第23話 先代様
軒先から窓枠へ、白金の髪の女は、音もなく降りてきた。
羽織っているのは、ぶかぶかのコートだ。裾には泥と、焦げた跡がついている。
「人間が、逃げる時に落としていったものです」
俺の視線に気づいたのか、女はふんと鼻を鳴らした。
どうやってこの宿を突き止めたのかは、聞かないでおく。こいつらの勘は、昔から妙に鋭い。
「……で、その人間はどうなった?」
「追い払っただけです。殺してはおりません」
女は、当然のように言った。
「人間は、守られるべきものですから」
――守られるべきは、貴様ら人間のほうだ。
電殿むしたちの、昔からの言い草。
女の話は、こうだった。
宴の明けた朝、選ばれなかった九人は、泉を離れた。
王に選ばれなかった者が、王の泉に居座るなど恥でしかない。これからの一年は戦士として、森で群れを守る――そう決めたのだという。
その日の夕方、森の入口から、人間の一団がやって来た。
狙いは、帯電した電殿むしの一角。前の日の雷雲を、街から見ていたのだろう。
そして、森の中で、九人と鉢合わせた。
「人間どもは、我らを見るなり刃を向けてきました。……ですから、少しだけ、痺れさせてやったのです」
「少し、ねぇ」
「先頭にいた大男など、髪を箒のように逆立てて、泣きながら逃げていきました」
……あのデカい男か。
人のたんこぶを笑った罰にしては、ずいぶん重い。
それからの六日間、九人は森の外れの岩場に身を潜めていたらしい。
そして今日、金貨千枚に目をくらませた冒険者たちが、森中を嗅ぎ回りはじめた。
「残りの八人は、今もその岩場に隠れています。……ですが、見つかるのは時間の問題です」
「それで、俺に何をしろと?」
女は、窓辺に膝をついた。
「神にお戻りください、先代様」
額の一角が、パチッと火花を散らす。
「十年前、群れをお救いくださったように、我らを人間からお守りください。人間の神に、人間から群れを守れるはずがございません」
俺は、ため息をついた。
「断る」
「なっ……⁉」
「お前らの神様は、俺じゃない」
その時。
隣の部屋の窓が、勢いよく開いた。
「……ぜんぶ、聞こえてます」
窓から顔を出すと、寝間着姿のリリィが、隣の窓から身を乗り出していた。
女が、フードを払いのける。
夜風の中で、白金の髪が二つ、並んで揺れた。
睨み合う二人を見比べて、俺は思わず口にした。
「お前ら、よく似てるな」
「「どこが――ッ⁉」」
見事に声が揃った。……やっぱり、よく似ている。
「あなたは、リリィたちの群れの子です。だから、リリィが名前をつけます」
「名前など、頼んでおりません!」
バチッ、ビリリ――と、女の一角から白金の火花が弾けた。
「……ビリリ。あなたは、ビリリです」
「なっ……⁉」
あまりにも、そのままだった。
「ビリリ。リリィが、みんなを守ります。だから……まだ、戦わないでください」
「人間の神に、何ができるというのです」
「まだ、分かりません」
リリィは、まっすぐに答えた。
「だから、明日の朝。みんなのところへ、連れていってください」
ビリリは、しばらくリリィを睨みつけていた。
やがて、ぷいと顔を背ける。
「……先代様が、そうおっしゃるのなら」
「俺は何も言ってないぞ」
夜明けまで、あと数刻。
俺は、昼間の約束を思い出した。
――日の出とともに、街の門には、もう一組の待ち合わせ相手がやって来る。
金貨千枚を狙う、新米冒険者の兄妹が。
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