第35話 【無力の極み】
そうか。『ナル』というのは『成瀬』からとったのか。相変わらず酸素の周りが遅い頭でぼんやりと考える。
一人称が自分の名前の女には警戒を欠かさないタツキだが、今回はまた種類が違う。そもそも一人称に定まりがないし―――俺と同じ苗字だというのだから。
「………きょうだい? 俺と、お前が?」
―――ありえない。
鋭い痛みとともに、脳が拒否を始める。
アリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイ。
俺に『きょうだい』なんて存在はいないはずだ―――
しかし、すぐ目の前にいる黒凶徒はタツキとそっくりな顔をしていた。母親譲りの目元も、少しくせっけな黒髪も……いや、そっくりなんてもんじゃない。瓜ふたつだ。まるで映し鏡のような。
―――目が赤い。
ただ、それだけが違う。タツキの黒い瞳とセイキの不気味な赤い瞳。血を分けているなら、ここまで大きな変化はでないはずだ。
「て、適当なこと言うなよ。俺には兄妹なんていない」
「ふーん、まだ信じてくれないんだ。私泣いちゃうよ〜。不確かな情報よりも、今お兄ちゃんが見てる現実が大事でしょ。あとあと、正確に言うと僕とお兄ちゃんってフタゴなんだよね。一卵性の」
いたずらっぽく笑うセイキ。
驚きの新事実に言葉も出ない。
漫画では『実は双子の妹がいた!? ドキドキの同居生活が、今始まる!』というパターン化された内容だが。………いやいやいや惑わされるな俺。もし本当に双子ならタツキだって覚えているはずだ。しかし全く思い当たることはない。容姿ばかりがそっくりで、俗に言うドッペルゲンガーと言われた方がまだ納得がいく。
ここは異世界。
見た者の姿に化けることぐらい簡単にできるだろう。
「確か、一卵性は必ず同性なはずだ。お前は男なんだな?」
まずはそもそもの疑問をぶつける。情報量で圧倒的に劣っているため、完全に手探り状態だったが、いつまでも足踏みしてはいられない。一卵性は遺伝子レベルから全く同じで、二卵性と違いコピー並に似ているのが常識だ。見たところその条件は一応満たしている。
……と思うが、この世界では100%そうとも言い切れないのが現実だ。魔法でいくらでも顔は偽造できる。
「へぇ、結構詳しいんだね。なら異性一卵性双生児って言葉も知ってるはずだろ?」
「そこらへんは漫画の設定で鉄板だからな。つっても、俺が読んだ中では性別が違うパターンはなかったぜ」
「ところがどっこい、あるんだよねー。だから一卵性ってだけで男確定はヤメたら?」
「性別ぐらいで焦らすなよ。どっちかによっては、その……付き合い方、変えなきゃなんねぇだろ」
頬を掻きながら考えていることと言えば、『目の前にいる偽物をどう殺すか』だった。タツキの底にある憎悪は消えていない。
「ふふ、そんなに気になるんだ? あ、ならお兄ちゃんが当ててみてよ! 僕にアレがついてるように見える? それとも私にアッチがあると思う?」
そういって両手を合わせると、セイキは右手を下半身に当て、上半身に左手を這わせた。その艶めかしい動作に思わず顔ごと視線をずらす。相手にとってはいたずらレベルで、こちらの反応を楽しんでいるのは分かるのだが、体は正直だ。耳まで赤くなっていく感覚がする。
「もし妹なら、女の子がそんな言葉使っちゃいけません!ってツッコんでるところだぞ……っておい、言ってるそばから手を動かすな!」
「えー? あー。そっかそっか、お兄ちゃん、私が女だったらムズムズするんだ。なら僕、女のほうがいいよね?」
「べべべ別にそんな、ムズムズなんかしねぇし! つかそんなこと俺に聞かれても困るだけだ! お前はお前のままでいろよ!」
ペースを乱され、動揺する。自分と同じ顔の女子に発情するなんてアホらしい。そう、実にアホらしい……。アホらしいのだ……。
しかし、しかしだ!
