第26話 『憧れの職業』
部屋に入るなり、ため息をついた。
「またすぐにこの部屋に戻ってくることになるとはなぁ……。さっきまとめて用事を済ませてくれりゃよかったのに。それともこれも仕組まれてるのか?」
フレシアに無条件で全幅の信頼を寄せる反面、クロークに対しての信頼度は半分ちょっとといったところか。頼りになる人物には違いないが、割ってみれば腹は真っ黒だったということもあり得る。そんなクロークとの対話が改まって設けられたので、タツキとしては願ったり叶ったりといったタイミングだった。
――この場で、クロークが本当に信頼できる人物か否かを見極めるために。
「まさか。我がそんな小賢しい真似をすると思うかい?」
「思うぜ。平然とやってのけそうだ」
相変わらず毅然としたままの対談相手。後ろに使用人はいないが、朝と同じ場所に座っている。
「まあいい。それよりフレシア、我を裏切っておいてよく顔を出せたな。―――本当にいい子だ」
嫌味をたっぷりと含んだ物言いと、他人を傷つけることを厭わない話しぶりが叔母に重なった。
隣にいるフレシアは、言葉の棘を真正面から刺されて言葉を紡げなかった。小さく震える彼女を背中に庇い、変わりにタツキが前に出る。
「おいおい、呼んだのはそっちだろ? フレシアが無視できると思ってんのか」
理不尽な侮辱に正当な理由で責める。
タツキの味方をしたせいでフレシアがクロークの怒りを買うなんてことは、許せない。ついクロークを見る目も険しくなってしまう。
「不愉快極まりないね。何故君が口を挟むんだ。それとも我が君に何かしたかい? してないだろう。むしろ我の存在は君にとって利でしかない」
自信たっぷりに言い切ってるけど、お生憎様。フレシアの痛みは俺にも伝わってくるんでね。……もちろん口には出さないが。
「それに、こちらにも都合というものがある。何分他の住人はこの対談に参加する権利がないからね。一旦我が外に出て人払いしなければならなかったわけさ」
べらべらと言葉を連ねられても、全て言い訳程度にしか聞こえない。それに、いつの間にかタツキが言いたいことから逸らされてしまった。悔しいが、口を挟む隙が無い。主人は見えない口で他を圧倒し、優雅に足を組み替えている。
クロークという存在がタツキにとって得になる。それは分かる。
しかし、対談の参加権が他の人にはなくてタツキにあるのはなぜだろう。
「難しいことは置いといて、かけ給えよ。さっき我が言ったのは些細な冗句だからさ」
「そうは見えなかったけどな……」
立ちぼうけをしていたタツキたちは、着席を勧められて席につく。
――ペル・クローク。彼の思惑は計り知れない。それだけの立場であり、資金を抱え込んでる貴族様ポジションの人が、なぜこんな辺鄙な場所に?
失礼かもしれないが、心から誰かの幸せを望めるほど善良な人物には見えない。むしろ腹はどす黒く、心中は誰にも覗かせないという決意を感じられる。
「ま、疑わしいのは俺も一緒か。お互い腹の探り合いといこうぜ」
今朝の形だけの真摯な態度……クロークに媚びをうる下衆た思惑を取り払って口火を切った。
「ハハ、これはまた随分と嫌われたものだ。君のお姫様をいじめた我が悪いのだけど」
「自覚があるなら少しは控えることだな」
顔を突き合わせると、どうしても仮面に目がいってしまう。何か顔を隠す理由があるのだろうか。……仮面をしているから嫌だといえば、これも偏見になってしまう。だが、仮面を見るとどうも心が落ち着かないのだ。深く沈んだ海に引き込まれる錯覚に陥る。
タツキがクロークに冷たくなったのは、フレシアのあの表情を目にしてしまったからだ。自分の立場なんてどうなったっていい。フレシアにあんな切なげな顔をさせるぐらいなら……。
「タツキ?」
当の本人は、そんなタツキの態度を疑問に思ったのか、翡翠の目で心配そうにこちらを伺っていた。
自分のためには口を開かなかったのに、人のためになら簡単に言葉を出せるらしい。他人を一番に気遣う優しい彼女に淡く微笑みかけ、クロークに向き直る。
