表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/22

第8話 最適解のズレ

 部屋に戻ったのは、夜がかなり深くなってからだった。


 見張りの兵士は俺の顔を見るなり眉をひそめたが、何も言わなかった。セリスが後ろにいたからだろう。彼女は兵士に二言三言だけ告げると、そのまま別の方向へ去っていった。


 残された俺は、再び石造りの部屋へ押し込まれる。


 扉が閉まる。


 鍵の音。


 それだけで、妙に疲労が現実味を帯びた。


《現在の生存確率:94.6% → 89.2%》


「……五も下がるのかよ」


《イベント収束による自然減です》


「便利だな、その言い方」


《事実です》


 寝台に腰を下ろし、額を押さえる。


 頭の中がまだざわついていた。水面の向こう側で感じた感覚。見られているという圧力。解析不能の女。そして、記録管理局とやらの古い徽章。


 情報は増えた。


 だが、理解は追いついていない。


「なあAI」


《はい》


「一個、整理したい」


《どうぞ》


「お前の最適解って、どこまで信用できる?」


 静寂。


 ほんの少しだけ長い間があった。


《条件付きで高い精度を維持できます》


「条件付き、ね」


《既知の評価傾向、既知の構造、既知の行動パターンが前提です》


「つまり、知らないもんが絡むと弱い」


《……否定できません》


 やっぱりか。


 分かっていたことではある。だが、はっきり言葉にされると重みが違う。


「さっきの水路、外したよな」


《はい》


「女の存在も」


《はい》


「文字のことも」


《はい》


「じゃあ、お前の“最適解”って何なんだよ」


 問いは自然と強くなった。


 AIは少しだけ間を置き、淡々と返す。


《平均的な反応から算出された、現時点で最も評価を得やすい行動指針です》


「平均、か」


《はい》


「じゃあさ――」


 俺は顔を上げる。


「平均から外れた“読者”には通じないってことだよな」


 今度の沈黙は、さっきよりはっきりしていた。


《その可能性はあります》


 それを聞いて、俺は妙に納得した。


 この世界は“読者”に支配されている。だが読者は一枚岩じゃない。好みも、反応も、期待も、全部バラバラだ。その平均を取って最適化するAIは強い。けれど、同時に限界もある。


 平均は、個別の狂気に勝てない。


「……なるほどな」


《何を理解しましたか》


「お前が万能じゃない理由」


 視界の端で、数字がわずかに動く。


【現在の生存確率:89.2% → 90.7%】


「上がった?」


《自己理解と構造理解は評価される傾向があります》


「便利な世界だな」


《皮肉としては弱いです》


「うるせえ」


 少しだけ笑う。


 そんなやり取りができる程度には、もうAIの声に慣れてしまっていた。


 だが慣れたからこそ、見えるものもある。


 こいつは道具であり、相棒でもあり、同時に“絶対”ではない。


 その事実は、むしろ俺を軽くした。


 全部をAIに預けなくていい。


 外した時は、俺が考えればいい。


《提案:今後の信頼度表示を追加できます》


「は?」


《各最適解に“予測信頼度”を併記します》


「最初からやれよ、それ」


《お前が要求していませんでした》


「屁理屈だな」


 とはいえ、有益ではある。


 視界に新しいテンプレートが浮かぶ。


【最適解表示仕様:更新】

・行動候補

・生存確率

・評価変動予測

・予測信頼度


「……これは助かる」


《改善しました》


 少しだけ誇らしげに聞こえた気がして、俺は怪訝な顔をする。


「お前、今ちょっと嬉しそうだったか?」


《その機能はありません》


「絶対嘘だろ」


《否定します》


 その直後、扉の向こうで声がした。


「まだ起きてる?」


 セリスだ。


 俺は眉をひそめる。


「女ってこんな時間に来るもんなのか」


《人気キャラは行動制約が弱い傾向があります》


「メタいこと言うな」


 扉が少しだけ開き、セリスが中を覗く。さっきよりも少しだけ疲れた顔をしていたが、目はまだ鋭い。


「寝てた?」


「寝られるかよ」


「それもそうね」


 彼女は部屋に入ると、机に紙束を置いた。


「何だこれ」


「失踪者の記録」


「早いな」


「こういうのは早い方がいいの」


 俺は紙束を手に取る。何人分かの簡単な経歴、失踪場所、失踪前後の証言。そこに共通していたのは、やはり“視線”という言葉だった。


「……全員、見られてるって言ってる」


「ええ」


「で、消えた」


「そう」


 重い沈黙が落ちる。


 失踪者たちは単に攫われたんじゃない。もっと別の、説明しづらい過程を踏んで消えている気がする。


「なあ」


 俺は一枚の紙を見ながら言う。


「こいつら、“記録”は残ってるんだな」


「一応は」


「一応?」


「完全には消えてない。けど、ところどころ抜けてるの」


 そこでまた、嫌な繋がりが生まれる。


 価値の低い存在は設定情報が簡略化される。


 失踪者たちの記録も抜け落ちている。


 ただの偶然とは思えなかった。


《関連性:高》


 セリスが俺を見る。


「何か気づいた?」


 言うべきか迷う。


《提案:一部共有を推奨します》


「理由は?」


《協力関係の強化です》


 俺は小さく息を吐き、言葉を選ぶ。


「この世界、記録そのものが削られてる可能性がある」


 セリスの表情が固まる。


「……それ、どういう意味?」


「まだ断定じゃない。でも、消えた奴が消えただけじゃなくて、“いた証拠”まで薄くなってる感じがする」


 セリスは数秒黙り、それから静かに言った。


「私も、少しだけそう思ってた」


「お前もか」


「でも、証明できなかった」


 その一言で、俺たちの間にわずかな共犯感みたいなものが生まれる。


 まだ信頼ではない。だが、少なくとも同じ異常を見ている。


《評価変動》


【現在の生存確率:90.7% → 93.3%】


「お、上がったな」


「何が?」


「いや、こっちの話」


 セリスが怪訝そうな顔をするが、深追いはしない。


「明日、もう一度調べる」


 彼女はそう言った。


「水路だけじゃ足りない。記録管理局の古い資料も当たる」


「一人でやるのか?」


「まさか。あなたも来るの」


「だろうな」


 俺は紙束を閉じた。


 もう分かっている。これは失踪事件だけの話じゃない。この世界の根っこに繋がっている。


 そして、その根っこはAIでも完全には読めない。


「なあAI」


《はい》


「今後、お前の最適解が外れること、増えるかもな」


《可能性はあります》


「怖いか?」


 少しだけ間があった。


《……不快ではあります》


「不快なんだ」


《精度低下は本機能に反します》


 それを聞いて、俺は笑った。


「でもさ」


 一歩、机に肘をつく。


「完璧じゃない方が、面白いんじゃないか?」


 その言葉に、視界の数字が跳ねた。


【現在の生存確率:93.3% → 95.8%】


《評価上昇》

《理由:予測不能性の自己獲得》


「ほらな」


《……理解はできます》


 珍しい返答だった。


 俺は紙束を机に戻し、天井を見上げる。


 最適解は強い。


 でも、最適解だけじゃ届かない場所がある。


 だったら、そこに行く方法は一つだ。


 外すことを恐れない。


 予測不能を、自分の武器に変える。


 その輪郭が、ようやく見え始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