第34話 【破滅の到来】
ついに破滅がやってくる!
揺れる視界が正常な思考を根こそぎ奪う。しかしその状況が、かえってタツキのごちゃごちゃを取り払ってくれた。囚われ続けていた呪縛が一時的に記憶の隅にやられ、目的がある一点に統一される。
―――フレシアを守る!!!
その絞りきった使命に体は答え、主に諦観を許さない。
フレシアを脇に置くほど執着していた『モノ』も、この非常事態に思考から脱線していた。死を意識して優先順位がガラリと変わる。
タツキは立つことさえままならない揺れの中で、必死にフレシアの元へと歩を進める。しかし、それも亀程度の超のろのろスピードだ。
屋敷全体がぐわんぐわん揺れている今、それも仕方がないのだが。かつて経験したことのない揺れに脳が揺さぶられ、酸っぱい胃液がこみ上げてくる。視界がテレビの砂嵐のように変化した。
気持ち悪い。酷い嘔吐感がタツキを蝕む。
「フレシア!」
――絶対諦めねぇ!
机に掴まって必死に体勢を整え、開いている手を精一杯彼女に伸ばした。しかし、フレシアは一向にその手に向かって自身の腕を伸ばそうとしない。当たり前だ。
フレシアはタツキに背を向けているのだから。こちらを少しも見ようとしないその態度に、今は意地を張っている場合じゃないだろうと嘆きたくなる。命がかかっているのだ。この地震で屋敷が崩れ、揺落したらどうするつもり―――て。普通に立ってるじゃん。
「……?」
幻覚だろうか。
さっきから必死に地を這うタツキには信じられなかった。
「何をしているんだい? 新しい遊戯?」
頭上に降り掛かって来るマルの落ち着いた声音。
普段なら絶対に乗らないその挑発が妙に頭にくる。きっと、この事態の大きさに気づいていないマルの鈍感さに腹が立ったのだろう。怒鳴り散らして現実を突きつけようとしてやるが、未だ続く体を襲う揺れに声が出ない。
「はぁ。君みたいに魔に耐性がない子には、この手の術がよく効くんだよね〜。――よいしょっと!」
マルの合図とともに、乾いた音が響く。それが指パッチンによるものだと分かると、タツキはさらに激昂した。
「おまッ……! 緊急事態に悠長に何やってんだ! この揺れが――って、は?」
声が出るままに叫びながら、歪んだ景色が収束していることに気づく。いつの間にか、タツキを縛っていた揺れは収まっていた。一歩も動けなかったことが嘘だったかのようにすんなり立ち上がれる。
驚いたことに周囲に一切の変化はない。机と椅子同士の間隔はそのまま。乱れた気配もなし。
耐震効果でもされているのだろうか。そうじゃなきゃ、まるで最初から地震なんてなかったかのような……。
「いやいや、あの衝撃がウソだったはずは……。あ、おい、フレシア」
無事か?
という言葉の前に、彼女が振り返ってタツキの視線に合わせた。相変わらず綺麗な彼女の瞳にタツキが映りこむのがみえた。
フレシアの行動の意図が分からず困惑するタツキだが、動くと失礼に当たると思い静止。二人の距離が縮み、タツキの心臓がうるさいほど高鳴った。
フレシアは、そんな男心にお構いなしにタツキの顔を凝視する。愛らしい顔立ちの彼女がドアップになった。その整った目鼻に釘付けになり――結局視線をあわせ続けることができず、途中で顔をそらしてリタイアする。新緑の瞳が、横を向いたタツキをじっと見つめていた。
「うん、ケガはないみたい。良かった」
「あ、あぁ! 怪我を見てくれてたわけね!」
「……? ケガしてたら大変だもの」
期待していたシチュエーションではないが、その心遣いは素直に嬉しい。羞恥を隠す為に高い声を上げて頭を掻く。
未だ現状把握が出来ておらず、座り込んでいる自分がとてつもなく恥ずかしくなる。人を気遣う余裕がある分、フレシアの方が急な出来事に対する適応能力が高い。今はタツキを見下す位置にいる。
どの方向から見ても彼女の美少女っぷりは崩れない。例えその両目が冷ややかな光をたたえていても、だ。
「これでわかったでしょう。屋敷には今、危ないことが起きてるの。きっとクロが何とかしてくれるんだろうけど……全員に自室待機が命じられているわ」
真剣な表情で淡々と言い放つフレシアに言葉を失う。……なぜこの状況で平然としていられるんだ?
