025 ハートルート・ユルナ
おっさんからの依頼が片付いて数日が経ったある日のこと。俺は柄にもなく茶の間で本を読んでいた。
実は最近、一つ困ったことがある。
それは、
「せ〜ん〜ぱ〜い♪」
……仕事仲間の距離が近すぎるのだ。
どれくらい近いかというとだ、体が完全に密着するほど近い。
今もこんな感じで、俺の背中にぴたりとくっついて彼女は身を乗り出してくる。
「なに読んでるのー?」
「マヤから借りた魔物の図鑑だ」
表紙を見せる。
「わお、真面目だね!」
ユルナは感心したように言った。
べつに真面目に読んでるわけではないが。
たしかに、最初はこの国の雑多な魔物を覚えるつもりで開いたのだが、難しい単語ばかりで早々に挫折して読むのを諦めた。
幸いにも挿絵が載っていたので、今はそれをパラパラ眺めているだけだ。
この本、意外と面白くて魔物の生態だけじゃなく、ドロップした食材の調理法まで載っている。
例えばこれ、下水道にいたあのカニは騎士蟹って名前らしい。赤身はスープにすると美味いんだと。汚らしいので俺は絶対に食わないが。
ちなみに、本を貸してほしいと頼んだら、マヤは珍しく嬉しそうな顔で貸してくれた。
「ねえねえー、わたしも一緒に見てもいい?」
「ああ、別に構わないが」
するとユルナはどこからか椅子を持ってくると、俺の隣に腰を下ろした。
やべ……そろそろ読むのをやめるつもりだったのに、タイミングを逃してしまった。
ユルナも隣で読み始めてしまった以上、一人だけ本を閉じるのも気まずい。
仕方ない……もうしばらくだけ読むことにしよう。
ページを読み進めるたびに、栗色の髪が視界の端で揺れた。
そんな時間は、リンチェたちが部屋に入ってくるまで続いた。
「今日は素材集めに行きますよ!」
リンチェは開口一番そう宣言した。
話によると、この町の南東にある森で薬の材料になる素材が採れるそうだ。
俺たちは準備を済ませると、揃って森へ向かった。
徒歩で約一時間。
目的の森が見えてくる。
「効率よく採取するために二手に分かれて探しましょう。組み分けはクジで決めますよー」
そう言うと、リンチェはどこからともなくクジ箱を取り出した。相変わらず手際が良いやつだ。
俺は先端に赤い印のついた棒を引いた。
相方はユルナだった。
「よろしくね、先輩」
ユルナはにっと笑う。
ギルドからの依頼で、病気に効くミントや怪我に効くハーブをたくさん集めてきてほしいらしい。とりあえず採集袋を一杯にすればいいか。
「お、青いハーブ発見!」
ユルナが取った葉を見せてくる。
幸先の良いスタートだ。
その後もユルナは鼻歌交じりに森の中を歩き回り、次々と薬草を見つけていく。
妙に機嫌がいいな。何か良いことでもあったのだろうか?
ま、こいつはいつもこんな感じだったか。
「そういえばさ、先輩って休みの日なにしてるの?」
「寝てる」
「えぇー!? もったいなーい!」
「そういうお前は何してるんだよ」
ユルナは少しだけ考える素振りを見せる。
「うーん、普段はお買い物に行ったり、家の掃除とかしてるかな?」
「なんだ。俺と大して変わらないな」
そんな他愛のない話をしながら森を歩く。
「そういえばまだ聞いたことなかったけど、お前、齢いくつなんだ?」
「十五だよ?」
ユルナはそう答える。
俺の三つ下だった。
「キャッツの中でも一番年下なのか?」
「マヤと同い年だから、うん、一番下だね。その一つ上がリンチェ先輩で十六歳」
指を折りながら数える。
「あ、一番年上はサーティさんなんだよ」
「それはまぁ、見た通りだな」
あの落ち着きようは年長者らしい気もするし。
「ライノ先輩はいくつなの?」
「十八」
「へぇ〜。もっと年上だと思ってた」
「なんでだよ」
「うーん、なんていうか、落ち着いてるから?」
「それ、お前の落ち着きがなさすぎるだけじゃねえの?」
「あ、先輩ひどーい!」
ユルナは頬を膨らませる。
「ねえ、ライノ先輩はどうして冒険者になろうと思ったの?」
突然、そんなことを聞かれた。
「うーん……まあ、それしか道がなかったから、かな」
「ほうほう、というと?」
「農業をやるにしても土地がいるし、職人になるにしても伝手が必要だろ? でも俺にはそのどっちも無かったから、結局冒険者になった」
俺の国じゃ、別に珍しい話でもない。運が良ければそれなりに稼げるし、食っていくために冒険者になるやつなんていくらでもいる。
中には、うまくいかずに道を踏み外して、盗賊になるやつもいたが。
そんな話をしながら歩いているうちに、気がつけばかなりの量の薬草が集まっていた。
「ユルナ、お前凄いな、もうこんなに集めたのか?」
ユルナの採集袋は俺の倍くらい膨れていた。
手際の良さに、思わず声が出る。
俺の言葉に、ユルナは一瞬だけきょとんとしたあと、少し照れくさそうに笑った。
「えへへ……まあ、これくらいしか私に出来ることってないからさ」
薬草を束ねながら、当たり前のことのように続ける。
「魔法の才能があるわけでもないし、みんなほど強いわけでもないし。だから、こういうのを集めることくらいしか貢献できないんだよね」
「そうか? アイテム集めだって立派な才能だろ。誰にでも出来ることじゃない」
ユルナが手を止めてこちらを見る。
そう言うと、ユルナは少し目を丸くして、それから困ったように笑った。
「もしかして……それって励ましてくれてるの?」
少し首を傾げながら、試すような軽い声色で言う。
俺は一瞬言葉に詰まり、視線を逸らした。
「いや、そういうわけじゃ……」
「ふふっ、先輩ってば優しいね」
「か、からかうなよ!」
ユルナはくすっと小さく笑った。
ふと、ユルナの表情にほんのわずかな影が差すのが見えた気がした。
俺は薬草をまとめる彼女の横顔を見ながら、少しだけ考える。
才能がない……か。
さっきの言葉といい、もしかして彼女は、「これくらいしかできない」と、無意識に線を引いてしまっているのではないだろうか?
長い間自分の役割をそうやって決めつけて生きてきた、そんな人間の表情に見えた。
もしかしたら、彼女は何か思い詰めているのかもしれない──そんな気がした。




