016 サーティ・ウールシェイナ
◯
「ライノさーん、ちょっと手を貸してください」
朝。
日課になりつつある朝練を終えた俺は、汗を拭きながらホワイトキャッツのクラブハウスへ戻ってきた。
そして部屋へ入るなり、思わず足を止める。
部屋の中央、そこには今にも崩れそうな椅子を何段も積み上げ、その頂上で作業しているリンチェの姿があった。
「朝っぱらから何やってんだ」
「見ての通りです!」
「サーカスの練習でもやってんのか?」
相変わらず読めない行動を取るやつである。
よく見ると、壁へ何か紙を貼ろうとしていた。
ポスター?
どうやら高い場所へ貼りたいらしい。
だが背が足りず、椅子を無理やり積み上げて高さを稼いでいるようだ。
「で、俺は何をしたらいいんだよ」
「椅子が倒れないように下で支えてもらってもいいですか?」
仕方なく椅子へ手を添える。
「ほら。バランス崩すなよ」
「はい。そのままです」
リンチェは器用に画鋲を打ち込んでいく。
その時、ぐらりと椅子が少し揺れた。
「……あっ」
「お、おい!? 大丈夫か?」
「ライノさん!」
「どうした!?」
「今なら上を向いて覗いてもいいですよ?♡」
「覗かん! 早く終われ!」
リンチェは不満そうに唇を尖らせた。
まったく、こっちは落ちるんじゃないかとヒヤヒヤしてるってのに。
そのうちに最後の画鋲が打ち込まれた。
「もう大丈夫です。ありがとうございます」
そして、リンチェはぴょんっと飛び降りて、猫のような見事な着地を披露した。
「これなら最初から俺が貼った方が早かったんじゃねえの?」
「たしかに……ですが、これもクラブの管理人としての仕事なので」
ふと壁を見る。
貼られたポスターが目に入った。
『女王杯』
そう書かれていた。そして中央には王冠の紋章が描かれている。
ニューカッスル王室の紋章だ。
「なあ、これって何だ?」
「そういえばライノさんは外国の方なので、知らなくても無理ありませんね」
そう言うと、リンチェはぽんと手を叩いた。
「女王杯とは! 王室と魔法協会が共催する、王国最大の冒険者イベントです!」
「有名な催し物なのか?」
「有名も何も、この時期になると王都中……いえ、国中でその話題でもちきりですよ」
リンチェは熱弁を振るう。
「国内外から参加者が集まりますし、観客もたくさん来ます。宿屋なんて予約が取れなくなるくらいです」
その口ぶりからして、相当な規模のイベントらしい。
「具体的に何をするんだ?」
「一言で言えば、迷宮の攻略です」
「迷宮?」
「はい。迷宮を探索して、最深部にいるレイドボスを討伐するんです。ライノさん、迷宮についてはご存知ですよね?」
「ああ、それくらいの知識はある」
迷宮――いわゆるダンジョンとも呼ばれる、魔力が一定以上集まることで発生する異境だ。
内部では魔物が際限なく湧き続け、そして最深部には、レイドボスと呼ばれる最高難易度の魔物が待ち構えている。
ボスを倒さない限り迷宮は消えない。
それが一般的な認識だ。
「ところで、なんで女王杯の競技が迷宮攻略なんだ?」
「と、言いますと?」
「剣の大会とか魔法の大会でもいいだろ」
ポスターを見ながら尋ねる。
「なんでも、国としては攻略に手を焼いている迷宮に冒険者たちを集めて、一気に片付けてもらいたい思惑もあるそうですよ」
「そりゃまた、随分と都合のいい話だな」
「もちろん、冒険者側にもちゃんと見返りはあります。優勝したクラブには莫大な賞金が出ますし、女王杯で活躍すれば一気に名前が売れますから」
国は迷宮を攻略できる。
冒険者は金と名声を得られる。
ふむ。言われてみれば、確かに悪くない仕組みかもしれない。
「それで、うちも参加するのか?」
「もちろんです」
リンチェは即答する。
「たしかに賞金も魅力です。でも、それ以上に――」
そこで言葉を切る。
その視線は壁のポスターへと向けられていた。
「私は、この国で一番の冒険者になりたいんです。そのためには、この女王杯は絶対に優勝しなくてはいけません」
さっきまで椅子の上でふざけていたやつと同じ人物とは思えない、迷いも照れもない、真っ直ぐな声だった。
「依頼を誰よりも解決して、誰よりも強くなって、みんなに認められる冒険者になる。それが私の夢なんです」
「そいつは、ずいぶん大きく出たな」
「変……でしょうか?」
少しだけ不安そうな顔になる。
「別に。すごく良い目標なんじゃねえの?」
「……!」