「んで、クロさん。俺とフレシアの超絶ラブラブタイムを邪魔してくれたんだ。まさかつまらない与太話に付き合わせるために呼び出したんじゃないだろうな」
「らぶらぶたいむ……? 異国の言葉か」
首を軽く右に曲げ、戻す。それだけの動作なのにどこか作り物めいていて、つい疑いの矛先を向けてしまう。そんな対抗心剥き出しのタツキに一笑し、
「菓子を口に運び、茶で乾いた唇を湿らせ、談笑に浸る――そんな時間も悪くないと思うけどな」
仮面の裏でうっすらと笑う気配がした。
声音も口調も特徴を掴ませない不思議な声。それにしてはよく耳に馴染む。
「馬鹿言うなよ。お茶会は可愛い女の子なら大歓迎、野郎共はそもそも呼ばないってのが俺の行動理念なんだぜ。あとな、クロさん。それは他の住人がいたらマズイ理由になってない」
置かれていたティーカップに手を伸ばし、中の液体を流し込む。日本で言うと紅茶に近いか。まだ冷めておらず、喉を優しい温かみを残して流れていった。今度淹れ方の秘訣を聞こう。
「そ、そうよ。クロは、私とタツキに用があって呼んだのよね」
恐る恐ると言った様子で発言するフレシア。
茶を一気飲みし、お菓子に手を伸ばすほど寛ぐタツキと違い、かなり緊張しているように見える。今までこうして腹を割って対談する機会なんてなかったのだろう。クロークの方は一切感情を読み取らせてくれないのだが。
「用がなければ呼ばないさ。我がどうしても人肌恋しくなったら別だけどね」
「人肌とか鳥肌モンなんだけど。はぐらかさないで要件言わねぇとトンズラこくぜ」
「へぇ、やってみなよ」
予想外の返答。
タツキにできないと分かっていて言っているのだ。煽るような口ぶりに、ここで負けを認められるような素直な性格はしていない。
「フレシア、行こう」
「ごめんなさい……。私は、最後までお話を聞かなきゃだめだと思うの」
両手をついて立ち上がり、当然のようにフレシアを誘う。その結果がこれだ。フレシアに申し出を拒否されたことに、驚きより苛立ちが勝った。
タツキが退出を望むのは、この場にいるのが辛いはずの彼女のためなのに。なぜ、なんで、という疑問が頭に上るが、考えればそれも当たり前だ。付き合いの長さだけじゃない。フレシアは話も聞かずに退出するような失礼な態度をとる人ではないのだ。そんな彼女は、クロークの挑発に乗ってさっさと出て行こうとするタツキをどう思っただろう。少なくともいい印象ではないはずだ。
「―――ッ」
唇を噛み、立ったまま思考を張り巡らす。何度か席に座り直そうと試みたが、ちっぽけなプライドがそれをさせなかった。弱い人間ほど無駄に自我が強いのだ。
「うん、君はそうするだろうと思っていたよ」
「………るせぇ」
乱暴に座り直し、頬をつくタツキにクロークが満足そうに頷く。全ては計算通りといった様子だった。
「タツキ君、どこでもいいから扉を開けてみてくれ」
「はぁ? それは俺に出てけっていってんのか?」
「いいから。試せば分かるさ」
相変わらず高圧的な態度だ。
だが、やってみないことには話が進みそうもない。クロークの意図が分からないまま、タツキはたくさんある扉を見渡した。そして適当に扉を選び、ドアノブに手をかける。
「あれ?」
開かない。
右に回しても左に回しても開かない。
しばらくガチャガチャとしていたが、全く開く気配は無かった。
「――最初から出すつもりはなかったわけか」
扉が開かないのはクロークの仕業に違いない。ランダムに選んだ扉の一つに、たまたま鍵が閉まっていたとは考え難い。
「ご名答。なにしろここは扉門の間。招かざる物入るべからず、逆もまた然り」
「はいはい。どう転んでも、俺は強制的に暇潰しの相手をさせられることになってたわけだろ」
クロークが無駄に誤魔化すことをやめ、タツキに拒否権がないことを告げる。タツキには反抗する力も能力もないのだ。
「さっそく本題に入ろう。《外》に興味はないかい?」
「―――そと?」
それはどの範囲のことなのか。
屋敷の外? 敷地の外? 草原の外? 都市の外? それとも、世界の外――?
