5 分かるよね
オリーブが宿舎に帰りつくと、談話室でふくれっ面のシトロンが待っていた。
「どこに行っていたのさ。リブのお茶を飲まなかったから、喉は乾くし力は出ないし、汗びっしょりだったんだよ」
「それはっ、ご、ごめんなさいっ」
そう言えば急遽宿舎を出たため、オリーブが公爵邸に行っていたことは寮執事しか知らない。
きっとシトロンは休憩時間にオリーブを探したのだろう。
頭を下げるオリーブに、シトロンは慌てたように言った。
「違う、責めているわけじゃないんだ。──急にいなくなったから、心配したって言いたかったんだ」
シトロンは思ったことを言葉に出来る人だ。オリーブはシトロンのそんなところをいつも羨ましく思っている。
「いいえ。シトロン様は休憩時間をいつもここで過ごされているのですもの。その事を誰かに言付けて出るべきだったわ。急に公爵家から迎えの馬車が来て驚いたものだから、慌ててしまって──本当にごめんなさい」
オリーブが再び頭を下げるがシトロンの返答がない。オリーブが恐る恐る顔を上げると、何故かシトロンの顔から笑みが消え、目を見開いたまま固まっていたのだ。
「シ、トロン様?」
オリーブが恐る恐る声を掛けると、宙を見つめていたシトロンの焦点がオリーブに合った。
「公爵家から・・・?誰、か、聞いても?」
「ええ、ジェード・フロスティ公爵令息からの召喚でした」
「!」
シトロンの表情から知り合いであることが察せられた。あまり、彼に好意がないであろうことも。
「あいつ・・・!あいつ、リブはあいつの知り合いなの??何の用事だったの!?なんて言われた!?」
いつもの、計算して甘えてくるような余裕が感じられない。
らしくなく、切羽詰まった様な、今にも不安に押しつぶされそうなシトロンの剣幕に、オリーブは辺境であったことの全てをシトロンに話すことにした。
恋愛対象ではない、弟のようなシトロンであれば気を使わなくていいし、オリーブ自身が、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
「──というわけで、フロスティ公爵令息に呼ばれたのです。用件はお詫び?ですね」
「公爵令息が伯爵令嬢をわざわざ呼び出しておいて、詫びることだけが用件なわけがないよね。リブ」
ヴェルトのことやオリーブの失態をスルーしてくれたのはいいが、一番触れられたくないことを尋ねられてしまった。
「確かにそうなのですが、それは、シトロン様には関係がないと言うか・・・」
他意は無い。
しかし、オリーブがそう口にした瞬間、シトロンの表情が泣きそうに歪んだ。
(え?)
しかし、その変化は本当に一瞬で、オリーブが瞬きをした次の瞬間にはいつものシトロンに戻っていた。
「そんな悲しいことを言わないで、リブ」
その作られたようなわざとらしい懇願の台詞に、彼が本心を隠しているような気がして、心がざわざわした。
シトロンは、ジェードに他に用件があったことを確信している様だった。
オリーブは自身の言葉に傷付いたようなシトロンを見なかったことにするために、ジェードの提案を白状することにした。
*--*--*
「ヴェルトはもうあの平民と婚約してしまったんだ。あいつと結ばれたいなどとは、もう思っていないのだろう?」
ヴェルトの気持ちがオリーブに向いていない以上、流石のオリーブもそんなことは考えていない。
しかし、なぜこの男にこんなことを言われなければならないのか。
まして男性を紹介するなどと──。
「彼となら爵位の釣り合いも取れているし、君を見ていると、彼が気に入るであろうことが手に取るように分かるんだ」
こんな、異性に苦労なんかしていないであろう男に、人の心の機微の何が分かると言うのか。
それに、いくら何でもレィディアンスからの手紙に婚約者を斡旋しろと書いてあったとは思えない。
この男の目的は、一体なんなのだろうか。
「平民の彼女が陥れようとした侯爵令嬢のことは知っているかい?」
返事をせずに考えこんでしまったオリーブが、唐突に切り替えられた話題に思わず頷くと、ジェードは話を続けた。
「僕の婚約者はね、その侯爵令嬢に腹が立つほど心酔しているんだよ。その侯爵令嬢があの平民のことをいつまでも気にしているものだから、僕の婚約者もあの平民のことを気にするんだ。侯爵令嬢だけでも許せないのに、だよ?
ならば彼女を侯爵令嬢の目の届かないところにやるのが一番だ。
だけどね、厄介なことに、侯爵令嬢は自身の評価を犠牲にしてまでその平民の『幸せ』を願ったんだ。これがさっき言った、放り出すことも修道院行きにすることも出来なかった理由だよ」
まさか、と思う。
まさかジェードがエボニーを辺境の男爵家──ヴェルトの元に送って来たのは罰でもなんでもなくて──。
「そう、ヴェルトなら彼女に侯爵令嬢も納得する『幸せ』を与えられると思ったんだ」
「そんなっ・・・」
そんな理由で、と思ってしまう。
今となってはオリーブがヴェルトの中にこれっぽっちもいなかったことが分かっているし、はじめから彼との未来などなかったということも理解している。
しかしエボニーが辺境に送られてきたその理由が、ジェードの婚約者の関心を得ている彼女を物理的に王都から離すためだったなんて・・・!
オリーブはジェードの傲慢さに開いた口が塞がらなかった。
そして彼の話は続く。
「だけどここで思わぬ弊害が生じた──君だ。君が辺境からやって来た。
僕があの平民が『幸せ』になれるよう動いたことで、『不幸』になった君が辺境からやって来たんだ。しかもブラッシュ辺境伯令嬢が手を回したおかげで、侯爵令嬢と僕の婚約者も君の存在を知ってしまった」
その優雅な所作からは想像が出来ない程、レィディアンスの名を不快げに口にしたジェード。
それは「余計なことをしてくれた」と言わんばかりだ。
「フロスティ公爵令息の婚約者様が私を気にしている、ということですか?」
美貌の公爵令息からこれほどまでの独占欲を向けられ、唯一と言わしめる令嬢に気にされているなんて、オリーブにはまるで心当たりがなかった。
彼の勘違いで、見知らぬ男と未来を歩まされてはたまらない。
それに、万が一本当にそうだというのであれば、名前くらい知っておいた方が良いだろう。
オリーブはそう思い、その名を尋ねた。
「──失礼ですが、婚約者様のお名前を伺っても?」
「あぁ、クラレットだよ。クラレット・メイズ伯爵令嬢。君、会ってるだろう」
「え」
オリーブが王都に来たばかりの頃、侯爵令嬢に頼まれたからと色々世話を焼いてくれた無表情の令嬢。
──確かにこれ以上は無いほどに、オリーブは気にされていた。
「だから、クラレットの関心をなくすには、君にも『幸せ』とやらになって貰わなければならない。──分かるよね」
ジェードの瞳に宿る仄暗い執着に、オリーブは身震いをするとともに、クラレットのことを羨ましいとも思ってしまった。
*--*--*
その翌日、オリーブは前日の休憩時間にお茶を淹れることが出来なかったお詫びに、お気に入りの茶葉を準備して、シトロンが来るのを待っていた。
リブ!喉が渇いたっ──
いつも掃除中のオリーブを見つけると、笑顔で駆け寄り、甘えるようにおねだりしてくるシトロン。
だけど、その日オリーブがシトロンの姿を見ることは一度もなかった。




