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018 三大魔境

「うぅ~……ぐひっ。なんだお前ら……ここはガキの来る場所じゃねぇぞ……」


 うわ、酒臭ぇ。

 男は気だるそうに顔を上げた。

 その顔色はあまり良くない。直感だが、酒のせいだけではない気がした。

 男はサーティを見るなり眉を上げる。


「……って、さっちゃんじゃねぇか」

「さっちゃんではありません。……ご無沙汰しておりますわ、ホルティさん」

「おう……久しぶりだな」

「あの、顔色が優れませんが、大丈夫ですか?」

「ふん。嬢ちゃんが心配するようなことじゃねぇ」


 そう言って、医者のおっさん――ホルティはグラスを傾けた。

 どうやら二人は顔見知りらしい。

 どこで知り合ったのかは気になるところだが。

 それにしても、「サーティ」だから「さっちゃん」か。

 ふふっ。


「それより、何の用だ」

「実はご相談がありまして……」


 サーティはことの経緯(けいい)を説明し始めた。

 帰り道で弱った親子の羊を見つけたこと。

 とくに子羊の容態(ようたい)が悪いこと。


「草にも水にも口を付けようしませんの。それに……時々目が赤く濁って、まるで別の生き物になったみたいに暴れることもあります」


 そこまで聞いたホルティは酒を一口飲んだ。


「……そいつは病気じゃねぇな。物憑(ものつ)きだ」

「物憑き、ですか?」


 聞き慣れない言葉だったのか、サーティは首を傾げる。


「魔物の中にはな、生きた獣や家畜に寄生する種類がいる。宿主(やどぬし)の体に取り憑いて、少しずつ生気(せいき)を食い荒らしていくんだ」

「そんな魔物が……」


 ホルティは気怠(けだる)そうに酒瓶を揺らした。


「今のお前さんの話を聞く限り、そいつはその初期症状だな。いわゆる魔物化の第一段階だ」


 ホルティは断言した。

 それにしても、症状を聞いただけで診断できるとは……

 飲んだくれとはいえ、元船医の名は伊達(だて)ではないらしい。


「厄介なもんに関わっちまったな。俺が乗ってた船のヤギどもの中にも、似たような症例があった。放っておくと完全に魔物になるんでね、そうなりゃ人も家畜も見境なしに襲う。あの時は、その場で屠殺(とさつ)するしかなかった」

「……!」


 サーティが息を呑み、口元を押さえた。

 魔物と化し、否応(いやおう)なく殺されるあの子羊の姿を思い浮かべたのだろう。


「その物憑きというのは、治せるのですか?」

「対魔物用の特効薬がある。そいつを使えば憑いた魔物を弱らせられる」


 ぱっとサーティの表情が明るくなる。


「ただし、薬だけじゃ治せねぇ。完全に取り除くには俺の秘術で引き剥がす必要がある」


 なるほど。

 薬で弱らせて、最後は医者の出番というわけか。


「でしたら、お願いします。あの子を助けたいんです!」


 サーティは深々と頭を下げた。

 だが、帰ってきたのは予想もしない言葉だった。


「そいつは無理な相談だ」


 サーティは目を見開いていた。


「な、なぜですか?」

「俺はもう、医者を辞めたんだ」

「えっ……一体、どういうことですか」


 理由を聞くが、ホルティは答えない。

 黙ったまま酒を継ぎ足す。


「おい、おっさん、なんで治してくれねえんだよ」


 しばらく沈黙が続いた。

 ホルティは何も答えない。

 ただ黙々と酒を継ぎ足し、それを飲み干していく。

 酒臭いだけの酔っ払いかと思ったが、どうやら筋金入りの頑固者だったようだ。

 だが、何杯目かの酒を空にしたところで、


「うぅ……」


 不意に嗚咽(おえつ)のような声が漏れた。


「ぐすっ……」

「「 !? 」」


 俺とサーティは思わず顔を見合わせる。

 なんだ……? 突然泣き始めたぞ、この親父。


「自分の娘も救えねぇのに……」


 掠れた声が指の隙間から漏れる。


「何も救えるはずがねぇだろうが……!」


 ホルティは乱暴に涙を拭った。


「娘……?」

「俺の娘だよ……マリーンのことだ……!」


 さっきまでの雰囲気とはがらっと変わって、ホルティの声が急に大きくなる。



挿絵(By みてみん)


「魔法を学びたいって王都へ送り出したんだがよ、魔物に食われちまったんだと!」

「た、食べられた!?」


 サーティが息を呑む。

 ホルティは涙で濡れた目を擦った。


「ああ。下水道で娘が龍に食われたって見たやつがいるんだ。それを最後に、マリーンを見たってやつはいねぇ」


 そう言うと、ホルティはまた泣き始めた。


「ああ……ちくしょう、マリーンよ、どうしてそんな危ない場所に入っちまったんだ」

「王都の下水道に……龍、ですか?」


 サーティは何やら考える素振りを見せた。

 下水道にそんな魔物がいるのだろうか。

 それは置いとくとしてだ、俺は一つの疑問を覚えた。

 このおっさんは、最初から娘が死んだものとして話をしている。

 だが、本当にそうなのか?