どれにしても、もちろん興味はある。むしろ人一倍好奇心旺盛のタツキは、せっかくの異世界ライフを屋敷内だけで完結するなんてありえないと思っていた。心のどこかでこんなイベントを待っていたのだ。というより、必ず"ある"ものだと思っていた。だから特にクロークの申し出がおかしいとは思わない。……タツキの感覚で言えば、だ。
この世界で生きてきたフレシアは口をぽかんと開けたまま呆けている。意味がよく理解できなかったらしい。
「タツキ君はともかく、フレシアはあまり好反応ではないな。我が直々に許可を出すのは滅多にない事なのだが」
「だって……。散々『外に出るな』って言ってたのは、あなたの方じゃない!」
「はぁ? お前外出禁止令出してたの!? 最低すぎるだろ!」
「タツキ、それは……!」
すぐに噛みつくタツキに、フレシアからストップがかかる。ヒートアップしそうな怒りの感情が、彼女の声に迷いを抱く。クロークとの危ない一線がフレシアには見えているのだろう。少し頭が冷え、語彙を荒げずに対話を続ける。
「この屋敷の住人の管理は我がする。当然だろう。それが家賃代わりならお得だと思うよ」
「俺なら自由権の侵害を訴えるね」
「いやいや、我は意地悪をしたいわけじゃないんだ。屋敷の結界を一歩出れば命の保証は出来ないのは確かだよ。無駄に命を散らせたくはないだろう?」
「お前が言うと綺麗事にしか聞こえねぇんだよ。つまり、それがこの屋敷に住む際の条件なんだろ」
「すごく魅力的な条件じゃないか」
もっともな言い分に聞こえるが、過剰な保護欲にも思える。今のタツキの耳はクロークの話を建前としか判断できなかった。何か別の邪な考えを持っているのだと決めつけてしまっている。
そういえば、子供の育て方について論争する漫画があった。
『自由にのびのび』育てたい父と、『自由を制限して』育てたい母。安全性、将来、人権、性格、保守、厳しさ、愛情――父母が様々な意見を並べ立てて、自分の意見が正しいと豪語するくだらない内容だった。
いや、どちらの行動源も子供への愛なのだとしたら、美しい親子愛だったのかもしれない。そんなもの子供に任せればいいのに、と思うタツキは父親の意見に近かった。
「ん? でも、俺がフレシアと出会ったのは屋敷の外じゃん。あれはよかったのか?」
「あのときは………無断で抜け出したの」
自分の非行を責められて落ち込むフレシアに、やっちまったと頭を抱える。
だからフードで顔を隠していたのか。
つまり一歩大人になろうとしたフレシアの家出だ。
「我はあの行動を咎めるつもりは無いよ。沸き起こる探究心は抑えられるものじゃないし、だからこそ君に外の世界を見せたいと思っている」
「クロ………」
珍しく優しい声音のクロークに、フレシアの表情が明るくなる。その変化に危うさを感じた。
クロークは口が上手い。もっともらしい理由をつけて、本当の目的を隠しているように思える。
「フレシア、南にあるソルトルス大陸の特徴は?」
「最も繁栄する街がある冒険者たちが集う島、でしょ」
「うん、それが模範解答だろうね」
ティーカップを傾け、仮面の隙間から器用に茶を堪能する。世界事情が含まれる壮大な話。避けては通れない道だ。行動範囲として草原がセーフなら、クロークの言う『外』は別大陸のことか。
「おっと、その前に一つ聞かせてもらおうか。俺達を街に行かせようとする理由はなんだ?」
「……君はリファール帝国が栄えている理由を知っているかな?」
質問を軽く避けられ、逆に問を繰り出される。もちろんタツキの中にその答はない。国の事情なんて知るわけがないのだ。てかリファール帝国って何? フランスの有名な馬のことか?
