第一話:勇者召喚に、おっさんが混ざっていた件
終電帰りだった。
佐藤 恒一、三十八歳。
都内の中小企業で働く、どこにでもいる社畜だ。
今日も上司に怒鳴られ、取引先に頭を下げ、後輩のミスを尻拭いした。気づけば日付は変わっている。
コンビニの安い弁当と缶コーヒーを片手に、人気のない夜道を歩いていた。
「……疲れたな」
思わず口から漏れた言葉に、答える者はいない。
独身。恋人なし。趣味なし。毎日、会社と家の往復。
人生なんて、もうずっと前から終わっているようなものだった。
ふと、コートの内ポケットに触れる。
そこには一冊の黒いノートが入っていた。古びた、何の変哲もない大学ノート。
だが――普通ではない。
「……使う気はない」
小さく呟く。
そのノートは、書いた内容を現実にする。
そんな狂った力を持っていた。
だが恒一は、ずっと使わないようにしてきた。
こんな力、人間が持っていいものじゃない。少なくとも、まともな倫理観を持っているなら。
その時だった。
地面が光った。
「――は?」
足元に、巨大な魔法陣が浮かび上がる。
青白い光。
空気の震え。
耳鳴り。
次の瞬間、世界が白に染まった。
◇ ◇ ◇
気づいた時、恒一は豪華な大広間の床に立っていた。
赤い絨毯。
巨大な白柱。
天井には黄金のシャンデリア。
壁には、黄金の翼を広げた女神の巨大壁画が飾られている。
中世ヨーロッパじみた格好をした人々が、広間を埋め尽くしていた。
「成功だ……!」
「勇者召喚は成功したぞ!!」
「光神教の預言は本当だったのだ!」
歓声が響く。
恒一は目を瞬かせた。
視線を横へ向ける。
そこには三人の高校生がいた。
一人は爽やかなイケメン。
短めの黒髪、制服姿、スポーツでもやっていそうな体格。
名前は後に、天城ハルトと知れた。
その隣には、黒髪ロングの清楚な少女と、茶髪のギャルっぽい少女。
白雪ミオ。
九条アリサ。
「え……なにここ……?」
「異世界、ってやつ……?」
「マジかよ!」
三人は混乱しながらも、どこか興奮していた。
だが。
次の瞬間。
三人の視線が恒一に向く。
空気が止まった。
「……誰、このおっさん」
アリサが露骨に言った。
恒一は無言だった。
いや、こっちが聞きたい。
周囲の貴族たちもざわついている。
制服姿の高校生三人。
そこへ混ざる、疲れ切ったスーツ姿の中年男。
異物感が酷すぎた。
やがて、豪奢な玉座に座る王が口を開いた。
「……ふむ。予定では勇者は三名のはずだったが」
でっぷりと肥えた男だった。
指には大量の宝石。
黄金のマント。
到底、“民を想う王”には見えない。
ここが《ヴァルクレスト王国》なのだと、後に恒一は知る。
勇者召喚を行った、西大陸最大級の聖王国。
「まぁよい。まずは鑑定だ」
兵士が水晶を持ってくる。
一人ずつ、ステータスが読み上げられていった。
「天城ハルト様! 職業は『勇者』! 聖剣術、光魔法、勇者補正を所持!」
どよめきが走る。
「素晴らしい……!」
「まさに勇者!」
続いて白雪ミオ。
「職業『聖女』! 高位回復魔法、結界術持ち!」
さらに九条アリサ。
「雷帝魔法、魔眼、身体強化スキル持ち!」
歓声が上がる。
三人も困惑しながら、少し誇らしげだった。
そして。
恒一の番になった瞬間。
空気が変わった。
「……職業、『巻き込まれた異物』」
場が静まり返る。
「魔力……47」
「低っ……」
「一般兵以下では?」
「異物ってなんだ……?」
クスクスと笑い声が漏れる。
アリサが露骨に引いた顔をした。
「うわぁ……マジで巻き込み事故じゃん」
ハルトも苦笑する。
「……お気の毒に」
ミオだけが、少し申し訳なさそうに目を伏せた。
そして。
鑑定役の男が、困惑した様子で続けた。
「固有能力――《Revision Note》」
「……ノート?」
「なんだそれは」
王が怪訝そうに問う。
恒一は一瞬だけ黙った。
――言うわけがない。
「ただのメモ帳のようなものです」
そう答えると、王は露骨に興味を失った。
完全にゴミを見る目だった。
恒一は静かに悟る。
――この国、絶対ロクでもない。
王は肥え太り、周囲の貴族も余裕たっぷり。
本当に国が滅びかけているなら、こんな空気にはならない。
つまり。
勇者を戦争の道具にしたいだけだ。
そして自分は、その“道具”にすらなれない。
ならば、今ここで切り捨てられる。
最悪、処分される。
恒一は即座に頭を下げた。
「陛下。私はただ巻き込まれただけの一般人です。勇者様方のお役にも立てないでしょう。少しばかり生活費を頂ければ、自力で生きていこうと思います」
「うむ。それが良かろう」
返答は異様に早かった。
「金貨十五枚を与えよ」
兵士が袋を投げて寄越す。
雑だった。
まるで厄介払い。
「では、下がれ」
それで終わりだった。
廊下へ出たところで、恒一は案内役の兵士を呼び止めた。
「一つ聞いていいか。金貨十五枚って、この世界じゃどのくらいの価値がある?」
兵士は露骨に面倒くさそうな顔をしたが、それでも答えた。
「……安宿なら一泊銀貨二枚。金貨一枚で銀貨百枚になる。まぁ、一人で暮らすなら一ヶ月かそこらはもつだろうな」
「なるほど」
恒一は袋を握り直した。
一ヶ月分の命綱。
だが、一生分にはほど遠い。
◇ ◇ ◇
そして現在。
恒一は、ヴァルクレスト王国の王都を歩いていた。
白い石畳。
巨大な聖堂。
獣人。
エルフ。
奴隷。
魔法。
完全に異世界だった。
「……勝手に呼んどいて、この扱いかよ」
苦笑が漏れる。
怒りというより、呆れだった。
まぁ、会社も似たようなものか。
使えない人間は切り捨てる。
異世界も現実も、変わらない。
そう思うと、少し笑えた。
恒一は王都南部の《ヴァルグ路地街》へ足を踏み入れる。
そこは、上層区とは別世界だった。
薄汚れた石畳。
痩せた獣人。
酒臭い冒険者。
奴隷商人。
怒号。
汚水。
同じ王都とは思えない。
「……なるほどな」
この国の本性が、少し見えた気がした。
とりあえず安宿を取る。
狭い部屋。
軋むベッド。
薄暗いランプ。
恒一は腰を下ろし、深く息を吐いた。
そして。
コートの内ポケットから黒いノートを取り出す。
地球でずっと封印していた力。
書けば、現実になる。
だから使わなかった。
人間は簡単に壊れる。
世界だって、簡単に狂う。
そんなこと、知っていたから。
だが。
恒一は静かに笑った。
「……別に、もう我慢しなくていいか」
知り合いもいない。
倫理も法律も違う。
何より――自分を人間扱いしなかったのは向こうだ。
なら。
少しくらい、好きにしてもいいだろう。
ペンを走らせる。
『獣人は、俺に耳を撫でられると安心感を覚え、従順になる』
書き終えた瞬間。
ぞわり、と。
世界が、震えた気がした。
「……はは」
恒一は静かに笑う。
ノートを閉じる。
さて。
異世界生活を始めよう。
――この世界を、少しずつ書き換えながら。
◇ ◇ ◇
――この日、異世界に特定外来生物が放出された。
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