6 もう事は動いている
「やぁ、ノワール。君が僕の前に現れるなんて珍しいこともあるものだね。確か、君と会うのは卒業式以来だったかな」
ジェードが昼食のために予約していたオーベルジュの個室に入ると、どうやって入り込んだのかそこには先客がいた。
ノワールと呼ばれた男は手にした紅茶のカップをテーブルに戻すと、不機嫌そうにジェードを睨み付けた。
そのティーカップからは立ち上っているはずの湯気や香りを感じない。それは彼がここに来てからの時間経過を物語っていたが、その割には紅茶が減っていなかった。
「ここの紅茶は風味が良いと思うんだが、口に合わなかったかい?」
言葉にはするが、ジェード自身全くそのことに関心がないようだ。彼はノワールの返事を待つこともなく椅子を引くと、彼の向かいの席に着いた。
その後、まるでノワールがやってくることを知っていたかのように、給仕が二人分のランチを運んできた。
「どうせ、昼食はまだ摂ってないんだろ」
ノワールはジェードのこういうところも、気に入らなかった。
ジェード・フロスティ公爵令息は茶会や夜会に顔を出すことは滅多にない。そんな彼の予定を入手するのは難儀ではあるが、出来ないわけではない。
「そんなことはどうでもいい。お前が自身の婚約者を手に入れるために暗躍したこともな。
だが、これ以上関係のない者を振り回すのは止めろ」
ノワールの言葉にジェードは片眉を上げると、ナプキンで口元を軽く拭い、口を開いた。
「僕は関係のない者に関わったりはしないよ。面倒だからね。
でもそうだね。最近変わった令嬢と話す機会があったよ。
辺境から来た伯爵令嬢なんだけど、僕を見て“物足りない”って顔をしたんだ。面白いだろう?──」
ジェードが思い出したかのようにクスリと笑うと、ノワールの手元でカトラリーがカチャリと音を立てた。
「君も、面白いよね。
まだクラレットのこと根に持っているの?
確かにあの時、侯爵がメイズ伯爵家に君の釣書を送ろうとしたのを阻止したけど、別に君はクラレットのことを好ましく思っていたわけではないだろう?
ねぇ──ノワール次期侯爵?」
「チッ!一体どこでそれを知ったんだ」
ノワールが軽く舌打ちをし、吐き捨てる。
まだ、ノワールが学園に入学する前、父親がメイズ伯爵家の後継であるクラレットに釣書を送ると言っていたことがある。
それをこの男は裏から手を回し、潰したのだ。
確かまだ十三、四歳の頃だった。
その頃からジェードは美しさ、ノワールは可愛らしさで人気があり、いつも令嬢に追い回されていた。
まるで狩人であるかのように追いかけ、肉食獣のように滴る涎を隠しもせずに、媚び、付き纏う令嬢たちにノワールは嫌悪感を抱いていた。
だから、感情の起伏が少ないクラレットであれば、お互い熱はなくとも適当に付き合っていけるのではないかと期待していたのだ。
本来侯爵を継ぐ予定であった兄が、留学先でその国の公爵令嬢と相思相愛になったらしい。
二人とも嫡子であったため一度は諦めたのだが、その後偶然再会し気持ちが再燃してしまったらしい。二人は捨てることの出来ないその想いを両親に伝えた。
その後両家で話し合いが持たれ、兄が婿入りすることで二人の婚約を整えることが決まったのだ。
その為必然的に次期侯爵の座が次男であるノワールに回ってくることになった。
この男が何故その事を知っているのかは謎だが、結果あの婚約話が立ち消えになったことは、幸いだったと言わざるを得ない。
しかし、婚約者がいれば不快なアプローチを受けることなどなかったのだと、令嬢に追われる度に腹立たしく思っていたのもまた事実。
「でも僕が彼女に関わるのは、何もクラレットが気にしているからだけじゃないよ。次期辺境伯から直々に『よろしく頼む』っていう手紙が来たからだ。だから君にとやかく言われる筋合いはない」
ノワールはカトラリーを揃えて皿に置くと、ナプキンを軽く畳んで卓上に添え、ジェードを一瞥した。
「──言い訳は不要だ!とにかく余計なことをするな!」
ノワールはそう言い捨てると、静かに席を立つ。
「シトロン・ノワール次期侯爵──」
ジェードに名を呼ばれ、彼は振り返らずに足を止める。
「残念だけど、もう事は動いている。
彼女には紹介したい男がいると伝えたし、既にその男も彼女のことをいたく気に入っているみたいなんだ──」
ジェードの言葉に、今度こそ彼は足を止めずにその場を後にした。




