29 新しい恋を
レィディアンスがエボニーに剣の訓練を課してしばらくした頃のことだ。
エボニーは木剣を振る訓練へと移行した。
「・・・お、重い・・・。き、つい・・・。・・・もう、駄目・・・。──っ、むっ無理・・・限界・・・」
初心者用の木剣はさほど重くない。しかし筋肉痛の腕で何度も降り続けることは、貴族令嬢でなくともかなり難しい。
エボニーが木剣を振り下ろす度に漏らす呟きに苦笑して、レィディアンスが言った。
「そうだな。ただ木剣を振るうだけではつまらんか。ならばお前を騙し捨てたヤツをぶった切るつもりで振り下ろせば良い。それならば力も入るのではないか?」
「えっ!」
レィディアンスの言葉にエボニーは顔を上げた。
「なんだ。なぜ知っているのかと言いたげな顔だな。私はヤツと同じ年だ。当然卒業祝賀パーティー会場にいたぞ。それとも愛しい男を想像でも切ることは出来ないか」
レィディアンスは、エボニーを辺境に迎えるにあたり、彼女の中にどの程度公爵令息への想いが残っているのかを確認しておきたかった。
卒業式の様子を見る限り、エボニーは命を掛けても良いと思えるほど、本気で公爵令息に惚れているように見えたからだ。
しかし、レィディアンスの言葉に、意外にもエボニーはスッキリした笑顔で答えた。
「あたしはあの人に騙されてもいないし、捨てられてもいません。ただ、失恋しただけですよ」
そう、エボニーはただ、公爵令息に叶わぬ恋をして、失恋したのだ。
エボニーは、レィディアンスの目を真っすぐ見て、笑顔でそう答えた。
そして、
「──と言っても、こういう風に考えられるようになったのはヴェルトのおかげなんですけど・・・」
「そうか・・・」
頬を赤らめ少し伏し目がちにそう付け加えるエボニーに、レィディアンスはそう答えた。
(なんだ、ヴェルトのやつ、しっかり落としているではないか)
恋をすれば感情が制御不能になることはエボニーも体験している。そのことに平民も貴族令嬢も関係ないということなのだろう。
オリーブが何をして辺境伯領から出されるのか詳しくは知らないが、エボニーと同じくそれなりのことをやらかしたのだろう。
エボニーはオリーブと自分を重ねていた。
「──あなたは失恋、しただけです」
「え?」
「平民には貴族令嬢みたいに家のために結婚することなんて、ほとんどありません。だからたくさん恋をして、たくさん振られるんです。そのことを『失恋』って言います」
貴族の恋愛事情と違い、平民社会では恋愛や失恋は日常茶飯事。みんな毎日恋に一喜一憂している。
「オリーブさまはヴェルトにただ、失恋したんです。
私たち平民は政略結婚なんてしないので、ほとんどの人が恋愛結婚です。
当たり前だけど、恋って好きな人から好かれないと実らないんですよ。だから何度も恋と失恋を繰り返します。だから失恋なんて平民の世界では日常茶飯事です。
だけど安心してください。
どんなにつらい失恋にも『次の恋』っていう特効薬があります」
「次の──恋?」
つい最近、失恋したばかりのエボニーには、オリーブのつらさは痛いほどよくわかる。
しかし、ヴェルトと出会ったことで、その痛みはいつの間にか癒えていたから、今のエボニーには自信を持って言えるし、オリーブにもそうなって欲しかった。
「そうです。ヴェルトはあたしのモノなので、オリーブさまは王都で“新しい恋”を見つけてください」
だけど、自分がそうであったように、次の恋に巡り合えるまでオリーブの中にはまだヴェルトへの想いが残っているだろう──。
「オリーブさまには次に恋するとき、気持ちを言葉にすることをお勧めします。
あと、さっきも言いましたけど、あたし、オリーブさまに言いたいことがあるんですよね」
それは仕方ないと思いつつも、それがちょっと面白くない自分もいる。
「もったいぶって何なの?さっさと言いなさいよ」
エボニーの言葉に、オリーブが悔しさを滲ませた表情を見せる。
「ヴェルトは私の婚約者です。彼のことはクルール男爵令息とお呼びくださいね」
「っ!」
何も言い返すことの出来ないオリーブに一方的に言いたいことを言う。
我ながら性格が悪いなと思うが、エボニーは胸がすくような思いがした。




