第14話 『狂える月』
クロークの目が驚愕に見開かれるのが分かる。それはタツキ自身も同様だった。この言葉が本当に自分の口から出たものなのかさえ疑わしかった。今も同じである。自分以外の誰かが口を挟んだのでは? もしそうなら、どれだけ楽なことか。
しかし傍観者たちからは、疑惑に満ちた視線を浴びせられている。期待には答えられない。タツキ自身もまた、答えを望む放浪者だからだ。
無意識下での返答。それが意味するものは案外浅い。
――変わりたかったのだ。常に逃げる卑劣な自分から。現実離れした環境やおかしな住人たちの効果も作用しているだろう。
環境が変わると人格も変わる。タツキの場合は、それがたまたまいい方向にはまっただけだ。それに、ずっと昔から変化を望む予兆はあったのだ。ただ本人が気づかないでいたか、目をそらしていたかのどちらかでいた。最後のひと押しがなかったからである。思いもよらない形でそれが実現されたわけだ。
――自ら気づく過程は強い意志を与えてくれた。弱い自分を変えたいという強固たる想いを。
「こちらが拒む理由は無いよ。相応の覚悟も感じられたし。君が拒絶しておきながら、それでも答えを望むことに興味がわいたというのが本音だが」
「ありがとよ。腹の底がどうだろうが、知りたいもんが知れるならなんだっていいさ」
「もちろん、君の決意は偽りなんかじゃないんだろう?」
「当たり前だ。――なんて偉そうなことは言わねぇし、言えねぇよ。期待を裏切ったら悪いけど、俺は俺が聞きたいことを聞いてるだけなんだ」
タツキは肩をすくめてあっけらかんと言い放った。全て本当だった。嘘をつくメリットはない。真実には真実で返すべきだ。そんなタツキにクロークは頬を釣り上げて笑った。
「《戒めの✺✺》」
「―――ぁ?」
突如発せられた言葉に、今度は本物のクエスチョンマークをうかべる。大事な部分にノイズが走り、クロークの言葉を妨害したのだ。元の声量もかなり抑えられており、タツキに聞かせる気が無かったのではと思うほどだ。何か重要なことを言ったのであろうが、その部分が聞き取れずに反応に困る。
胸が無性にざわつく。あぁ、これは危険信号だ。もう一人の自分がやめろと叫んでいる。
「悪い。もう少しデカイ声で――」
「そうだな……。君が聞かなかった単語を当ててみせようか」
「おいおい、人聞き悪いな。聞かなかったんじゃなくて聞こえな――――」
「《赤眼》」
不吉な予感を感じて弁明するタツキに、クロークは容赦なく言葉を突きつけた。
―――アカメ?
胸のざわめきが強まり、強まり、タツキ自身を喰らうべく膨張している感覚に陥った。気持ち悪い。それは、タツキが勝手にシャットダウンしていた単語だった。聞こえなかったのではなく、聞かなかったのだ。無意識に脳が拒否していた。
感情の整理がうまくいかなくなっていくのが分かる。怒り、悲哀、焦燥、困惑、拒絶、疑念。それらをいっぺんにミキサーにかけてしまったようだ。そんな自分に嫌気が差す。体も頭も弱すぎる。
すぐ目の前にやってきたもう一人の自分を受け入れられず、タツキはその場から逃げ出した。空いた席に腰を下ろしたのは、タツキの中に眠っていた別人格。過去の記憶を持ち、未だそれに苦しめられているソイツは、タツキの意志により長い間封印されていた。
「――――なんで。なんでなんでなんでなんでなんで」
「っ。ツキ様やめーーー」
「なんでそれが……。なんで今、出てくんだよ。魔獣と何が関係するっていうんだ。戒めってなんだ、戒めってなんだ、戒められなきゃいけないのか、赤眼が悪いのか。なんでだよ、なんでみんな俺を否定するんだよ、酷い酷い酷い酷い酷い。……憎い」