「―――《冒険者》。命を賭けて魔物を打ち倒し、魔獣を討伐して生計を立てる者たちの総称。それ以外にも色んな職業があるわ。そしてリファール帝国には冒険街が集結していて、双方の望みが合致するのがこの国。だから利益はぐんぐん上がる。そうでしょ?」
意外な博識ぶりを見せるフレシアの目は爛々と輝いている。外の世界は憧れだったのだろう。《冒険者》といえば、異世界では鉄板中の鉄板だ。
怯えた表情が消え去った彼女を眩しく感じながらも、タツキはその答えに納得する。
つまりソルトルス大陸にあるらしいリファール帝国は、冒険者のための国というわけだ。冒険者たちを筆頭とする多様な職のパーティが最も集まっていて、施設も充実している為、需要と供給の好バランスが成り立つ。まさに異世界パラダイス!
その情報に剣を振りかざしてモンスターを倒している自分を想像し、冒険者もありかなと思い始める。
「いかにも。知識が定着しているようで何よりだ。他にも、リファール帝国には魔物被害が多いというのが解答例の一つだよ。駆除する数は多い方がいいからね」
「それで、クロは何が言いたいの? まだ話は終わってないわよね」
すっかり強気になったフレシアが攻めいる。タツキは情勢が分からず蚊帳の外だ。二人の話から知識を蓄えていくしかない。
「うん。だから君たちは、その冒険者になるんだよ」
「「――――ッ!!!?」」
二人同時に立ち上がるが、あまりの衝撃に言葉が出てこない。勢いのつけすぎで椅子が倒れてしまっていた。
サプライズ? ドッキリ? 思わずプレートを持ったスタッフを探すが、もちろんそんな人たちはいない。
本当にこの仮面野郎は何を考えているんだろう。今朝知りあったばかりの怪しい奴に冒険者になれだと? タツキ一人なら厄介払いだと納得できるが、さらに将来有望のフレシアを付けるときた。
隣を見ると、顔を赤くしたり青くしたりと、面白い反応を見せる彼女がいた。まるでリトマス紙みたいだ。それでも自分以上に狼狽する人がいると落ち着いてくるのが人の性。深呼吸を数回行い、息をつく。そうして脳に酸素を回す。
「要件は理解した。けど引き受けるかどうかは別だ。フレシアはトラウマを克服するためにここにいるのに、わざわざ冒険者になる必要なんてないからな。……それとも俺が絡んでるっていうのか?」
そもそもフレシアたちを集めたのはクローク自身だ。後悔をなくすことを名目に子供達をこの屋敷に住まわせた。なのになぜ。目的が見えない。
「言っただろう。我はいずれフレシアを街に出すつもりだったんだよ。君という存在はきっかけに過ぎない」
「答えになってねぇよ。その理由を聞いてんだ」
「ここにいても、魔術は磨けるが経験は積めないだろ? 何事にも限度が存在し、貴重な才能を腐らせるだけだ。過去をおもんばかることも大切だが、常にそうする必要はない。いつでも戻ってこればいいのだから」
クロークの口から出る言葉は全部正論に聞こえる。何かの魔術が作用しているのかと本気で疑いたい。怪しいのは確かなのに、何故かまぁそんなもんかと思ってしまうのだ。首をひねることも、すぐに頷いて飲み下される。
「何が正しいのか俺にはわかんねぇ。でもよ、それはクロさんの意見であってフレシアの考えじゃないんだろ?」
「そういう君には彼女の気持ちが分かるのかな。たかだか一日ちょっとの付き合いの君に、さ」
「ぐっ……」
否定出来なかった。フレシアと出会ったのは日が一つ変わるか変わらないかぐらいの短い間。言葉を交わした回数が多いわけでもない。事実を指摘されただけなのに、どうしてか無性に腹が立った。
「分かんねぇよ。だけどお前みたいに、人の気持ちを考えずに自分の都合を押し通したりはしねぇ」
「へぇ……」
「安心してくれよ、フレシア。もし君が悪女でも俺の気持ちは変わらないからな」