「避難命令は妥当だろうが……。魔法があるなら、二次災害は防げるんじゃねぇの?」
あまり異世界と地震は結びつかない。だからこそ、その対応には首を傾げる他なかった。
屋敷は倒壊している様子もないし、部屋に戻っても余震が来る心配がある。
「大馬鹿モノだな、君は。なんでシアが地の揺れなんかでわざわざ動かなきゃならないのさ。足りない脳でも少し考えれば分かることだよ。そもそも、シアに未来を察知する能力なんてないし」
「辛辣発言ですが納得しました、はい」
非常事態=大地震だと勝手に決めつけていたが、よくよく考えれば筋が通っていない。その危険を伝えに来たのなら、地震の前兆を察知し、予め予測しておかなければならないのだ。マルが言い切ったのだから、フレシアにその鬼才がないことは確実だ。
それにもし地震を予期できていたとしても、避難指示は出されていなかったと思う。これは命の危機に関わるからこそ出される命令。クロークが地震をそこまでの脅威だとみなすとは考えにくい。
「なら本物の脅威は一体何なんだ?」
「―――《黒凶徒》」
フレシアが目を伏せ、単語のみを唇の端から絞り出す。予期しぬ言葉に不意をつかれた形となり、すぐさま反応できなかった。
クロキョウト?
馴染みのない言葉を頭で転がしていると、忘れていた記憶の一つに繋がった。
タツキは確かにその名を聞いている。殺人におあつらえ向きの絶大な負の魔力を持ち、普段は闇に潜んでいるのに、突然現れてはその力で人を殺す最悪最低な非道集団だ。
「なんで。なんでそんなやつらが、ここに……」
「悠長に頭を悩ませる時間はないよ」
「確かにそーだ」
しかしおかしい。
タツキの記憶の中では、黒凶徒はルイに惨敗している。不確かな記憶故、その結果についてはなんとも言えないが。新たな謎が次々と口から飛び出そうだ。
「既の所で手を抜いたんだろうね。主人を誠に想うなら、身近に潜む危険対象は真っ先に駆逐すべきなんだけどな」
何故マルがそのことについて知っているかは疑問だが、とりあえず後に送っておく。
「お前が言っていることは正しいよ。けど……」
マルの言うことは正論だ。
王の立場からしてみれば、ルイの判断は愚かな行為にしか思えないのだろう。だが、人間は効率のみを優先して物事を遂行することはできない。
必ず『情』というものが存在する。人を殺すことを躊躇い、相手の事情を知れば感情移入し、哀れみが手を鈍らせる。それに、あの短髪メイドは根が優しいのだ。口では冷たいことを言うくせに、心から他人を拒む事はしない。むしろ人の温もりに飢えている節がある。
「俺はルイの気持ち、分かるけどな」
「へぇ。なら、甘さは己だけでなく周りを巻き込むってことを覚えておくといいよ。僕にはシアより優先するものなんて無いから理解できないけどね」
キッパリと言い切ったマルに言葉を詰まらす。
それはつまり、タツキにフレシア以外の全てを捨てる覚悟が無いということだ。イエスかノーか聞かれれば躊躇う問いに、マルは即断できる覚悟があるのだろう。
「それは分かってるの。でも、目先に困っている人がいるのに見捨てることなんてできない。それが例え、敵だとしても」
「そうか。さすが僕のシアだ」
「言ってることは俺と同じなのに、何この対応格差!?」
タツキの叫びを、マルは鼻で笑い一蹴。冷たい獣野郎だ。
テレビでよく見る作り物の血。それだけでも失神しそうになるというのに、自分で相手を刺して血を溢れさせることなんて不可能だ。考えるだけで気が滅入る。自分の両手を広げてみると、幻影の血が滴っており、思わずきつく握り直した。