ガシガシガシガシ、頭を掻き毟る。
感情が落ち着かない。自分の知らないはずの記憶が脳裏にチラつく。
「タツキ様ーーー!」
「わざと言ってんなら、マジで冗談じゃねぇよ。俺を……赤眼が嫌なら、消えちまえ。消えろ消えろ消えろ消えろ消えてくれ」
「………ツキ様」
「俺を否定する奴ら全員死ねばいいんだ。そうすりゃ俺は自由になるんだ。閉じ込めて、疎んで、独りぼっちにして、赤眼だからってなんだよなんでだよ知らねぇよ。俺は赤眼なんかじゃないよな? いらない子なんかじゃないよな? 呪われてなんかいないよな? そうだよな? なぁ!? おいッ、なんとか言えよ! 理由を教えてくれよ! 早く、早く教えろよおおぉ!!!」
ーーー部屋に響く、孤独の絶叫。
「恩知らずの醜き愚客。クローク様の温情をそれ以上踏み躙るならルイが……」
「そんなのどうだっていいよ、どうでもいいよ、関係ねぇよ。何で睨むんだ。殺したいのか。そうだよな。憎いよな。赤眼の俺なんて生きる価値も無いよな。うんうん。なら殺しちゃえ。殺せ殺せ、ほらほらぁ。叔母さんなら簡単にできるだろぉ? 銃を撃ったぐらいだもんなぁ? 早く殺れ! 殺ってみろよ! ほらぁあああ! あの時撃たれた脚の痛み、忘れてねぇぜぇえええ!!」
ーーー狂人。
礼儀や自分の立ち位置を忘れて喚き散らす姿は、目を逸らしたいぐらい不気味で無様で不躾だった。
さっきまで会話が成立していたことが不思議なぐらい、タツキの変わり様は激しかった。その狂人を速やかに排除すべく、主を守る二人が動く。
「ルイ、リラ、やめろ」
「「ですが……」」
「これは命令だ」
「――。失礼しました」
「ーー。申し訳ありませんでした」
唇を噛んで謝る二人の目から殺意は消えていない。片方は一躍し、その首を苅る一撃を叩き込もうとしていた。その姉は、人を焼け炭にする魔法式を展開しようとしていた。もしクロークの牽制が一秒でも遅れていたら、タツキは使用人のどちらかによって命を摘み取られていただろう。いつもは忠実な主の命令に逆らおうとしたぐらい、彼女達は激怒しているのだ。形ばかりの謝罪をタツキに、心からの謝罪をクロークに、それぞれ一礼をしておくる。
「タツキ……様。冷静になって周りを見て下さい。この場にいる誰もが貴方の命を奪えるんですよ。クローク様の気が変われば、アタシは躊躇うことなく貴方を殺せます。分かりますか? 今のタツキ様は客人の立場を捨てた、家畜以下の存在なんです」
魔法の発動準備を解除しないリラが、纏うオーラだけでタツキを潰しにかかる。もちろんクロークに止められた手前、殺すつもりはない。実力の三割程度しか出していなかった。
未だ頭を掻き毟って叫び倒す惨めなタツキに、リラの言葉は届いていない。自分の内側と必死に闘っているようにみえた。そんな惨めなタツキに、ルイが冷ややかな視線を寄越す。
リラは変わらず笑顔だった。無論笑っているのは表面だけで、内側の彼女は全く笑っていなかったが。表情が抜け落ちたルイと、目は笑わず口元だけ引き上げたリラの姿はぞっとさせるものだった。タツキを心から軽蔑していることが分かる。おそらく今のタツキはゴミ以下――それも有害な。すぐにでも撤去したい思いなのだろう。
フレシアがいなかったことが、タツキにとって救いだった。これほどの醜態を見られたら、もう関係を修復するのは無理だ。
「どうだい? 少しは落ち着いたかな、タツキ君」
ふっと、意識が繋がった。