 娘が龍に襲われたことを人づてに聞いたというが、実際に死体が見つかったという話はまだ聞いていない。


「なあ、一つ聞くが、おっさんは娘が死んだところを自分の目で見たのか?」


 すると、ホルティの顔が茹で蛸みたいに真っ赤になった。


 「てめぇ……!」


 机を叩こうとしたが、途中で止まった。

 怒鳴り返す気力すら残っていないらしい。

 しばらくこちらを睨みつけていたが、やがて力なく肩を落とした。


「……いいや、お前の言う通りだ。この目で確かめちゃいねぇよ。だが……王都の下水道で消息を絶ったと聞いて、誰が生きてるなんて思える?」


 搾り出すような声だった。

 握る手がかすかに震えていた。


「そうか。昼間から酒ばっかり飲んでるのは、それが理由か」

「……」


 要するに、おっさんは娘の件を引きずっているのだろう。

 だから医者も辞めたととか言って、不貞腐(ふてくさ)れているのだ。

 本当に死んだのかも分からないってのに、探しにも行かず、自分の娘の生存を信じもせずに。

 ……滅茶苦茶(めちゃくちゃ)な親父だ。

 なんだか腹が立ってきた。


「それじゃあ話は簡単だ。その娘さんが見つかればいいんだろ? それで羊は()てくれるんだな?」

「ライノさん」


 そこまで言うと、袖を引っ張られる。


「私もマリーンさんには生きていて欲しいです。ですが、王都の下水道はニューカッスル三大魔境と呼ばれている場所なんです。……正直、無事でいる可能性は低いと思います」


 サーティは表情を曇らせた。

 三大魔境? なんだそりゃ。


「えっと、戦争で使われた武器が捨てられている『くず鉄墓場』、太古の魔物が凍結した状態で眠る『氷結洞』、そして王都の下水道を入れた三つの場所を称して三大魔境と呼ばれています。どれも一般人はおろか、経歴のある冒険者ですら近寄りたがらない、危険地帯です」


 外国人である俺に、この国の地理事情を詳しく説明してくれるサーティ。


「なるほどな。王都の地下がどんな場所なのかはよく分かった」


 俺はホルティに向き直った。


「だがな、俺は娘は生きてると思うぜ」


 もしもおっさんの娘……マリーンが本当に死んでいるのなら、サーティの願いは叶わない。

 ホルティも一生後悔を抱えたままだ。

 だったら俺は、全部が終わったと決めつけるより、一縷(いちる)の望みに賭ける方を選ぶ。

 諦めは良いより悪い方がいいに決まってる。


「なんなら、今から探しに行っても構わないが」

「あの、ライノさん? 生きているという……その根拠は?」

「ない。俺の勘」

「「…………」」


 場の空気が一瞬止まる。

 二人とも何とも言えない顔でこちらを見ていた。

 ホルティはしばらく俺の顔を見つめたあと、鼻を鳴らした。


「ふっ……いや……こりゃ、久しぶりに(おとこ)の顔を見たぜ。娘を探してくれるってんなら願ってもねぇ。坊主、期待していいんだな?」

「ああ。その代わり、治療費はまけろよ?」

「へ、厚かましいやつだ。娘を連れて帰ってきたら考えてやる」

「交渉成立だな」


 俺の横で、サーティが複雑そうな顔で黙っていた。



「あのような約束をしてしまって、本当に良かったのでしょうか……」


 ホルティの治療院を出たあと、不意にサーティが口を開いた。


「なんだ、羊を助けたいんじゃないのかよ」

「もちろん助けてたいです! ですが……」


 そこで言葉が途切れる。

 サーティは(うつむ)いたまま黙り込んでしまった。

 王都の下水道。

 さっきから何度も聞かされた危険地帯だ。

 きっと、この先に待っているかもしれない最悪の結末を考えているのだろう。


「俺は博愛主義者なんでね。おっさんの娘には生きていて欲しいし、ついでに言うと羊も助けたい」

「欲張りですね……あなたは」


 サーティがじっとこちらを見ている。

 やがて小さくため息をついた。

 その視線が何を意味しているのかは分からない。

 呆れているのか。

 それとも、無茶なことを言い出したと思っているのか。たぶん両方だろう。


「その、勝手に決めてたことは悪かった。王都なら俺一人で行くから」

「いいえ、この話は一度持ち帰りましょう」

「持ち帰る?」

「はい。私たちだけで決める話ではありません。みんなにも相談して、それから決めましょう」


 なるほど。

 確かにその方が筋は通っている。


「じゃあ、そうするか」


 俺たちは足を速めた。

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