俺がそう言うと、今度はぱっと表情が明るくなる。
なるほどな。依頼一つにも全力で食らいついていた理由が少しだけ分かった気がした。
こいつはこいつなりに、通したい生き方があるらしい。
「ライノさん、あなたの協力が必要です」
「なんだよ、急にあらたまって」
「先日、ライノさんがヤミクモンをぶっ飛ばした件で確信しました。あなたは、このホワイトキャッツに足りなかった最後のピースです」
「そりゃ、買い被りすぎだろ」
「いいえ。そんなことありません。やっぱりあなたを仲間にした私の目に間違いはありませんでした」
真っ直ぐ目を見て言われた。
そんなに大真面目に言われたら、何て答えたらいいのか分からなくなるだろ。
だから俺も、少しだけ真面目に答えることにした。
「……まあ、このクラブに入った以上は力を貸すさ。ただし、そこまで大口叩いたんだからな、途中で諦めるのは無しだぞ」
そう言うと、リンチェは力強く頷いた。
「はい!」
立派な返事が返ってきた。
と、その時。
コンコン。
玄関の扉がノックされた。
俺たちは揃って入口へ視線を向けた。
「客か?」
「みたいですね。ユルナとマヤなら遠慮なく入ってくるでしょうし」
リンチェが出ようとする。
「待て、俺が近いし俺が出る」
ガチャリと扉を開けると、
「あ、あら?」
そこには見知らぬ女性が立っていた。
陽の光を受けて輝く銀色の髪。
年齢は俺と同じか少し上くらいだろうか。
だが、それ以上に目を引いたのは……
「……羊?」
両腕に一匹ずつ、なぜか二匹の羊を抱えていた。
「初めまして、私はサーティ・ウールシェイナと申します。お気軽にサーティとお呼びくださいませ」
女性は丁寧な口調で、ぺこりと頭を下げた。
「ライノだ。最近このクラブに入った」
「まあ、そうでしたか。それでは、これからよろしくお願いしますね。ライノさん」
席についた俺たちは、とりあえず簡単な挨拶を済ませる。
向かいに座るサーティは、人懐っこい笑顔を見せた。
そういえば、リンチェがもう一人仲間がいるという話を思い出した。どうやらそれが、目の前にいる女性――サーティのことだったらしい。
美人ではあるが、人目を引く派手さはなく、どちらかと言えば近所で評判の優しいお姉さんのような、そんな表現がしっくりくる穏やかな女性だった。
「長旅お疲れ様でした、サーティ。特別任務の方はどうでしたか?」
「問題なく、ばっちり成し遂げましたわ」
サーティは少しだけ胸を張って言った。
特別任務?
「ギルドからの依頼で、サーティには一週間ほど前から北部のスノードーム地方に行ってもらっていたんです」
リンチェが説明を補足してくれる。
「廃倉庫に放置された、魔道具の回収依頼ですね」
「はい。そして、それがこちらですわ」
サーティは足元に置いていた荷物から、布に包まれた物体を取り出した。
「あとでギルドへ持っていきましょう。それで依頼は完了です」
「ええ、分かりました」
話がまとまりかけたところで、俺はずっと引っ掛かっていた疑問を口にした。
「……なあ、誰も触れないからあえて言うけど、その羊は?」
床にいるモコモコした二匹へ視線を向けた。
一方はゼエゼエと荒い息を吐いている小柄な羊。
もう一方は、その隣にぴったりと寄り添い、不安そうな目で相方を見つめている大柄な羊だった。
親子の羊だろうか?
「なんというか、今にも死にそうに見えるんだけど」
「帰り道で見つけたのですが……どうやら重い病気にかかっているようでして、放っておけず保護したんです」
「人だけでなく動物にも優しいところが、サーティの魅力の一つなんですよ」
「お、おう。それは分かったけど、早く医者に診せた方がいいんじゃないか?」
「そうですね」
ちらっと、サーティはリンチェのほうへ目配せをする。
「では、この魔道具は私とユルナとマヤでギルドへ持って行きますので、サーティとライノさんは、お医者さんのところへ向かってください」
どうやら効率よく別行動を取るつもりらしい。
立ち上がりながら、リンチェが付け加える。
「サーティを頼みますね、ライノさん」
俺は軽く手を振った。
「では、行きましょうか」
「ああ」
家を出る前に、サーティが優しく羊たちの頭を撫でた。
「大丈夫、大丈夫だよ。すぐに戻ってくるから、いい子にしててね」
その声音は、まるで幼い弟を安心させる姉のように優しかった。
羊の方も、その手の温もりが分かるのか、少しだけ安心したように目を細めていた。