「ごめんだけど、僕にはやらないといけないことがあるんだ。少しの間席を外すことになるんだけど……」
「おう、俺がいるから安心しろまい」
「むぅ。抵抗と不安があるけど、仕方ないか。タツキ、シアを任せるよ」
「おう、任せろ!」
「その意気だ。弾除けぐらいにはなりそうで安心したよ」
強い光を宿したマルのまん丸の目に、大きく頷いて返す。その言葉に珍獣も迷いが消えたようだ。
弾除けなんて、タツキにとっては言われるまでもなかった。戦力はないが、身を挺しての時間稼ぎぐらいならできる。いや、死んでもやってみせる。
「約束だ。俺は命を懸けてフレシアを守り抜く」
「うん。その約束、破らないでね。もし破ったら殺すから」
「ちょ、ちょっと何言ってるの! そんなの私が許さないわ!」
「安心してくれ。その前に自殺してるからさ」
胸を叩き、決まらないセリフを言う。
冗談ぽく言っていたが、本気だった。フレシアを守れない自分に生きる価値はない。ただ一つ心配なのが、優しいフレシアがタツキの身代わりという行為を許してくれるかどうかだ。タツキを心配して戦場に舞い戻ってきたら最悪だ。
「シア、分かったな? いざとなったらこの子を囮にして逃げるんだ。本人もそれを望んでるんだから」
「ああ、俺からも頼む。足手まといはソッコー見捨ててくれ」
「二人とも、酷い……。私は絶対にそんなことしないから。タツキを守るのは私よ」
「あれ、嬉しいけど立場逆じゃね!?」
食いつくタツキに小さく肩をすくませ、マルはすっと消えた。瞬間移動だろうか。有用性が高そうだ。タツキたちが使えるなら、一瞬で屋敷の外に避難することもできるのだ。
避難の策を練り、使命感に燃えるタツキだが、いいところでクロークの命令を思い出す。
「あれ、そういや自室待機令が出てたような……。フレっち、一人は危ないから俺の部屋に来ない?」
「茶化さないの。それより……」
「え」
いつになく強張った顔で、フレシアが互いの息がかかるぐらいに距離を縮めてきた。――すぐ側に、彼女がいる。そう思うと急に心臓がうるさくなってきた。多様の感情を併せ持った高鳴りだ。
心配? 困惑? 嬉しさ?
違う。多分これは―――
―――ほんの少しの身長差を利用して、頭をぽんぽんとたたく。……自分勝手な感情が許せなかった。
「あ、あのねっ、タツキ! 大事な話が―――」
「キャハハハハハハっ!!!」
――フレシアの言葉を遮って、突如耳障りな笑い声が響いた。それは破滅の到来を意味していた。
※※−※※−※※※−※※※−※※−※※※−※※※−※※※−※
「キャハハハッ!」
「………ッ!!」
ゾッとするような、体の芯まで震えさせる声だった。その嗤笑を耳にした途端、タツキの目から光が消えた。一瞬の暗転、体が冷や汗をかく。すぐ近くに感じた温もりが消えていた。
「……?」
突如捉えられない恐怖がタツキを支配する。フレシアとの平穏な会話が嘘だったかのように、今のタツキは生を実感できない。灯を見失ったからだ。
「フ、フレシアぁっ!!!」
負の感情を振り払うように叫び、人影を求めて周囲を見渡す。しかし願いむなしく、視界一面が暗闇に塗り潰されていた。どこに視線を向けても、まるで目隠しされてるかのように何も見えない。
「きゃあっ!」
「フレシア! どうした? どこにいる!?」
――小さな悲鳴。
――――それだけ?
