7 オリーブの理想
『申し訳ありませんが、そのお話、お断りさせていただきます。こちらでは違うのでしょうが、辺境では令嬢が生涯独身を貫くことが認められているのです』
あの日、そうはっきり答えたオリーブを無視し、ジェードは言った。
『それでは僕が困るんだよ。──とりあえず一度会ってみると良い。最高のタイミングでその場を用意しよう。彼が君のことを気に入るのは僕が保証するから、彼と会った後でなら断ってくれても構わないよ』
*――*――*
「リブ!喉が渇いてどうにかなりそうだよ!」
翌日の休憩時間、いつもと変わらないシトロンを見て、オリーブは安心した。
「やっぱりリブの淹れてくれたお茶が一番美味しいよ。リブと一緒になった人は、毎日このお茶が飲めるんだね」
シトロンはよくそんなことを言う。
『そんなこと』とは、まるで、オリーブのことを想っていると感じさせるような発言のことだ。
さすがに五歳の年齢差があるため、真に受けはしないが、男性からそのようなことを言われ慣れていないオリーブにとって、その刺激は強い。
だからその都度、からかわないでと注意することにしている。
最初に言われた時、自身の年齢と、そういった冗談には付き合えないのだと伝えた。
なのに、シトロンは一向にその発言を止めてくれない。
それだけではない。今日はいつもと違い、より過激な気がする。
「“リブの”が美味しすぎて、昨日知り合いと行ったお店で飲んだ紅茶なんて、とても飲めたものじゃなかったんだ!」
「知り合い?」
シトロンの口から出た『知り合い』という言葉に、なぜかは分からないがオリーブは少し反応してしまった。
「どうしたの?リブ。あ、もしかしてオレが誰と行ったのか、気にしてくれたの?嬉しいな。
安心して!学園の同級生の男だからね。
オレが同じ時を過ごしたいと思う令嬢はリブだけだ。リブ以外の令嬢なんて、いらない」
「──シトロン様。そのような言葉は、心に決めた方にだけ、おっしゃってください。軽々しく口にすることではありません」
だから、いつもと違い、オリーブも少しだけきつく伝える。
途端にシュンとなるシトロンに、つい、謝ってしまいそうになるけれど、ここで折れてはいけないと思い直す。
いくら弟のように思っていても、赤の他人だ。いつまでもこのようなやり取りを続けて良いはずはないのだ。
そもそも、仮にオリーブがシトロンと年が近かったとしても、彼はオリーブの理想からはかけ離れている。
オリーブを包み込んでくれるような体躯、見上げるような高い背。オリーブが守られていると感じる要素を、彼は一つも持っていないのだ。
「オレはリブが好きだよ。リブはオレのことがキライ?」
やはり今日のシトロンは様子がおかしい。昨日、なにかあったのだろうか。
「・・・今日のシトロン様はどこか変です。昨日、何かあったのですか?」
オリーブは、頭に浮かんだ疑問をそのまま口にした。
*――*――*
寮執事にオリーブがジェード・フロスティ公爵令息に会いに行ったと聞いた時、息が止まるかと思った。
あの男は柔和な笑みを浮かべたまま、何食わぬ顔で人を地獄に落とす男だ。
当時から商会の跡取り娘であるクラレット嬢への婿入り希望の子息は多かったのだ。
ノワール侯爵家からだけのものではない。学園入学前、彼は伯爵家に届く前にその縁談をことごとく潰し、学生の時分は平民を利用した挙句に辺境へ追い出し、その次の年は令嬢を一人修道院送りにしたのだ。
しかもその行動の淵源は、すべて婚約者であるクラレット・メイズ伯爵令嬢にある。
あの男はオリーブに『婚姻』という形で庇護者を与えることで、物理的にクラレットの関心を断ち切ろうとしているのだ。
そして、確実に思い描いた未来に持って行く。
「・・・今日のシトロン様はどこか変です。昨日、何かあったのですか?」
シトロンは焦っていた。
オリーブはいつもシトロンの言葉を冗談や揶揄だとしか取ってくれない。
ジェードがクラレットの関心を引くものをいつまでも放置しているわけがない。オリーブに『婚姻』させると決めたのであれば、彼の言葉通り今も水面下で動いているはずだ。そして近日中に事は動く。
「──シトロン様、私はそういった冗談に慣れていないのです。いくら弟のように思っていても、少し動揺してしまいます」
弟。
そうか、オリーブの笑顔と包容力は母性本能であり、異性に向けられたものではなかったというわけだ。
他の騎士仲間とあまり関わろうとしないオリーブにとって、自分は特別なのだと勘違いしていた。
敢えて演じていたわけではないけれど、埋められない年齢差を「甘える」ことで、「自分は年上を好ましく思っている」と伝えようとしたのだが、そもそもそれが間違っていたらしい。
(──そういえば、リブに異性の好みを聞いたことがなかったな)
いつまでも変わらないオリーブの態度に、ゆっくり落としていけばいいと思っていたが、ジェードのせいで悠長に構えていられる状況ではなくなった。
そもそも、なにもせずとも異性に好意を寄せられてきたシトロンは、こういった駆け引きは不得手だ。
「じゃあ、リブの男の好みってどんな人なの?どんなタイプの男に惹かれる?」
無邪気なふりをして尋ねる。弟と思われていたからといって、落ち込む暇など無い。
オリーブはシトロンの質問に少し考え込んだ。恐らく先日聞いた話に出てきた辺境の男爵令息のことを考えているのだろうと思うと、心が悲鳴を上げる。
シトロンが一学年の時、ジェードとよく一緒にいたためその男のことは目にしたことがあった。
あの男もオリーブより年下だったはずだ。だからオリーブ自身は年下に抵抗はないと踏んでいたのだが、やはり五歳差は大きいか──。
「私を丸ごと包み込んで守ってくれるような、頼りがいのある、大きな人、でしょうか──」
「“大きい”は身体的なもの?それとも精神的なもの?」
身体的なものであれば太刀打ちできない。シトロンは願うような気持でオリーブの言葉を待った。
精神的なものであれば、今すぐ攻め方を変える!
「もちろん大きな体で私を精神的にも身体的にも包み込み、護り、安心させてくれる方──、って、何を言わせるのですか!?」
オリーブが恥ずかしそうに頬を赤らめる。
これまで一度も見たことのなかったその様子に、やはり自分のことをそういった対象として見ていなかったのだと言われているようで、シトロンは返す言葉を見つけることが出来なかった。
*――*――*
騎士たちの休憩時間が近付いている。
「オ、オリーブさん!!」
時計を見たオリーブが掃除の手を止めると、そこへ寮執事がバタバタと走り寄ってきた。
「一体どうされたのですか?」
らしくない彼の慌てぶりに、オリーブは首を傾げた。
こんなことは、あの時、公爵家から召喚状と迎えの馬車が来た時くらい──
「──ま、まさか・・・」
「そのまさかです。しかも今回は召喚状ではなく・・・
ジェード・フロスティ公爵令息様がご友人を伴ってお越しです──。