突然自分に妹ができた、なーんて言われたら期待が湧くのも事実だろう。ラブコメで妹要素なんて腐るほどある。それと同じぐらい憧れもある。『セイキ』という名前からすると、男の確率が高いけれど。巷でよく言う男の娘☆というやつか。セイキに操られるように、徐々に思考が脱線していく。
「お前はお前のままで、ね。ふふん、さすがナルのお兄ちゃん。想像通りの素敵な人で嬉しいよ」
「俺はまだ認めたわけじゃねぇからな。……話そらしただろ。結局どっちなんだよ」
「んー、ないしょ!」
同じ顔をした『そいつ』は、唇に人差し指を当ててにっこりと笑った。その姿はタツキとは違う魅力に溢れており、双子とは思えないほど愛らしかった。勝手に身内の贔屓目をしているのだろうか。
先ほどまで『ぶっとんだ奴』と評価していたのが嘘のようだ。いつの間にかくるくる変わるセイキの表情に好感を持っている。
徐々にセイキに心を許し始め――本当に唐突に、今まで忘れていた自分に怒り狂いたくなるほどの許しがたい行為を思い出したのだった。こいつは、フレシアを虐めた当人だ。
「っ………! そうだ、フレシアをッ……! もしお前が俺の妹でも弟でも家族でも、この子を傷つけたことだけは許さねぇ!!!」
「―――――は?」
相手を蹴落とすほどの勢いで吠える。
――直後、空気が急速に温度を無くした。体中から冷や汗が吹き出す。
心臓を掴まれたような恐怖に、何事かと原因を手繰ると、タツキの血縁者を名乗る人物が獣をも遠ざけるオーラを発していた。練りに練られて増幅し、限界まで膨らんだ鬼気。その凄まじい気配にタツキの方が蹴落とされ、思わず退く。
先ほどまでの団欒はどこへやら。にっこりと笑っていたセイキの目からは光が消えていた。他者を凍えさせる冷視線。
―――何か、気に触ることをしただろうか。部屋を包む冷気に困惑する。
この人に嫌われたくない。不思議とそんな思いがこみ上げてきた。それも命惜しさの気持ちではない。
「そうだ、そうだよ……。そもそも『きょうだい』だってんなら、なぜ俺を殺そうとする? 俺の大切な子を傷つける?」
自分の面を生き写しにしたような顔が、いびつに歪んだ。ぐにゃり、と。
その顔が自分を……フレシアを脅かしたのは事実だ。――家族だと名乗っておきながら、何故。
「許せないのはお前の方に決まってるでしょ? あぁそうか、お兄ちゃんは覚えてないのか。おかしいと思ったよ。結局自分の心を守ることを優先した薄情者ってことだ。――僕がお兄ちゃんの代わりに死んであげたのに」
「……ぇ」
「あーぁ、ホントやってらんないや。もういっか、お兄ちゃんイラナイし殺しちゃお。そのキュートな女の子は巻き添えってことで。後で謝っとけばいーよね、うん。故人に謝るぐらい私にも容易いよ」
「……何で」
艶々とした黒髪を掻き毟り、理解を遅らせる言葉を吐き、やがてふっと力を抜いてこちらを向く狂人。赤く染まった瞳が冷え冷えと輝いている。心が容赦のない力で握りつぶされた感覚がした。
「なんで? なんで? なんで?――何でだって!? 言ったよね、言った言った! お兄ちゃんのせいで……ナル、すっごく心細かったんだよ。復讐って支えがなければ、今頃死んじゃってたぐらい」
「俺の、せい……?」
激変した態度で大仰に仕草を煽るセイキ。その顔は憎しみに溢れていた。全てタツキへの憎悪に違いない。タツキより少しぱっちりとした赤目に、復讐という炎が点火されている。
「そうそう、その通り。お前のせい。全部お前のせいなんだ。やっと自覚してくれた? ナルはね、お兄ちゃんがいたから捨てられたんだ。……でもでも、もういいの! 今のお兄ちゃんは僕より弱いから、生きるのは私の役目だもん」
「―――?」
セイキの言葉の意味が分からず、みっともなく立ちつくすことしかできない。
要約すれば、自分はお前より強い。そう豪語しているということだ。……そんなこと、分かってる。もし自分に力があればフレシアを傷つけさせたりなんてしない。いや、詭弁か。たとえ無力でも、立ち向かうことならできる。それをしないということは、そもそも守る意志がないということだ。自分の弱さを盾に、痛みを恐れるだけの弱虫。…それがナルセ・タツキなのだ。強者に挑んでいく姿が想像できない。簡単に手で振り払われる未来を見るだけだ。負け戦は極力しない自保護主義なのだ。
「弱〜いお兄ちゃんはもう退場。代役は私が引き受けました。ということで、お兄ちゃんにはサヨナラしてもらいます!」
「は、ちょ、まてまてまてっ……!!」
いきなりの『死』との急接近にタイムを要求するタツキに、悪魔は晴れ晴れとした笑みを向けてくる。この世の悪の根源を絶てるという、凶悪的な喜びに満ちた表情。だが、その目は笑っていない。確かな殺意が垣間見えた。