望んでいた声に耳を澄まし、しばらくして首をひねった。想像していた爆音や物音が一切ないのだ。襲撃者と思われる不愉快な笑声の主の姿もなかった。目が使えないハプニングに焦り、闇雲に腕を体の前で上下させる。虚空をつかむばかりだが。
何よりフレシアの安否が気がかりだった。先ほどまで彼女がいた場所まで、真っ暗闇の中突き進むが、手に当たる感触はない。たまに机や椅子に足をとられるだけだ。
早く明かりがつくことだけを祈り、無力な自分から目を逸らす。悲鳴を上げたフレシアに「大丈夫だよ」と声をかけることさえできない。
次々と湧き出る自責の念に絡めとられそうになった時、タツキの顔をぼんやりとした光が照らした――――
「やぁやぁ。こんにちは、お兄ちゃん」
「―――ぁ?」
闇から解放されて目にした光景。
それはフレシアが知らない『何か』に首を掴まれ、持ち上げられている様子だった。両足は地を離れ、ぶらぶらと前後に揺れている。骨が軋む音がした。一瞬で血の気が引く。
「あっれー? おかしいなぁ。返事がないよ。 何でかな? 何でなの? 私が話しかけてるのに」
「おま……何し」
どさっ。
音を立ててフレシアが床に崩れ落ちる。その際に咳き込むことも動くこともなかった。前に倒れたため顔が見えない。マルとの約束が頭をよぎり、悔しさに思い切り歯噛みする。体の真底からグツグツとした熱いものが溢れ出そうだった。
意識がないのか、それとももう―――。
「ねーねー、聞いてる? 聞こえてる? それとも無視なの? 無視しちゃってるの? あははははは!」
ゆっくりと、タツキは歩を進める。
少し押せば倒れてしまうぐらい、フラフラとした足取りで。
「……はぁ。さすがのナルも、そろそろムカついてきたなぁ」
意識が初めてフレシアから声の主へと移る。自身を『ナル』と呼ぶ、口元を狂気に滲ませた人間。
背丈はタツキと―――普通の高校生と同じぐらいだ。黒凶徒の一員を示す黒マントに身を包んでおり、顔はフードで隠れている。
なぜかはわからないが、そのフードに猫耳がついていた。……一切需要が無い。顔の上半分がその猫耳付きフードに覆われているせいで、表情が覗けなかった。顔の特徴も分からず、体がローブで隠れていて性別の判断もできなかった。
胸の辺りの真っ赤なブローチが、光に反射して輝く。
「お前ッ……! フレシアに何しやがった!?」
「やっと答えてくれた~。あと少しで僕のムカつきが爆発するとこだったよ。あははは! 命拾いしたね、お兄ちゃん!」
やけに腹が立つ言い草と笑い方だ。感情任せに怒鳴ろうとして、一息つく。
ここで怒れば相手の思う壺だ。黒ずくめの隣で倒れ込むフレシアに目をやる。――早く、早くカルトのところに連れて行かねぇと!
「そんなにこの娘のことが気になるのぉ? ふーん、こんな顔がお兄ちゃんの好みなんだ? まぁそこら中にはびこるブスどもと違って、すっごく可愛いもんね」
「……うるせぇ」
こいつにフレシアのことを語らせたくない。
「でもダメダメ、僕が壊してあげるから。お兄ちゃんにはあげなーい!」
「その呼び方はやめろ。俺は殺人者の兄になった覚えはねぇ」
「……」
感情を逆なでしてくる『ナル』の思惑から外れようと、ひたすら感情を押し殺す。
それなのに、奴は横たわるフレシアの端正な頬を掴み、こちらに下卑た笑顔を向けてきた。無理やり顔を上げさせられたフレシアが眉を寄せるのを見て、最悪な事態にはなっていないと小さく安堵する。
更に、マントの色とは対照的な白く細い指で、サラサラな金髪を堪能し、嫌がる彼女の唇に触れた。……腸が煮えくり返りそうだ。だが、今は息があるのを確認できたことを喜ぶことで怒りを押し戻す。
「え? 何その目。ナルにもソレで楽しむ権利ぐらいあるでしょ。お兄ちゃんのモノでもないんだし、中古でいいならあげるからさ。お兄ちゃんなんだから我慢したら?」
「フレシアを物扱いすんじゃねぇ! それに、俺はてめぇの兄貴なんかじゃないって言ってんだろ!」
「何言ってるの? お兄ちゃんはお兄ちゃんでしょ? あ、そっか。自己紹介がまだだっけ。じゃあじゃあ改めて――私の名前は成瀬星祈。あなたのきょーだいです! よろしくね、お兄ちゃん!」
「はぁ?」
フードをとった自称『きょうだい』を名乗る人物の瞳は、真っ赤に輝いていた。