真顔でフレシアにそう言うと、再びクロークに向き直る。隣からは、「私、悪い女じゃないもん……」という可愛らしい呟きが聞こえてきた。もちろんそれは知っているぜと、心で親指を立てる。悪女? むしろ天使だっての。
そうだ、この気持ちを疑われるのが嫌なんだ。出会って日が浅いのは確かだけど、それで気持ちを否定されるのは腹立たしい。
そもそもこの男は、何もかも勝手に決め過ぎだ。先を見通すかのような振る舞いで、相手の思惑は何でも見抜いているような態度を取る。タツキが最も嫌うタイプである。
「それで、フレシアはどう思うんだ? 冒険に憧れてたりするの?」
「―――」
「フレシアさん?」
タツキの呼びかけに答えず、黙まり続けるフレシア。まるで一心に何かに耐えているようだ。
外の世界に魅力を感じていても、それを冒険者に結びつけたくないんだろうか。いつ命を失うか分からない職業だし、タツキとしても彼女を戦場に出したくはない。
冒険は男のロマンだ。
自らの命を賭し、悪を切って正義となり、人々から敬われる。筋力パラメータで見事平均値を叩き出したタツキでも、そんな憧れのポジションを掴めるかもしれない絶好の機会。対モンスター用の知識なら劣らないはずである。偏りはあるけれど。
「嫌ならそう言った方がいいぜ。俺は君の意見を尊重するから」
「………の」
「ん?」
「怖い、の。でもそれは私のわがままだから……」
か細い声だった。
絞り出したように震える声が、ようやくタツキの耳に届く。
どうやらフレシアは冒険そのものが嫌いなわけじゃないらしい。好奇心旺盛の天使様は、探究心と安寧を天秤にかけているのだ。命を賭す者として当たり前の選択である。それを自分で選んでこそ、冒険者に必要な覚悟を得られる。
同時にタツキの中の天秤も揺れた。恐怖心に打ち勝って欲しい気持ちと、安全な場所にいてほしいという気持ちだ。
「それはわがままなんかじゃなくて、持って当然の感情だろ」
「そう、なの? 面倒な奴だって思わない?」
「思わない思わない。むしろ好感度アップ中だから」
彼女の心にあるのは絶対的恐怖と不安。ならその感情と対峙させるでなく、タツキが取り摘んでやるべきだ。先ほどまでは彼女自身に選ばせようとしていたが、フレシアが苦しむ姿は見たくない。彼女の自立より自分の感情を優先させてしまう自分が一番醜いが。
でも……少し背中を押してあげるぐらいならいいだろう。それが彼女にどういった決意をさせるのかは分からない。完全には不可能だが、肩に乗った荷物を持ってあげたい。
この先何があるのか、自分はどうなるのか、死にはしないだろうか――フレシアは不安で仕方ないのだろう。未来はまったくの未知数だ。選ぶ道によって簡単に人生は変わってしまう。
その賭博に身を放るか安全に身を隠すか。そんな選択に常人は二の足を踏む。
だからこそ―――
「大丈夫だよ。不安な時は俺が側にいて、大丈夫だって、怖くないよって、何度でも言ってやるから。――あの時君が、そうしてくれたように」
肩幅の狭い肩が小さく震えている。どぎまぎしつつも、慣れない手つきで抱き寄せ、震えを止めようとする。不慣れな事をやるうちに顔が火照ってきた。彼女の揺れる瞳がこちらを見ている気がした。
自分の言葉に、動作に、本人が一番驚いていた。こんなこと言うつもりはなかったのに。
「あ、あの――今のは取り消しで」
「ん、分かってる。そこまで自惚れてないわ。でも、嬉しい……。嘘でも安心しちゃった」
「どうしよう! フレシアの自己評価が低すぎて思ったように通じてくれない!」
フレシアの筋金入りの自己愛の無さに、勘違いを正すことを断念する。自分の言葉で彼女の笑顔が多少なりに取り戻されたのだ。十分すぎる報酬だろう。
「だって、私がタツキをそんなふうに慰めたことなんてないもの。すぐ分かる嘘はついちゃだめだよ?」
「な―――」
嘘じゃない、と喉元まで出かかる。