黒マントの裾から白い手が伸びる。魔法発動前の構えだ。標準はもちろんタツキだ。分かっていても、足の裏は地面に張り付いたままで思い通りに動いてくれない。絶対的死を前にして、逃げることも叶わないのか。狙いは――ちょうど心臓の位置だった。理解した途端、耐え難い震えと嘔吐感がやってきた。
己の弱さを嘆き、救いを求めるタツキ。しかし、口が裂けるほど頬を釣り上げるセイキはその手を止めない。
身を守る術を知らず震えるタツキを怪しく輝く目が捉え、迷いなく伸ばされた手からはタツキを死際まで追い詰めた鈍器が―――。
「やめてっ!」
「はぁ?」
―――声に合わせ、横槍を入れてきた第三者に向きを変えた。
タツキの視線の先では、今まで沈黙を貫き回復に徹していた少女が立ち上がろうとしている。圧倒的な力の差を見せつけられているのに、力の入らない手足を総動員させ、懸命に地で足掻いている。
―――やめろ。
興奮が最骨頂だったのに出鼻をくじかれ、不機嫌そうに彼女を睨む黒装束の影。そのつまらなさそうな顔は、魔法の発射タイミングを見計らっているようにも見えた。
―――もう、やめてくれ。
死を恐れ、立つ気力も無くしたタツキに、その何倍もの恐怖をいつもの笑顔に押し隠すフレシア。
―――何で。
意識がはっきりしないはずなのに、なんとか膝をついて体を起こすことに成功した金髪の少女。
―――そんなことしたって。
そして最後の力を振り絞り、何ができるでもないのに、タツキとセイキの間に両手を広げて静止する彼女。
―――意味なんて、ナイノニ。
「しね」
次の瞬間、真っ黒な塊が一瞬で彼女を貫いた。時間の流れをぶった切ったような『ソレ』が、彼女の努力を嗤笑するように深々と腹の真ん中にめり込み、壁に当たって砕けたのだ。……一目で『死』を想起させるような。
多量の血を吐き、呆然と座り込む愚人を横切って飛ばされる肢体。
壁に打ち付けられた衝撃で嫌な音をたてる四肢。
傷口から出てこようとする人体の臓腑。
壁に血の線を残し、受け身もとらず地面に落ちる少女。
自身の流す血で朱に染まっていく白い肌。
そのままぴくりとも動かな―――え?
「え、は、なに、え、あ、あ、あああ、うそ―――」
「あーあ、ヤっちゃった。死に損いごときがナルを邪魔してくるから、ついカッとなっちゃったよ」
「ぁ? ぇ?」
「健気なのはいいことだけど、死体同然じゃ全然楽しめないや。……まぁお兄ちゃんの変顔が見れたし、よしとするかな」
「ぇ? あ……。あぁ!? てめぇえええがああ!!!」
怒りが咆哮に変わって声帯を揺らす。
だが燃え盛る外面と違い、内面は至って冷静だった。先程からずっと終わらない問答を繰り返している。無限に湧いてくる質問にタツキは答え続けていた。
―――君に怒る資格はあるのかい?
ある。あるに決まってる!
―――彼女を…フレシアを守りたいんじゃなかったの?
あぁ、守りたいよ。当然だ。
―――じゃあそのための努力はした?
………いや。
―――瀕死の彼女を放っておいて、彼女を傷つけた相手と話すことに夢中になってた自分をどう思う?
……救いようのないクズ野郎だよ。
―――マルとの約束、覚えてる?
ああ。
―――守れたと思うかい?
…………。
―――君に怒る資格は本当にあるのかい?
……………ねぇよ。
叱られるべきは自分だ。守れる保証のない口約束を交わし、弱いくせに人の命を助けようとする……俺。
「ぶっ………!」
途端、鮮血が散ったのを最後に視界が赤と白に点滅する。湧き出る多種多様の感情を糧に全力疾走したタツキの顔面に、セイキが思い切り拳をぶちこんだのだ。魔力交渉の一切ない、純粋な力だけの攻撃。それなのに、タツキの体は軽々と吹っ飛んだ。
あまりの痛みに理解が遅れ、訳のわからない言葉が唇を通る。体が物凄いスピードで移動しているのが分かった。
そのまま一瞬で血塗れのフレシアの側まで飛ばされ、机や椅子を巻き込みながら壁に衝突。
―――ガンッ!!!
全身でぶつかることで痛みが分散されたようで、意識は持っていかれなかった。反動で脳が揺れる。全身が冷えていく。
「あ、ああああぁああ!!」
足の筋が切れたことなど動かさずとも分かる。脇腹が折れたことなど見ずとも分かる。頭から血が滴っていることなど確かめずとも分かる。……だけど、打撲も骨折も流血も、全部どうだってよかった。
意識は既にそちらに向いていない。
すぐ横に倒れている、血に染まった赤色の少女のことしか頭に入ってこなかったのだ。
「フレシアああぁああッ!!!!!!」
「あははははっ!!お兄ちゃんのその顔、すっごくおもしろ―――」
ドンッッ!!!!
今日何度めかの衝撃が、吼えるタツキを襲った。




