのせいで、何度か通行人にぶつかりそうになる。
「前見て歩け」
「うん」
返事だけは素直だった。
だが次の瞬間にはまた別のものを見ている。
危なっかしい。
恒一は仕方なく、リリスの帽子を軽く押さえた。
「はぐれるなよ」
「はぐれない」
「お前、絶対はぐれるタイプだろ」
「お父様いるから大丈夫」
根本的に他力本願だった。
その時。
露店の前を通り過ぎた瞬間、店主らしき中年の女が笑った。
「おや、お父さん。娘さん可愛いねぇ」
恒一の足が一瞬止まる。
「……娘じゃない」
「でも懐いてるじゃないか」
女は楽しそうに笑った。
リリスは恒一の外套を掴みながら、こくりと頷く。
「お父様」
「おい」
「本当のこと」
「ややこしくなるからやめろ」
女はますます笑った。
「仲良いねぇ」
恒一は軽くため息を吐く。
否定するのも面倒だった。
リリスはどこか嬉しそうにしている。
まるで、“親子”と言われたこと自体が嬉しいみたいだった。
◇ ◇ ◇
しばらく歩くと、小さな広場へ出た。
中央には噴水があり、その周囲に木製のベンチが並んでいる。
旅人たちが休憩していた。
恒一も空いていたベンチへ腰を下ろす。
「少し休む」
「うん」
リリスも隣へ座った。
帽子が大きすぎて、隣に座ると少し邪魔だった。
「その帽子、本当に視界大丈夫か?」
「慣れてる」
「そうか」
恒一は水筒を取り出し、水を飲む。
その横で、リリスが噴水をじっと見ていた。
「……どうした」
「平和」
ぽつりと、リリスが言った。
恒一は少しだけ目を細める。
子どもたちが走り回り。
旅人が笑い。
商人が声を張り上げる。
たしかに、平和だった。
「こういう場所、あんまり来たことないのか?」
リリスは少し考える。
「来たことはある」
「あるのか」
「でも、みんなリリスを見ると逃げた」
さらりと言われた言葉に、恒一は黙る。
「だから、ちゃんと見る前にいなくなってた」
リリスは噴水を見つめたまま続けた。
「こういう場所、ゆっくり見たの初めて」
その声音は、不思議なくらい静かだった。
恒一は少しだけ視線を逸らす。
この少女は。
世界を滅ぼせるほどの力を持っている。
けれど。
こうしていると、本当にただの子どもにしか見えなかった。
「お父様」
「なんだ」
「旅、楽しい」
「まだ半日だぞ」
「でも楽しい」
リリスは少しだけ笑った。
その笑顔を見て。
恒一は、なんとも言えない気分になる。
本来なら。
もっと警戒するべき存在なのだろう。
距離を取るべきなのだろう。
だが。
今のリリスは、ただ嬉しそうに隣へ座っているだけだった。
「……腹減ったな」
恒一が呟く。
すると、リリスの瞳がぱっと輝いた。
「食べる?」
「食べる」
「串焼きある」
「さっきから見てたもんな」
「おいしそうだった」
恒一は苦笑しながら立ち上がる。
「行くか」
「うん」
リリスも立ち上がる。
そして、自然な動作で恒一の外套を掴んだ。
その仕草が、妙に板についてきている。
周囲から見れば。
少し無愛想な父親と、ちょっと変わった服装の娘。
そんな風にしか見えなかった。
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