すぐそこまで近寄ってきた死を前にして、フレシアは陽だまりのような笑顔で安心させてくれた。私が守るから、と。毅然とした態度とは裏腹に、彼女は震えていたのに。その時感じた不甲斐なさはよく覚えている。自分に力があればと、そう強く望んだ。今よりずっと小さい彼女の背を見つめながら。
そうだ、近くにはもう一人誰かがいたはずだ。血溜まりに沈む横顔が―――核心に辿り着く前に、脳内で再生された記憶が、シュルシュルと嫌な音を立てて巻き戻っていく。
「………あれ」
頭にカチリという音が響いたのと、違和感を声に出したのは同時だった。さっきまで確かにあった記憶が、意識する間もなく失われた感覚。
「悪い、俺の勘違いだった……のか?」
「大丈夫かい、タツキ君。少し混乱しているみたいだが」
「……? 俺もよく分からん」
何度も首を傾げながら、違和感の正体を探る。しかし答えは見つからない。変な気持ち悪さが残っただけだ。頭を振ってそれらを取りさらい、話を進めてくれとジェスチャーする。
「それで、なんでクロはいきなりこんなこと言い出したの? またいつもの気まぐれか?」
「一体我をなんだと思ってるんだ……。理由はさっき言った通り、君たちを思っての決断さ。今日という日を選んだのはタツキ君の存在が大きいけれど」
「私が、全然成長しないから――経験を積めって、そういうことなのよね」
途切れ途切れに紡がれる言葉。きっと答えを聞くのを恐れているのだ。不安そうな横顔がそう言っている。
「うむ。君は素質の割に進歩がなくて退屈してたんだ。外で何か刺激を受けてくるといいよ」
――――はぁ? 何を言ってるんだ、コイツは。
「つまらないだと? よく言うぜ。フレシアが温室育ちのお嬢様でいることを望んだのはお前だろ。それを何だ、フレシアが悪いみたいな言い方しやがって」
「ああ、誤解を招く言い方だったかな? すまない、そんなつもりはなかったんだ」
「嘘つけ。それに他の奴らだってそうだ。狭い人間関係のせいで、どっか人として大事な部分が欠けている。だから俺も広い世界を見るべきだってのには賛成だ。―――でも」
「でも?」
「俺はお前がそれ以外の目的でフレシアを外に出そうとしている気がしてならねぇんだ。……ただの勘なんだけどさ」
顎を上げて先を促すクロークに、自分の考えをぶちまける。
クロークの目的は、本当にフレシアのスキルアップだけなのだろうか。
《人のため》なんて体のいい言葉、散々裏切られてきたタツキからしたら鼻で笑ってしまうほどに淡い。これまでの態度や話の受け合いを聞いて、クロークという人物も例外ではないと確信していた。むしろクロークは、フレシアに対して刺々しい対応をしているぐらいだ。あまり仲が良い風には見えなかった。もちろん天然彼女はそんなこと気づいておらず、仮面男の善部しか見ていないのだろうけど。
「人には欲がある。それは至極当然の事だよ」
クロークの態度は乱れない。声音も変わらず、纏っている異質な雰囲気も代わり映えがしなかった。
「……あぁ、そうだな。んじゃ俺の欲も聞いてくれ」
「聞くだけ聞こうか。言ってごらんよ」
「フレシア以外の住人にも、冒険修行をさせてやりたい。俺達が出発する時点で話が伝わるのは必至。ならみんなで行っても同じだろ? お前が寂しいからダメってのは無しだぜ」
「いやぁ、君のよく回る口と頭には感服するよ。状況把握も出来ている様だしね」
「なら……!」
褒めてるのか貶してるのか分からない言葉に食い付く。その口がイエスと言えば全て丸く収まるのだ。
「駄目だ」
小さな希望はすっぱりと切り捨てられた。そこに微塵の躊躇もない。予想していたことだが、期待させられた分落胆も大きかった。
「………理由は?」
「あの子達の出発は、君たちとは別の日に行うからだ。まだその時ではない」
「なんだその無駄にカッコいいセリフは。……つまり、どーしても俺らが出て行ってからじゃなきゃだめだってわけだ? お前の都合で」
「あぁ」