暴れていたもう一人が消え、脳の支配権がいつものタツキに移る。いきなり平静に戻ったタツキは、自分がしでかしたことが信じられず、恐る恐る顔を上げた。そこには凍るような視線のメイド二人と、表情の読めない仮面がいた。
「ぁ………俺」
「うむ、戻って来てくれたようだ。それで……さっき言ったことは君の本音か?」
「ちが……ちがう。俺にも何がなんだか……」
自分の罪を取り消したいがための苦し紛れではない。本当に、タツキには身に覚えがないことばかりを口にしていた。叫んでいる間、本物のタツキは隅で丸まっているだけだった。自分じゃない誰か……もう一人の自分が、タツキの中にいる。それを説明しようにも、証拠がなければ信じてもらえないだろう。タツキはどう弁明するべきか迷いながら言葉を探す。
「いきなり口にした我にも非がある。どうだ、君の無礼を許す代わりに、我のことも許してはくれないか」
「なっ………! クローク様ッ!?」
どう考えても釣り合う条件ではない。
死刑になってもおかしくないことを、この少年はしたというのに。優しすぎる主を、ルイは歯噛みして睨んだ。
「何だ、ルイ。タツキ君に悪気が無いなら、責めるのは筋違いだろう」
「………はい」
「あ、あぁ! 無礼を働いた罪は償うさ! 俺の方こそ許してほしい。悪かった」
「両者の同意も得られたところで、赤眼についての説明に入ってもいいかな」
「………おう」
同じ過ちは繰り返さない。そんな強い信念を持ち、タツキはクロークの言葉を待ち構えた。
「《戒めの赤眼》は魔獣の蔑称。負の魔力を豊潤に持つ者に対する、一般的な呼び名なんだ」
「へぇ。赤眼は蔑称扱いってか。……ん? なら、魔獣は目が赤いのが普通なのか? それが他の奴らとの違いってわけだ」
自然と目を両手で隠していた。タツキの目は、ごく普通の黒目。気にする必要はない。それなのに、瞼に指を食い込ませ、そのままえぐり取りたい衝動に駆られた。
そんなタツキの様子を一瞥し、
「障害を持って誕生した子のように、生まれた瞬間に人の有利不利は決まっている。ここではそれが常識で、決して覆すことはできないんだ。魔物の目が赤いように、赤眼として生まれた子は疎まれる道にある」
電撃が走ったような衝撃。唇が震えて色が消えていく。頭ではそれほどの驚きはないのに、体の動揺は激しかった。諦めに似た感情を宿した瞳が大きく揺れる。
初めて常識にケチをつけたくなった。いや、二度目か。現実世界にも受け入れ難い常識ルールが存在している。赤い目はおかしいという偏見だ。なぜ別世界にまで来てその常識に縛られないといけないのか。嘆きに似た溜息が漏れると同時に、ふと思い立つ。自分は赤眼じゃないのに、何故こんなに憤っているのかと。
「なら、リラの目が赤いのはセーフなのかよ」
タツキ以外の三人の肩が大きく揺れた。その反応に、してやったりの表情になる。リラの目は、赤とまでは言わないが、その系統に近い色をしている。
しかし、リラが日常生活に支障をきたしている様子はない。赤眼の子が疎まれるなんて伝承程度に過ぎないのだろう。
常識の綻びに、一人ほくそ笑む。そうだ、所詮は魔獣の常識。タツキたち人間には通用しないものなのだ。もし適用されていたら、とっくの昔にリラは解雇されているはずだろう。
「……ふざけないで」
絶望から希望を見出して落ち着きを取り戻すタツキとは対照的に、落ち着きを失った声が響いた。その声音は聞く者の心に恐怖を刷り込み離さない妖力を持っていた。
怒りに顔を染め上げ、体を震わす少女。
――名指しを受けた張本人、リラである。