真意を問いただしたいところだが、聞くだけ無駄だろう。クロークが『そう』と決めたなら彼は決して譲らない。反発しようものなら持てる力を駆使してタツキを止めるだろう。能力に恵まれないタツキが瞬殺されるのは目に見えている。
「ん、決めた。私は冒険者になる! それで精神面でも強くなって戻ってきて、また過去と向き合うの」
タツキとクロークの会話を聞いていなかったのだろう。それだけの長考の末の結論なのだ。住み慣れた家を離れ、安定していない賃金を頼りに街に移り住む。メリットからリスクまで全て把握した上での答えなのだから、タツキとしてはそれを尊重してやりたい。
「タツキ君。君があれこれ思案しているうちに、彼女は道を決めたんだ。口を挟むなんて野暮なことしないでくれよ」
「分かってるのにお前に言われると反発したくなるこの気持ち……ま、仕方ないか。俺とフレシアの二人旅って考えると、悪くないどころかご褒美だしな」
ようやく異世界らしいイベントの発生だ。なにやら展開が急すぎる気もするが、達観気味のタツキは特に気にしていない。
新米冒険者の二人旅。何とも男心が擽られるシチュエーションだ。冒険者同士の恋愛は無数に聞く。同じ屋根の下、同じ部屋、もしかしたら同じ空間で隣で寝転がる可能性も…!? 貧乏冒険者といえば住むところは馬小屋などが一般的か。家賃の問題で、二人が共有して一つの部屋を使わなくてはならなかったり―――
「もちろん僕もいるよ」
「ぬわぁああ! 畜生マルサマ忘れてた! 二人とプラス一匹かよ! クロさん、こいつ置いてくべきじゃね!?」
「残念ながら、我にはフレシアとマル様を引き剥がすほどの力はない。せめて仲良く頼むよ」
クロークが肩をすくめると、フレシアの頭上にぴょこりと生物が浮かんだ。今までのタツキの妄想を断ち切る存在。マルがいるだけで二人きりになれるタイミングがぐっと減る気がする。
「そういやずっと黙って話聞いてたのかよ。人が悪いぜ」
「なら大丈夫。僕は人じゃないからね」
「まーた減らず口を……」
「安心して。マルだってずっと盗み聞きしてたわけじゃないの。姿がない時はどこかに行ってるか、寝てるか、髪にくるまってるかだから。その顔だと今回は寝てたのね」
「さすが僕のシア。最近眠くて眠くて……。それなのにこの小童、僕に見当違いなことを」
「悪かったって! 事情は知らないんだろ」
小さな体でぷんぷん怒る小動物をなだめ、話をはじめに戻す。帽子が感情にあわせて大きく揺れていた。やはり一つの個体として確立しているのかもしれない。
「いーや、分かってるよ。シアを通して大体のことは聞いてたから」
「は、え、お前フレシアの体に入ってたのかよ!?」
びっくり発言に口をパカーンと開けたまま停止。震える指をフレシアとマルに交互につきつける。
「おめでたい頭だなぁ。そんな素晴らしいこと、出来たらとっくにやってるさ」
「犯罪になるからやめとけよ」
「うん、五感を借りれば同じようなものだし。勿論制約はあるけどね」
「五感――!? ずるい……じゃなくて、今の場合はフレシアの耳とか目を借りて、狸寝入りしながら盗み聞きしてたってわけか?」
これだけ聞くと、とんだ悪党だ。
フレシアの五感を借りれるスキルなんて喉から手が出るほど欲しい。それより居場所を察知できるものがいいか……夢が広がる。同時に変態度も増した。
「違う違う! 寝たり見たり聞いたりしてただけ! 寝真似なんてしてないんだからね!」
「オスの獣がツンデレとか需要ないからね!? まぁ、話が通ってるなら楽で助かるけどな。後はクロさんに冒険者のノウハウと今後について聞くだけだ」
「……ふわーぁ。また話が長くなるみたいだから、もう少し眠ることにするよ。シア、話が纏まったら起こしてね」
「引っ込むの早いな!?」
つまらない話は結構だとばかりに、マルが美しい金髪に埋もれていく。そんな珍生物から視線を外し、クロークに向き直った。相変わらずの冷めた空気が肌を突き刺す。
「……時間がない。手早く済まそうか」




